第10話「剣の正道」
あれほどサムライ猫たちを悩ませた化け物ネズミは、老猫のただ一撃で倒された。
猫たちは自分の武芸の未熟さを恥入り、
改めて名人である老猫に教えを乞う事となった。
〜その夜〜
猫たちは庭先へ集まり、老猫を座上に上げて、その前に跪(ひざま)づいて並ぶ。
灰原がかしこまりながら老猫に挨拶をのべる。
「本日は自分の未熟さに恥ずべき次第にございます。
願わくはあなた様の妙術を我等にお教えいただけますよう、よろしくお願い申し上げます」
老猫はモゴモゴとしゃべり出した。
「ニャに、お前たちはまだ『正道』を知らないから不覚を取っただけじゃ。よく基本を思い出す事じゃな」
「正道とはいったい?」
「正道というのは武の徳、天の道。この世の正しい法則じゃ」
老猫はじつに当たり前の事を答えた。
「…はあ?」
猫たちは老猫にはぐらかされたような印象を受けた。
正道や五常(※)なら灰原も知っている。
孫子や六韜などの兵書の一番最初に書かれている極意だ。
武芸書でも一番最後に極意として書いてはある一般的な言葉だ。
(※) 五常:仁義礼智信
しかもこれは基礎というよりただの道徳ではないだろうか?
これが本当に剣術の極意なのであろうか?
猫たちはみな首をひねった。
黒丸がいきなり口を出し来た。
「あ〜そんな難しい理屈はどうでもいいぜ、オイラはネズミを倒す技だけ知りてぇんだ!」
「技にも技の『道』があるのじゃよ」
老猫は当然であるかのようにつぶやいた。
「あ〜?技は技だぜ?理屈じゃねぇさ、
日々修練して磨き上げるもんだろ?なあ。
オイラは昔から早技軽業が得意でね。
たとえ居眠りしようと!梁を走ろうと!ネズミは必ず斬れるまでには成ったぜ!」
「今日は斬れんかった様じゃな」
「う!…ま、まぁ今日は…ちょっとしくじっちまったけどな」
「猫がネズミを捕えるだけの事なのじゃから、慌てて早く動く必要もないし、むやみに強く打つ必要もなかろう」
「ん、ん〜」
黒丸は考え込んだ。
たしかに老猫の技はじつに『遅かった』
無造作にポカリと殴って終わりである。
思い起こせば灰原の動きもそれほど速くはなかったし、ゆっくりであった。
一体何が自分と違うのであろうか?
黒丸は少し考えてみたが、やはりよくわからなかった。
「で、でもよう!今まではどんな早いネズミやイタチも、凶暴なカワウソ相手にも早さでは負けた事なんてなかったんだぜ?」
「お前の修めたのは自己流の早技ばかりじゃな。それでは強いネズミは切れまい」
「そんな事は無いぜ。相手がモタモタしてる間に先手必勝でササッと切っちまえばイイじゃねえか」
「それが間違いじゃな」
「あ?間違い?」
「早く勝とうとすれば『狙う心』が表に出てしまうものじゃ。
もし相手がその『狙う心』を察すれば、
どんな早業を使っても外され、裏を取られてしまうものじゃ。
心は所作より早く伝わる。
どんなに早く動こうとも勝てるはずもない」
「狙う心?」
「さよう、心は『気』となって形に現れる。
『気』を察すれば、相手が動くより早く避けられる。
『気』を飛ばせれば、相手が守るより早く打ち抜ける。
技や身体能力ばかりに頼っていては、この様な『気』を使った基礎技法も抜け落ちてしまうものだ。
「だけどよ!今までは裏をかかれても、それを上回る早業で勝てたんだぜ!」
「それは偽物の勝ちじゃな。『道の勝ち』では無い」
「あ?!偽物だって?!」
黒丸はいきなり全否定されて飛び上がった。
「よいか若い猫よ。能力の勝ちと『道の勝ち』は違うのじゃ」
老猫は若い黒丸に言い聞かせる様に兵法の道を説いた。
「勝負には勝つ理由、負けた理由の道筋が必ずある。
その道理を知らず、技法(テクニック)や身体運用でカバーできると考えてしまうから偽物の道に陥(おちい)ってしまうのじゃよ」
黒丸はなおも食い下がる。
「いやスピード、パワー、テクニック。それ以外で勝つ要素なんて有るもんなのか?」
「スピードにもパワーにもテクニックにも、
それらには必ず『虚実』があり『度数』があり『陰陽』があり『日月』があるのじゃよ」
「何でぇ?そりゃ?」
「数は多い方が勝つ。武器は長い方が勝つ。速度は早い方が勝つ。力は強い方が勝つ。当たり前の話じゃな。
じゃが数や長さを活かすにはそれに合った空間配分が必要じゃ。
この戦力の配置を『度・数』という」
「兵法において『度・数』の数とは密度や偏りを意味する。いくら大兵力を揃えても広げ過ぎれば分散し、偏り過ぎれば空きができる。
これが『虚実』だ。
いくらパワーやスピードを強めても、偏ってしまうと弱くなってしまうものなのじゃ」
「スピードが偏る?」
「早く動こうとすれば『気が傾く』
勢い余れば制御はできない。
『早きは転ぶ』と言うものじゃ」
「オイラは転ばないぜ」
「スピードに全振りすれば身体が虚になる
という意味じゃよ。
気が虚になれば身体は動かない。気は一方向にしか動かないからな。
その「抜け外れた状態」が『虚』じゃ。
最大限の力を一気に一点に貫き通せるパワーを保った状態。
その「道が通った」状態が『実』じゃ」
「気?」
「パワーやスピードはいきなり出せるものでは無いのだぞ。
まず心の中に
『打つ』というイメージが起こり、
そのイメージに沿って『気』が通る。
そしてようやく手足に力が出せる。
力を出し切ると
再び気は閉じ
また元の無に帰る。
この気が走り、
力が起こり、
虚無に戻る。
この虚実の循環を『陰陽』という。
また最大限の力を振り絞っても間合や中心線が外れてしまっては力もスピードも全て外れてしまうであろう。
自分と相手と『虚』
だから剣の基本はまず自分の心の奥の底を観察する事にある。
正道とは、
偏らない、偏執しない、
という事じゃ。
お前は相手より早く動こう、強く勝とうとばかりして相手を見ていない。
お前は早さで負けたのではない、
目に見えない虚実で負け
変化する陰陽の仕掛けで負け
そしてお前の動きを見極めたネズミの正道の力に負けたのじゃ」
「えっ…」
黒丸は唸って考え込んだ。
何か遠くを見て何かをつぶやいている。
きっと彼なりに何かを感じ取ったのかもしれない。
〜〜猫の妙術10「剣の正道、」〜〜 完
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