第11話「天地満満」
「むはははは!
なるほど、なるほど、スピードやテクニックだけでは勝てない!もっともである!」
虎之助が豪快に笑った。
黒丸は少しむくれた。
「じゃあスピードもパワーも使わずどうやって勝つんだよ?」
「気である!」
虎之助は断言した。
「また気かよ…」
黒丸は今まで『気』などという見た事も無い、えたいも知れないオカルトを信じる気にはならなかった。
良くも悪くも現実的な態度とも言える。
だが虎之助や灰原からしてみれば武道家が気を練るのは当然の事である。
虎之助は迷わず断言する。
「そもそも武術で『形』を練るのはなぜか?
それは気の働きが表に現したものこそが『形』だからだ。
全身に気が満ちれば、体は気の流れに沿って動き、気の流れは自然と技となる。
そうなれば、いちいち考えて技を繰り出す必要も無くなる。
敵の声に随(したが)って変化し、
敵の気の響きを察し、
敵の変化に応じる。
だから気の技は早いのである!」
黒丸が少し首を傾げる。
「じゃあよう、虎さん、気を使える様になれば速く動けるのか?」
「早さの理屈が違う。間合いの外から気を飛ばせるから早いという事である」
「間合いの外から?」
「左様(さよう)、敵の届かぬ手前から我が気が天地に満ち満ちて敵の全身を覆うのである!
そうすれば敵は気攻めに縛られて動けなくなる。
そうなれば天井を走るネズミをも気で睨み落とす事まで可能になるのだ」
「マジかよ?」
虎之助の実力は黒丸もよく知っている。
たしかに虎之助と向かい合ってみると気圧で動けなくなってしまった。
なるほど、間合の外から勝つのも道理だ。
「まず気勢で勝ち!気で睨み落とし
その気合で後に進み、敵の切っ先を蹈み落とす!
これぞ豁達至剛の気なのである!」
黙って聞いていた老猫がポツリと言う。
「ニャらば、お前に勝ったネズミは、それを上回る気勢の技を使っていたのかな?」
虎之助はギクリと飛び上がった。
「う!いや……あの化けネズミめは……その…」
急に虎之助の気勢がしぼんだ。
「うむ…あの化けネズミめからは何の気勢も感じられず…気づいた時には目の前に居り…
形も無く、気配も無い。
うむ…そんな事があるのだろうか?」
虎之助は考え込んだ。
老猫はその禅機を見て語り出した。
「お前は気の勢いに乗ってるだけじゃな。
じゃから『気』が足りて無にゃい」
「なぬ!吾輩の気が足りて無いと言われるか?」
周囲の猫たちも驚いた。
虎之助の剛気は誰でも感じ取れたからだ。
その溢れ出る『気が足りない』とはいかなる理由であろうか?
「お前が気で攻めようとすると
『前の気が余り、他が足りなくなる』
つまり『気』が偏っているという事じゃ。
孫子のいう「前に備うれば後ろ寡(すくな)く、右に備うれば左寡(すくな)し」じゃな」
「いいや!吾輩の出す気はこう、この様に全身に飛び回り溢れ出ています!」
虎之助は太い腕を広げて大きな身体を張った。
「それがイカン」
「は?」虎之助は気を奪われてキョトンとした。
「気を『気の形』として感じ取れるうちは、気が満ち足りていないのじゃ。
もし本当に気が天地に満ちているのであれば、それは形を成さないし感じられないはずじゃからな」
「む…意味がわからん!」
虎之助は自分の気術を真っ向から否定されて少し怒気を含んだ表情をしていた。
「ならば『気』の動きを水に例えてみれば良い」
老猫は静かに庭先の池に向かって歩き出した。
灰原はハッとした。
『気を水に喩える』聞いたことがある。
たしか寒流水の教えだったろうか?
まさかその極意を直接聞けるとは。
灰原は息を飲んだ。
老猫は庭の葉っぱを一枚ちぎり、池の水面にハラリと浮かべた。
「そこに一枚の葉っぱがあるじゃろ」
老猫は「柄杓(ひしゃく)」を取り、池の水をすくい流す。
水はチョロチョロと流れ落ち、水は葉っぱを叩く。
「この様にすれば流れる水の勢が形として見える。
それがお前の言う気の勢いの形じゃな。
勢いで葉っぱを叩いても暴れるばかりで葉っぱは思い通りには動いてくれないものなのじゃ」
虎之助はジッと池の水を眺めていた。
「じゃが…」
老猫はひしゃくで池の中を掻き回した。
水面が静かに揺らぐ。
「例えばこの水面は一見静まっている様に見える。
しかし、この「流れ」の上に葉っぱを置けば、葉っぱは水の流れに沿って大きく動く。
水面の形は変わらないが、水中には目に見えない大きな波動が流れているからじゃ」
虎之助は不可解な顔をしている。
「大きな波動でござるか?」
「そうじゃ、水面のパチャパチャは目に見えるじゃろう。
じゃがそれは小さな波動じゃ。
水中の大きな波動が見えないのは、
それは周囲全体が水で満ち溢れているからじゃ」
灰原はハッとした。
「もし本当に天地に気が満ちているなら巨大過ぎて見えないし、感じられない!」
「うむ」老猫は満足げにうなずいた。
「自分自身が天地と一体ならば、天地の気は我が気であるな」
「天地一体!」
その言葉は灰原も聞いた事がある。
不用意に読み飛ばしていたが、じつに重要な極意に感じる。
今まで謎だった言葉に初めて向かい合う事ができた!
