第6話 化け物
「また化物ネズミにやられたぞ!」
戸板に乗せられてまた一人、猫剣士が運び出されて行く。
「大鼠が現れた」と、街の猫たちにはもっぱらの噂である。
その大ネズミは大きな屋敷の奥、薄暗い床の隅にジッと居着いていた。
近寄ればたちまち稲妻の速さで飛びかかり喰付き、猫も人も叫び声を立てて逃去るばかりだという。
その凄まじさに猫もみな尻込みした。
ネズミの出現した部屋は戸障子で閉め切られ、それを退治すべく近隣から腕の立つ猫たちが集められた。
猫たちでニャーニャーと、ひしめく庭先。
「なんでえ、どいつもウスノロばかりじゃネェか、ケガする前にさっさと帰んな」
さっそく黒丸が横柄な態度で悪態をつく
「なんだと!」
血気にはやる若侍猫の一人が鯉口に手を掛けるが黒丸はすでに居合抜きで制していた。
「は、早い…」
「遅せぇな。俺が今まで闘ってきたイタチやカワウソの速さはこんなもんじゃ無いぜ!」
黒丸は自慢げにスラリと太刀を納めた。
やれやれ気の早い男だ。
技は見事ではあるが、この早抜きは自分のタイミング、自分の拍子で使える相手のみに使える方法だ。
格下相手なら勝てるかもしれないが、手だれ相手にはムリな話だ。
いくら身体操作が早くとも、拍子を外して来る相手にはとても太刀打ちできないだろう。
一人気を吐く黒丸を他所(よそ)に、灰原たちは屋敷を見回した。
ここは町人の武士の屋敷だろうか、街道場らしき建物があり、それなりの庭がある。
武芸者の屋敷の一室がネズミに占拠されてしまったとは、なんとも情け無い話だ。
その西側の角に四方を雨戸で締切った部屋があった。
「親分さんの言っていた化け物の居る部屋とはここですかね」
「ふむ、そうらしい」
親分は博徒や港湾人足の元締めであると同時に藩の目明(めあかし)でもあった。
目明(めあかし)は、有事のさいに藩の軍勢を現場に案内する手引き役でもある。
孫子曰く。
郷導(きょうどう)を用いざる者は、地の利を得ること能(あたわ)ず。
どんな強力な軍勢でも、その土地の案内役を用いなければ、地の利を得ることができないという意味だ。
また目明(めあかし)は捕物のさいには、お上から十手を預かり、手下を率いて藩の同人(どうしん)の配下として活動する宿場の民間治安維持組織の長である。
警察というより軍をサポートする自警団長に近い。
その様な役目からしてみれば、この化け物ネズミ騒ぎは厄介な事態であった。
もし自力での解決ができなければ、町周りの同人(どうしん)の旦那様に報告する必要が発生する。
同人(どうしん)とは数十石取りの藩の「軍人」である。
ネズミごときのトラブルで藩の軍隊が動く様な事があってはならないし、もし万が一、軍に損害が出る様な事があったら一大事でもある。
これは何としても避けたい事態だ。
そこで元締めとしては虎之助をサポートできる武芸者チームを物色していたという事だ。
「さて、あの化ネズミを倒さねばなりませんかね。まず聞き取りをして対策を講じねば」
「そうであるな」
灰原の提案に虎之助が賛同した。
戦闘の勝敗は情報の解析力でほぼ決まる。
孫子の「五危」に曰く
『ただ武進(ぶしん)すること無く、以って力を併(あわ)せて、敵を料(はかる)に足らば、人を取らんのみ』とある。
戦場でいきなり猛進するだけではいけない。
まず敵の力量をよく調べ、その能力を把握する事だ。
相手を完全に把握できれば後は敵を攻め取るだけである。
「おっと!ネズミ一匹オイラ一人でお釣りが来るぜ、まぁ見てな」
灰原と虎之助が打ち合わせをしてるのをよそに、黒丸はさっさと屋敷に踏み入って行く。
やれやれ、武芸者でありながら兵法を知らぬとは困った男だ。
扉を開けると黒丸は身を低く取り、音も無くススっと侵入した。
居合は身を低く取り、あるいは座する事で室内戦での利を得る事ができる。
部屋の角には件(くだん)の大ネズミが身じろぎ一つせずに不気味にこちらを見つめていた。
なんだ、逃げもせずに角にうずくまっているだけじゃねぇか、チョロいぜ。
黒丸は足の爪を立てた。
「一気にキメてやるぜ」
黒丸は素早く走り込み、膝を抜くと同時に滑り込み、目にも止まらぬ早業で抜刀した。
いわゆる『縮地』と呼ばれる奇襲技である。
だがネズミはすでに黒丸の抜き付けた刀を飛び越えて頭上に居た。
「なんでっ?!」
屋敷から黒丸の悲鳴が聞こえると扉が開け弾いて黒丸が転がり出て来た。
「ヒイイ!くそっ!やられたっ!」
黒丸のあまりにもあっけない敗北に灰原と虎之助が駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか、ケガは?見せてごらんなさい」
「先生、化け物だ。アイツは化け物だぜ!」
「なんと!…」
「うむ。」
黒丸の言葉に灰原と虎之助は戦慄した。
〜〜猫の妙術06「化け物」〜〜 完
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