第4話「気の先」
大虎猫がジワりと迫り詰めると、黒丸は思わず退いた。
「ふむ…」灰原は息を吐いた。
おそらく黒丸は自分が押し負けて退いてしまっている事に気がついていないのであろう。
向こう気が強く敵を恐れない気概があるのはけっこうだが、自分が何歩進み、何歩退いたか?これを常に「計算」するのが兵法(剣術)である。
ましてや合戦の場で、もし自分一人が退いたら、そこに戦力空白のスペースができてしまう。
敵にそこを狙われたら、左右の味方も崩され、自陣は総崩れになるであろう。
現代でも軍隊などが行進や行列など規律訓練に多くの時間をかけるのはその実戦の『位取り』を形で学ばせるためだ。
まさしく「形は実戦の如く。実戦は形の如し」である
大虎猫が右太刀を振りかぶる。
右片手上段だ。
おそらくあの大虎猫なら、ただの片手上段でも充分強いはずだが、やっかいな事に二刀なので左にも小太刀を構えている。
向かい合えばたいへんなプレッシャーだろう。
もし仮に黒丸が刀を横に斬り払えば左の小太刀が内払いで押さえ、右上段の太刀が頭を打つ。
もし黒丸が上から斬れば左刀が受け上げ、右上段の太刀が脇腹や脚を打つ。
まるで二人を相手にするかの様だ。
黒丸は戸惑っていた。
相手の二刀流に心が縛られてしまった様だ。
「黒丸どの『相手は一人』なのですぞ」
灰原は心の中でつぶやいた。
大虎猫は、さらに右片手上段で上から攻め、左小太刀の中段でジワリと詰め迫ると、黒丸はとっさに飛び退いた。
灰原は眉をひそめた。
「早すぎる…」
彼はとかく『気』が早いのだ。
相手を「早い切ろう。早く抜き打とう」とすれば、その『気』に釣られて、太刀や身体は、ただただ早く動いてしまう。
それでは『逃げ足まで気が早くなる』のは道理だろう。
居合には「遅速は時に随(したがい)て、乱れざるを善(よし)とす」という教えがある。
早すぎると自ら崩れ、遅いと後手に回る。
いくら形通り素早く動いて打ち込んだとしても、相手とのタイミングが合わなければ、形は崩れてしまうものだ。
そして黒丸は「早く狙う」「早く打つ」事ばかりに気を先走らせてしまっている。
考えも無く反射的に気が走り出てしまうのだ。
気が走り出るとは?
例えば、もし仮に鉄砲で鳥や獣を狙ったとしよう。当然ながら弾丸は素早いものだ。
だがいくら素早く撃ったとしても、狙っている気配を鳥や獣が察したら、たちまち逃げ去ってしまうであろう。
気配を察する相手を撃つには、まず
自分が『打とう』とする気配を消して、
相手の動きを捉えつつ気を蓄える。
そして相手の『止まりつづけよう』とする拍子を捉えて、
その一瞬を撃つ!
そうしなければ弓も鉄砲も当たらないものだ。
弓で言う「満を持す」とはこの事である。
黒丸は、あのように飛び回ってしまっては大虎猫にはとても勝てまい。
大虎猫はしっかり黒丸を捉えて、すでに呼吸を見計らいながら間を詰めている状態だ。
そんな相手に無理に遠間から打ち込めば、
相手は競り合う呼吸を読んで、そこに自分の呼吸を乗り合わせて勝ってくる。
これを“敵に力を添えて『合気』す”という。
剣道の基本は、まず『気』を読み合い、拍子を読み合い、変化の呼吸を読み合って、それを制した者が勝つのだ。
大虎猫が上段の構えで、さらに詰め迫る。
黒丸はまた退がってしまう。
「勝負アリか…」
灰原はすでに勝負の成り行きを見て取った。
単純に武具の戦闘力のみで考えれば、長尺刀は強力な武器のはずだ。
落ち着いて間合いを見切って、じっくり長尺刀で強打しながら攻め返していれば、いかに相手が二刀流でも絶対勝てないという話ではない。
黒丸は戦術を変化させる判断力も失ってしまった…という事だ。
剣の判断力を失わせる原因は何か?