何たる幸運であろうか。
灰原は身体が震えるのを感じた。
「もし天地いっぱいに気が満ちあふれ、
また自分も天地いっぱいの『気』と一体になっているのであれば、
自分自身の『気』も大河のごとく巨大な波動と一体となっているという事じゃ」
老猫は両手をいっぱいに広げた。
「じゃから大河の中に泰然と居る者の『気』は巨大過ぎて形として見えず、
自然過ぎて形として現れない。
これが孟子のいう『浩然の気』なのじゃ」
なるほど、これか!と、灰原は膝を打った。
もし自分自身が大自然と一体であるなら、その大自然の気は無限無窮(むきゅう)極まりないと言える。
これが天地一体の教えであり、剣の極意なのか。
古代の聖人の教えとは、なんと深いものであろうか。
「それでは大河のような大きな気を使えばあの化けネズミにも負けないのであるか!」
虎之助はまだ天地一体を理解していない様だ。
「気の大小に囚われていては、あのネズミには勝てにゃいな」
「何ゆえ??」
「無我無心の相手に気勢は通じないからじゃ」
「むが?!」
虎之助はまた不可解な顔をした。
「さて、お主たちは『窮鼠猫を噛む』とは何か?理解できるかにゃ?」
黒丸が条件反射で答える。
「そりゃ必死で暴れりゃ勝てる!って意味
だろ」
「やれやれ、ありきたりなステレオタイプの答えじゃな。
まあ、それも一面的には正しい。
じゃが、お前はもう少し落ち着いて深く考える稽古が必要じゃな」
「チェっ!」また黒丸がむくれる。
しかし老猫はしっかり黒丸の事もよく見て教導している。まさに剣は人なりであろうかと灰原は感じ入った。
「窮鼠猫を噛むとはな。それは『死ぬ覚悟』という事じゃ」
「おう!死ぬ気で気合入れろって事だろ」
「違うのう『生死すら越えた迷わない心』という意味じゃにゃ」
灰原はふと伝書の一節を思い出した。
「生死を越えて迷わない…これは極意書で見た記憶があります」
「むむ!言われてみれば確かに」
虎之助もまた思い当たった。
という事は、この老猫はずっと武道の心法の極意を語っていたのだ!
だとしたら自分はまだ流祖の教えを理解していなかった事になる。
虎之助は腕組みをして考え込んだ。
ここへ来て初めて猫たちは老猫の教えが正しく自分たちを導いているのだと理解しはじめた。
老猫は皆に向き直り、語りかける。
「さよう。『死をたしなむ道』とは、
『死ぬぞぉ〜!』とメクラ滅法に勢いばかりで死んでもそれはただの犬死にじゃな。
サムライのとるべき『死ぬ覚悟』の道では無いにゃ」
灰原が平伏して問う。
「御教授下さい。武道の教えにある『死ぬる覚悟』の効果とは?どの様なものなのでしょう?」
「命を捨てる者は無我無心の境地に近い。
無心ゆえに「気心体」が一つとなる。
敵も我も無い。ただ一つの心ざしじゃ。
生命を顧みない一つの志。
その心には迷い無く
その強さは鋼の如し。
だから気の勢いで無心の志を圧倒しようとしても通用しないものじゃよ」
命を捨てて一つになる。
なるほど無我無心の強さとはまさに全てを超越した強さとも言える。
灰原もまた考え思うところである。
老猫は虎之助に向き直って語りかけた。
「良いか。
お前は気の数量でネズミ負けたのではない、
命を捨て去ったネズミの覚悟に、お主の心が負けたのじゃよ」
「む、ぐっ…」
豪傑の虎之助が、ただ一言で息を詰まらせた。
気の力や数量に囚われたゆえに、命も身も捨て去った無我の力に負けたという事であろう。
〜〜猫の妙術11 「天地満満」〜〜 完
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