第12話「彼我一体」

「命を捨てた無我無心の相手には気術は通じない。

なるほど、もっともな話でございます」

灰原は静かに進み出た。


「気は形に現れ、気は心に乗る。

それが強さであり弱点でもあります

『気』によって「起こり」や「勢い」は表に現れてしまい、

『気』によって心の内が形となり、心が読まれてしまいますので」


「ふむ、その通り。では命を捨てた無我無心の気勢に勝つには、どの様にするべきかにゃ?」


「それは『和』にございます。


「お!」

黒丸も虎之助もハッとした。

二人もようやく灰原の言う『和』の考えに思い至ったのだ。


「こちらが戦う気勢がなければ、

相手は我が『気』を読む事ができませんし、

相手は我が心を捉えることもできません。

たとえ相手の虚空の心気が鋼の様な強さでも、相手の気に従い『和』してしまえば、相手は手ごたえも無く、我が働きを捉える事もできません。

そして相手と『和』すれば相手の使うパワーは相手に戻り乗ります。

これが和の力です」


「ふむ、理論はそれで良い。

じゃがさて、ではなぜネズミにその『和』が通じないのか?分かるか?」


「……」

灰原は答えられなかった。

相手と和するどころかあの化け物ネズミの動きを捉える事さえできなかったのである。

これでは灰原の術も理論倒れと思われても仕方ない。

武芸者として恥入るばかりである。


「…分かりません。今日の鼠、

早きに囚われず。気勢に屈せず。和にも応ぜず。

捉え難く、見え難く…

孫子の言う『微なるかな、まるで神のごとし』…としか言えませぬ」


「それはな、お前は『相手の力を利用してやろう』と考えてしまっているからじゃ。

それは本当の『和』では無い」


お前は『相手の力を利用してやろう』と考えてしまっている。

この言葉に灰原は衝撃を受けた。


言われてみれば、その通りだ。

自分に都合よく相手の力を利用して勝とうとしていた。

たしかにそれは『和』とは言えないのでは無いか?

灰原は今まで積み重ねて来た自分の道に迷った。

本当の『和』

それはいったい何なのであろうか?


灰原は再び老猫に平伏して問う。

「何とぞご教示下さい。『和』とはいったい何なのでしょうか?」


老猫は深くうなずいた。

「『和』とは自分と敵が一つの心になる事じゃ。

自分と敵に、二つに分かれていては和とは言えまい」


「敵と一つの心になるとは?」


「無心になることじゃ」


「なぜ無心が和なのでしょう?」


「我と彼、お互いにぶつかり合う理由はなぜか?

それが分かるかにゃ。

それはお互いの心の形が別々に分かれているからじゃな。

お互いに心の形が違うからぶつかり合う。

分かるかにゃ」


違いがあるからぶつかり合う…

なるほど道理だと灰原は理解した。


「もし無心であれば自我も無く、自我が無ければ心に形も無い。

形が無ければぶつかり合うことも無い。

だから心は自然の道なりに全てに和する。

その自然の道なりが『和』なのじゃな。

彼我一体ならば敵も無く我も無し」


「敵無く、我無く、形無し…

これはどの様な術なのでしょうか?」


「自分が世界と一体になる。という事じゃにゃ」


黒丸が首をひねる。

「え…??意味が分からねぇ?なんで世界と一体になるんだ?」


「わ、吾輩も分からぬ」


「ふむ。まずお前たちが世界と和して一体になれない。

その理由から教える」


   〈心の壁〉六識

「葉っぱの上に水滴がある。

このユラユラ揺れる水滴がお前たちの心とする。


さて、この水滴の壁に外界から触れれば、たちまち揺らぎ崩れる。

この脆くゆらぐ水滴が心の形じゃ。


揺らぎを起こす原因は、喜びであり悲しみであり、苦楽や損得、恐怖や迷い(恐懼疑惑)などの『情』じゃ。

心は外界から触れて来る自分以外の全てに対して動揺する。

葉っぱの水滴の形に固執し、乱れ狂う。

これが『自我の壁』じゃ。


   〈敵も無く、我も無し〉

そしてもう一枚、この水滴が彼だ。

二つの水滴は「我」と「彼」の二つの自我に分かれて固まって相対している。

この状態を「彼我」という。


…だが。

池にぽちよりと落ちる。

「全世界と一体となれれば、心の内も外も、区分は何も無い。

自我と外界の境界も無いなら心は形も無い。外から影響を受けない。

これが無我無心だ。


つまり無我無心とは

我が天地と一体となり区別が無くなった状態の事を言う」


「なるほど!」灰原は瞬時に理解した。


彼我一体とは、むりやり敵と同化し、和するようなムチャな術では無い。

『自分』という心の壁が無くなれば、心は自然と全世界に同化する。

そして敵もまた我が宇宙の一部なのである。


そのために「我れ」「彼れ」の相対した区別を捨て去る。


言い換えれば、まず先に自分自身というモノの執着を捨て去るのだ。


これこそ「和」の道ではないのか?


老猫は灰原の表情が変わるのを察っし、「さよう」とうなずいた。

灰原はハッ!と恐縮した。

今、一瞬。灰原は自分自身の心が打ち解けたのを感じた。

老猫はそれを察っしたのだ。

まさに我が師に今出会った気がした。


老猫は再び水面をゆっくり掻き回した。

水面が歪み、月がユラユラと水面に輝いている。


「我が心と全世界が一体にゃらば、敵もまた我が世界の一部である。

それが「和」だ。

この水滴のように我あるが故に敵あり。

この池のように和して一つになれば我も無く敵も無しという事じゃ」


ゆらめく水面の月を見ながら、灰原は自分自身の何かが打ち解けていくのを感じた。

「我が心が全世界となれば、敵もまた我の一部である。

これを『敵もなく、我もなし』と言う…」


灰原は何か道が見えて来たのを感じた。


〜〜猫の妙術12「彼我一体」〜〜 完

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