第5話 和する心
今にも刀を抜こうと身構える虎之助に向かって灰原は深く頭を下げる。
「いや、つい語り過ぎてしまいました。申し訳ござらん」
「そうはイカン!」
虎之助が構える。
やれやれ失敗した。まだ自分も修行が足りぬと灰原は感じた。
「いや、ご勘弁を」頭を下げたその視界に竹槍の穂先が見えた。
先ほど負けた猫たちが、横から黒丸を竹槍で狙っていた。
「危ない!」とっさに灰原は飛び出した。
「え?」黒丸は全く気づいていなかった。
「む!槍じゃと!」
虎之助はすかさず脇差を抜き、手裏剣に投げようと構えた。
だが灰猫の方が一瞬早く入身して手前のヤクザ猫の槍を引き倒す。
崩れた相手の小手を掴み捻り投げると、相手はドサっと倒れ「ぐう!」と地面の上で唸っている。
「野郎!」「回り込め!」
左右に分かれたヤクザ猫たち二人の槍先が同時に灰原の方へ向けられたが、もうそこに灰原は居なかった。
虎之助は目を見開いた。
「む!『察気(さっき)』か!」
「へぇ『殺気』ねぇ」また黒丸がトンチンカンな事を言う。
「違う、気を察知するという意味で『察気(さっき)』である」
灰原は相手の気を察して先を読んで避けたのだ。
「よっしゃ!一つオイラも加勢して…うおっと!何しやがんでい!」
黒丸が飛び入ろうとした所を虎之助が引き止めたのだ。
「小僧、貴様に面白いものを見せてやる。黙って見ていろ」
「何でぇ面白いものってえのは?」
虎之助はクイとアゴで灰原を指した。
槍が二人かがり。
これは刀剣ですら勝つのは難しい状況であるのだが、灰原は平然としていた。
手前の槍が「ヤァヤァ!」と突き立てる横からもう一人が脇に廻ろうとする。
横の槍が「ある角度」に差し掛かる瞬間、灰原はススっと片方の槍裏へ入身した。
「む!見事な!」虎之助が感嘆した。
死角に入身されると槍は一度引くしかない。
プロの槍家なら外すも自在だが、しょせん素人槍である。たちまち灰原の左手に竹竿を掴まれてしまった。
もう一人も慌てて突いたが、灰原は左手で掴んだ竹棹の先を相手の脇下にあてがい、さらに突き出された竹槍のケラ首を掴み引き付ければ、つんのめる様に手前の槍の上に倒れかかって来る。
二本の槍がお互い重なり合ったまま灰原に掴まれた形になった。
灰原は左右両手で槍を掴んだまま、大きく円を描く様に槍の下を潜り抜けながら捻りかえせば悲鳴が上がった
「ギャア!」「痛てててて!」二人の腕は槍に挟み込まれた形で捻られ、
最初に倒れた槍の上に二人とも投げ飛ばされた。
灰原は槍三人をあっという間に捩じ伏せてしまったのだ。
「やや!これはお見事である」虎之助が思わず叫んだ。
「いったい何が起きたんだ??スゲぇ早業だぜ」
「いや、むしろゆっくりである」
「あ?そんなハズ無ぇだろ!…いや、ゆっくりだった…かな…」
黒丸は何が何だか理解できていない様だ。
確かに灰原の動きはゆっくりにも見えた。
だが早かった。
相手が灰原を捉えて突こうとした時には、もうそこに灰原は居ないのだ。
ゆっくり動く早業。
そんなものは黒丸は考えた事も無かった。
「ようトラさん。これも『気』なのか?」
「ふむ『相気(あいき)』であるな」
「アイキ?」
「敵の気を読み、気を合ッしたのである」
「気を合ッした??」
初めて聞く言葉に戸惑う黒丸に灰原が語りかける
「相手の呼吸を読み、そこに自分の呼吸を添えて乗り合わせて勝つ事ですよ、
どんな強大な力であっても『和(わ)』してしまえば我が力に変わります」
「わ?」
「そう『和(わ)』です。
こちらが戦おうと思わなければ、
相手はこちらの気を察する事も、心を捉える事もできません。
『和』してしまえば、
相手は手ごたえも無く、捉えられず
そして『和』したパワーは相手に戻り乗る。
これが和の力です」
「自分が戦おうと思わなければ、相手は察する事も、捉える事もできない…」
黒丸はつぶやいた。
なるほど、ひたすら『戦い方』ばかりを探究してきた黒丸や虎之助とは全く違う戦闘理論だ。
その様な術理が存在していた事を漠然と理解した。
例の町娘猫を連れて、大がらで彫りの深いガッシリした猫が寄って来た。
「先生がた、ウチの若い者がご無礼を」
「これは元締め」虎之助が脇差を納めて向き直った。
この港町の宿場に集まる流れ者や博徒を束ねる親分だろう。虎之助が世話になっている人物だろうか。風格も押し出しもなかなかの『位取り』だ。
『位取り』は剣の位ばかりでは無い。
身位、心位も重要なのだ。
さすが親分と言うべきか。
「拝見させていただきましたが、皆さま実に見事なお手前で」
言葉使いはずいぶん丁寧だが、目つきは少しも油断は無い。
「あの竹槍はあなたのアイデアですかな?」
「ご明察で」
悪びれもせず元締めは答えた。
「じつは最近妙な噂を聞きます」
「妙な噂ですか?」
「ヘイ、化物ネズミが出るって話なんでさあ」
〜〜猫の妙術05「和する心」〜〜 完
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