獣人の国
庭顔宅
第1話
瞼が動く。
部屋の中は真っ暗であったが、彼は毛布を押しのけ体を起こす。穏らかに欠伸をし、その頭上にあるケモ耳をピンと逆立てる。
微妙に眠気を感じ、瞼を擦りながらも機敏に布団の中から立ち上がっていった。その後を着いて行くように、しなやかな尻尾がゆらゆらと追従した。
彼は狭く暗い部屋を数歩歩き、両開きの窓を開いた。窓の縁に足かけ、パジャマのまま外へ跳び出る。高い身体能力にものを言わせ屋根の上へ昇り、座り込んだ。
遮る物など何もない朝一番の冷ややかな風が全身を通り過ぎていく。それに体を震わせながら、瞼をしっかりと開いた。
5秒もしない内に、朝日が目の前に現れた。
暗い世界が明るくなる。
それを合図のように、まるで祝福するかのように、獣達の鳴き声が微かに聞こえてくる。だがそれ以上に鶏鳴がはっきりと聞こえてきた。
今日も朝が来た。
彼は立ち上がる。
黒く短い髪、その頭上には獣の毛を持つ3つと4つ目の耳が凛と佇み、上着と下着の隙間から長く艶やかな印象を持たせる漆黒の尻尾が一尾生えていた。
その姿は人間の外見を持ちながら、獣としての部位を色濃く受け継いでいた。街の片隅に見える微かな影も、一切の例外はなくそのような姿をしている。
そこは獣人の国。獣から進化し、獣人となった者達が住む、都であった。
・・・・
コテン、と頭に衝撃が走る。
彼はなんだと体に力を籠め、頭を起き上がらせた。
そこは教室であった。それぞれ、様々な獣の外見を持ちながら似たような制服に身を包む数十の人々。皆席に座っていっているが、今ばかりは彼を見てせせら笑った。
「もう、またですか」
そう怒っているようで全く怒っていないように聞こえる声音で叱るのは、周囲の人々とはまた違う服を着た、猫の外見を持つ教師だった。
今は日に何度もある授業の一旦。そして彼のつまらない日常の一旦でもあった。
「ちゃんと起きないとダメでしょ」
果たして何度目なのか。最低でも2度以上は行われてきたお叱りが彼の耳に届く。だけども彼は気にする様子は全く見せず、首の力を抜き、机に突っ伏すことで返事する。
「おーーい、おーーーぃ」
猫の教員は、そう彼の耳元で声を挙げる。だが彼は一切の反応を示さなかった。しばらくもすれば、猫の教員は溜息を漏らしながら、元の仕事へと戻っていた。
聞こえてくる音を左から右へと聞き流して眠り更けていると、あっという間に彼の意識は飛んで行った。
次に彼が目覚めたのは夕方だった。
それは本日の授業も終わり、後は睡眠をとるだけだという証明でもあった。
椅子を引き摺りズズッと不快な音を出しながら、彼は手ぶらで帰っていった。一直線に学生が住む寮へと戻る。風呂を終え、日課を終え、まだ夜は始まったばかりだというのに彼はベッドの中へと潜り込んだ。
いつもであれば、こうなっていなかっただろう。だけども、今日は昼食を取り忘れた。日に一度しかない無料で食べられる学食をだ。
それは彼にとって致命傷であった。
彼は何処かからポークジャーキーを取り出し、齧る。別名豚の燻製肉。保存性と良心的な価格を兼ね揃えたこのジャーキーシリーズは、幼き頃から俺の主食とて生活を支えてくれている。
正直に言おう、腹は膨れない。だが彼は知っている。腹が減りすぎると眠れないと。これは最低限腹に貯め込んだだけだった。
彼はベッドの中で静かにぼりぼりとポークジャーキーを2つ程齧りきる。そして瞳を閉じた。
日に日に増しているよう感じる食欲を抑えながら、彼は今日も眠りに着く。
最近では手足が重く感じ始め、限界と言う文字が脳裏に浮かんでくる。本当にダメではないと考えながらも、彼は未だに約束を守っていた。
つい2月前まで、彼は普通に暮らしていた。
肉親はいなかった。財産などなかった。素晴らしい環境ではなかった。決して裕福でもなかった。だが蛇おじさんに助けられた。とても暗く小さいが自分の家を持てていた。獣の獣人として、日々を自由に生きていられた。
それなりに楽しく充実した日々であった。
だけどもそれは国からのお達しによって潰された。