それは迷いである。
「黒丸どのは、間合の変化に戸惑って囚われてしまったようじゃな」
黒丸は知らず知らずに追い詰められ、ついには背後の壁にぶつかってしまう。
「あっ!」と黒丸は声を上げた。
灰原は二人の勝負の間合にズカズカと無造作に入って行った。
真剣勝負の目の前に平然と入り込んで来た灰原を見て大虎猫は驚いた顔をした。
黒丸の方は心無しか青ざめて見える。
灰原は振り向いて大虎猫に聞いた
「あなたの勝ちですな。…お名前は…」
「ふむ」大虎猫は両刀を下ろした。
「吾輩の名は新田虎之助である」
「なるほど、されば丹羽(にわ)どのも、これでよろしいですな」
「チキショウ!」
と、黒丸はヤケクソで叫んだ。
「ああ!分かったよ!…参った!敵わん!」
黒丸は素直に負けを認めて刀を納めた。
「ガチャッ」と鞘鳴りの音が聞こえた。
先ほどとは打って変わって雑な納刀の所作である。
灰原は黒丸の所作を観察し、心境を読み取ってしまう。
(だいぶムラのある性格か…いや、心根が表に出てしまうタイプなのだろう。良くも悪くも素直な若者だ)
「ふむ、殊勝なり」
大虎猫こと新田虎之助も刀を納めた。
見かけによらず堂々の風格で静かに納刀をする。よく基礎鍛錬と平常心を練り上げて来た証拠だ。
これは見事だ。
「気攻めですな」灰原は虎之助に声を掛けた。
「むははは、さよう。気合で攻め崩し、気で動きを封じ、気で圧倒すのだ」
黒丸も話に加わった。
「分かんねぇな…なぜ俺の爪はアンタに届かなかった?」
虎之助は悠然と答えた。
「それはお前が『先』を失ったからである」
「俺の早さなら先に切れたはずだぜ?」
「なら覚えておけ『気』は刀より早いのである」虎之助が言い切る。
「あ??『気』がオイラの刀より早い?」
黒丸は理解できて無いようだ。
そもそも黒丸が『気』を理解できているのかが怪しい。
「気は刀より先に、相手に攻め働くという意味ですよ」灰原が補足した。
「左様(さよう)。おヌシが切ろうと考えれば、体が動くその前に「切る気」の兆(きざ)しが現れる。
その「切る気」を我が眼、我が腕、我が切っ先で、先に先にと制する。
これが気の『先の勝ち』なのである!」
「んじゃあ次からはササッと避ければいいか」
「ムダだ! 我が眼、我が腕、我が切っ先、そして全身から発する『気』は、四方からお前の周囲を攻め、覆い尽くす!
まさに大河のごとき気の奔流!
それこそ孟子のいう『浩然の気』なのである!」
はて?『孟子の浩然の気』とはそのような激しい感情的なものだったであろうか?
灰原は少し首を捻った。
あくまで虎之助なりのイメージでの解釈なのだろう。
「わかんネェな?何で『気』なんて何も無いモンで攻撃できるんだ?」
黒丸がようやく気について考え始めた様だ。
虎之助は嬉々として持論を語り始めた。
「形とはすなわち『気勢』の変化が形を成した物だ。
よって我が気勢の変化は、それ即ち技となる。
この気と体と技の一致こそが剣の術なのである!」
灰原がふと語る。
「なるほど『気は一身の用を為し、物に応ずること窮り無し』と申しますからね」
虎之助は話の腰を砕かれ、少し困惑した顔で灰原を見る。
「ん…ん、さ、さよう。気勢にて敵の気を制する事こそ武芸の行き着く道であるな!」
灰原は虎之助の言動を聞いて、剣の指向が気勢ばかり『気勢』に偏っている様に感じた。
「しかし気押しに頼り過ぎる事には、少し難がありませんかな?」
虎之助は少し眉を顰(ひそめ)る
「難とは?」
「『気ざし』を察して、『気勢』に呼吸を合わせて回り込んで来る相手には、打ち機を合わせる事ができません」
「むははは、それは弱敵ですな!回り込む瞬間を潰せば良い!」
「ですが、そのやり方では敵が先々を為す事も許してしまいますよ」
虎之助は怒りの表情に変わった。
「む!分かりませんな、じっさいに見せていただかないと」
虎之助は再び身構えた。
「しまった!」灰原は久しぶりに『気』について語り合える相手に出会い、思わず言い過ぎた事に気づいた。
無用なる 手詰の論を すべからず
無理の人には 勝ちてせんなし
〜〜猫の妙術04 「気の先」〜〜 完
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