第2話 出会い
利根川と江戸川の分岐点、キラキラ光る水面に映る河岸には高瀬舟が連なり、荷物を満載した荷駄馬が行き交い、飯を食わせる屋台が並び、関宿城下の宿場街は賑わっている。
そんな街の中も猫たちの世界があった。
猫にだって魚屋猫もいれば、猫僧侶もいる。
猫百姓もいるし、猫医者もいるし、猫侍もいる。
さて、この猫の世界の宿場町の中を、長い大太刀を担いだ黒猫が歩いていた。
流れ者だろうか、着ている着物はボロボロで両袖が無い。
身は痩せて引き締まり、顔は尖り、精悍な表情をしていた。
身の丈に近い長大な刀は、かなりの重量になるので抜き差しするにも苦労するはずだ、とても常人が扱える様な長さではない。
この黒猫、かなりの腕利きのサムライの様だ。
「お願いです、おやめくださいまし」
「待てよ姉ちゃん。いい女じゃねぇか」
華やかな三色の着物を着た若い町娘の三毛猫がヤクザ風の男猫たちに絡まれている。
精悍な黒猫が声をかける。
「おう!ちょっと待てや!」
その時にはすでに担いでいた長刀を腰に差している。一瞬の早業、無駄のない所作だった。
「ほう…」
通りの向かい側で見ていた灰色猫の灰原十郎は黒猫の早業に感嘆の息を出した。
刀を腰に差す。
剣術の術理や強弱とは何の関わりもない所作に思えるものだが、名手にはそのような“見えない所作”に味わいが出る。
味の無い所に味が出る。これが武芸の妙味である。
黒猫の技は素晴らしく見事だった。
「なかなかの好漢だ。鍛えてはいる様じゃが、まだ少し…」
灰原十郎は小柄な体躯(たいく)で、総髪(そうはつ)に流した髪もだいぶ白くなっていたが、まだまだ老いたというほどの歳ではない。
一瞬のうちに黒い若猫の風体(ふうてい)や仕草を観察し、戦いが始まる前に黒猫の手の内を観て取っていた。
彼の黒猫の着物に両袖が無いのは、長大な刀の柄が袖に絡まない様にするためだろう。
少し着崩れた感じなのは長い刀の鞘が抜き易いように帯に緩みを付けているためだろう。
長い刀を肩に担いでいるのは鞘の鯉口(こいくち)が緩んで抜け易くしているからだろう。
刀がスッポ抜けてしまわない様に、刀を上に向けて落とし差しにして担いでいるのだろう。
歩くさいに一瞬、爪先立ちに伸び上がるのは遠間からの早業を使うためだ。
灰原からすれば、ただの抜き差しの所作を見ただけで黒猫の修行歴や剣法の志向、剣の正邪について大凡(おおよそ)の察しがついてしまうものだ。
剣は礼に始まり礼に終わるとは言うが、些細な所作でその人がどの様に剣に向き合って来たか?が全て読み取れてしまう。
言い替えればこの黒猫の戦闘スタイルは長大な刀に特化したものと推察できる。
「ふむ、彼の兵法は少し道具に頼るところがある様じゃな」
街中のケンカなら、それで良いかもしれないが、いくら強くとも剣の“道”から外れていては“武道”とは呼べない。
灰原はやや残念な結論を出した。
「まず彼は長い刀や早業などに頼らず『正攻法の兵法』を学ぶべきだろうな…」
気概(きがい)ある若者が自己流に奔(はしる)のを灰原は惜しんだ。
剣術などの武芸を兵法と呼ぶ。
兵法と言えば、孫子の『兵は詭道(きどう)なり』など、曲者(くせもの)が使う卑怯な戦術を兵法と呼ぶイメージが先行しがちだが、
兵法とは表で攻めて裏で勝つ様な、そんな小賢(こざかし)い芸事ではない。
孫子の一番最初に書かれている教えとは、
人の世の「あるべき道」の重要さを指し示している。
道とは、つまり『道・天・地・将・法』の正しい法則が一つに合っする事によって発生する『道の力』の事だ。
この『道』の法則から発生するパワーこそ武芸の正道であると灰原は考えている。
武芸を修めるには、まず正道を徹底して修めて勝算の道筋を創り上げる事だ。
その正道あってこそ、初めて詭道が生きる。
兵法とは表裏一体の道なのだ。
人より長い刀や小道具や早業などの詭道ばかりで勝とうとしても「道の力」は発生しないものだ。
灰原は孫子の教えをそう読んでいた。
ふと、ただならぬ気配を感じた。
灰原が路地裏へ振り向くと、複数の目つきの悪い猫どもが、路地に隠れるようにトラブルの成り行きを見守っていた。
「あのヤクザ猫の仲間か…」
おそらく彼らが束になってもあの黒猫には勝てないだろう。
「だが…」
その奥には巨体の虎猫がじっとたたずんでいる。
巨体の虎猫身じろぎせずに黒猫を睨んでいた。
「あの『位取り』は…只者では無いな」
灰原は少し息を呑んだ。
位取りとは剣の構えの根本をいう。
心・技・体。つまり
乱れ無き心構え、
攻防一体の剣技の理法、
不動自在の体勢、
これらが一体となった状態が『位』であり、
その『気勢』が形として現れたものが構えである。
あの大虎猫の気勢はただの武辺者では無い。
ただ気張っただけでは気のコントロールはできないものだ。
気勢の術理を掴むためには、ひたすら正しい格法(かくほう)を練り上げるしか無い。
心を練り、技を枯らし、身体を叩き上げる。
その結果が剣の『位』となって現れるのだ。
「なぜあれほどの剣士がチンピラの仲間に…」灰原は眉を顰(ひそめ)た。
「野郎!」というヤクザ猫たちの怒号が聞こえた。キラリと抜き身の刀が光る。
黒猫は長い刀を居合に抜きざまにヤクザ猫たちの刀を打ち払う。
返す刀で左へ切り上げて隣のヤクザ猫の刀を跳ね飛ばし、
流れた切っ先を捻り回して棟打ちで端のヤクザ猫の刀を叩き落とした。
「これは見事だ」
灰原は感嘆の声を上げた。
力み無くムダも無い一瞬の早業である。
打たれた側は何が起きたか分からず、刀を落とし呆然としている。
今の術を見切れたのは灰原と…もう一人。
路地を振り返って見れば、あの大虎猫の顔が少し緩んでいた。満足そうにも見える。
やはりあの虎猫は、なかなかの武芸者の様だ。
〜〜猫の妙術02「出会い」〜〜 完
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