この獣人の国には学校がある。それも、そこに住むのならば必ず入らなければならない学校が。無駄に先進的な教育システムにしやがって……こほん、本来であれば最低でも8つから14つまで通わなければならないのだが、彼は年不相応に若い見た目であった為、8つを越えていようとも誰にもバレることなく平然と暮らしていた。
本人も学校の事なんて知らなかったし、最も親しい蛇おじさんでさえ気が付かなかったのだ。当然の結果だ。
事の顛末はこうだ。彼が成長し、蛇おじさんが彼の歳に対して疑問を持ったことにより学校問題が発覚した。流れるように国へ報告という名の相談をした。そして新学期初級生として入学したのが2か月前、そして更に2ヵ月経ったのが現在だった。
こうして、彼が腹を空かせながら日々を必死に凌ぎ生きているには理由がある。
彼にはまとまった財産がなかったからだ。
学園に通わなくてはならないのは確定事項だ。当然金もかかる。
どうやらいろいろとあったらしく、蛇おじさんには学費は免除になったから安心して通ってこいと言われた。だけどそれぐらいで、他は何一つとして無かった。
彼は貧乏だ。そして3月前まで働いていた。幼き頃から鍛え上げられた肉体と、賢い頭脳を使い、そこら辺の大人と大差ないどころか、いくらか色づいた収入を得ていた。
だけども、それは入学が決まった日と同時に禁止された。
働くことを禁止されたのだ。
お国様曰く、情操教育やら学業に集中できるようにと、なにやら言葉を並べていたが、彼にとっては、今更言うなよの一言で済む話であった。
そんな頭のお堅い役人の話なんぞほっぽり出して、普通に働いていると役人の人が現れて長い長い説教を垂れ流して来た。
こちとら死活問題やぞ、と思った。だが頭のお堅い人には関係ないようだ。
蛇おじさんに学校行きたくないと相談してみたが、行ってくれと瞳に涙を貯めながら言われてしまった。彼にそんな蛇おじさんを無視して退学へ突き進む事が出来なかった。
おかげで、収入がないタイプの貧乏人になってしまった。
蛇おじさんが里親のような感じであり、書類上で彼の責任者となったのを彼は知っている。助けてくれと言ったら、蛇おじさんが善意で助けてくれる自信も彼にはあった。
だけど、いやだからこそ彼にはその一言が言えなかった。
蛇おじさんは良い人だ。まだガキの頃から手助けしてくれた。育ってくれた恩がある。
だからこそ無駄な負担と心配をかけられない。
既に、教材や制服など、学園で必要な物は蛇おじさんが支払ってくれていた。
彼は知っている。長い間、一日の大半を彼と過ごしていたのだ。無駄な余裕などないことなんて、知っている。
だからこそ、食費ぐらいは自腹で賄わなければならない。だが、こんな大規模で長期的な出費があるなんて想像すらしていなかった。そしてその間、収入がない事なんて想像する方が無理である。
だからこそ彼は現在進行形でピンチであった。
そこまで多くはない限られた資金でこの4年間を過ごさなければならない。一日たりとも無駄な出費は出せれない。
長期休みで申請すれば働くことを許可すると役人はほざいていたが、あの頭のお堅い役人が素直に許可を出すとは思えない。
ここは身の危険がある、ここはあまりよろしくない、ここは夜のお店が近いと、ことごとく潰しに掛かるはずだ。数か月前に少し会っただけだが、頭のお堅い役人の性根も良くないことは分かった。最低限仕事はしているちょうだが、融通もクソもない。彼の獣としての本能が、そうだと判断した。
とりあえずは、後1月と少しで夏の長期休暇が始まる。そこで分かるはずだ。この限界生活を続けるのか、多少はマシになるのか。
彼は予感している。今の生活を続けるのならば、4年間もこの体はもたないと。だというのに、限界まで切り詰めているはずなのに、彼の家計簿には不足という言葉がチラつく。
このままでは確実に蛇おじさんの助けを借りるか泣かせる結果になってしまうかもしれない。
そんなの、絶対に嫌だ。
そんな事を思いながらも、彼は今日もまた眠りについた。
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