第4話 Q.E.D.証明終了
僕は今まで、練習では基本的なピッチャーの練習をしていた。投げ込み、走り込み、ウェイトトレーニングを初めとした基本的なメニュー。ただ、僕はそのほぼ全てを、ナックルの練習へと切り替えた。
このチームではピッチャー練習にかなりの自主性を与えている。各々が個人の課題に取り組む姿はほぼプロ野球だ。それが僕にとっては好都合であった。
準備運動が終わったら、まずはナックルの握りで軽く集球ネットへ向かってスローイングを行う。ここでの目的はリリースの感覚や動作の確認。
次はマウンドから。ここではナックルの精度向上がメイン。あの高速ナックルを10球中10球投げれるようにするため、投げまくる。通常のストレートや変化球と違い、肘の負担はほぼ無い。だからこそできる芸当だ。
それが終わり次第、トレーニングに入る。上半身、下半身、体幹。全てをバランス良く鍛える。うちの学校にはOBの寄付で10年前に建てられたジムがあるので、それを利用させてもらっている。ボディメイクはナックルのスピード向上、制球の安定など、全てに活かすことが出来る。
とまぁ、大体こんな感じの練習メニューだ。守備連携やバッティング練習などで投げる際は普通の投げ方にしていたが、それ以外はほとんどナックルしか投げてない。何せ、寿さんが『全てを捨てろ』と言ってたくらいだし。
そして毎週月曜日のオフは寿さんとの練習。これが最も成長出来る。願わくば毎日やりたいくらいだったけど、しょうがない。
春の大会が近いことも追い風だった。個人練習が増え、なおかつ練習試合も少ない。僕みたいなベンチ外が自分の技術を磨くのには最高の期間だ。
そんなこんなで1ヶ月が経過した。チームは地区予選を無事に勝ち進み、3週間後に控えた県大会への切符を手にすることが出来た。
ただ、僕にはそんなこと関係ない。一応県大会ではベンチメンバーを変更することができるが、今の僕がベンチに入れるとは思えない。だから、今日もただひたすらに鍛錬を積む。
それは試合の翌日の日曜日のことだった。前日の疲労が残っているだろうと、レギュラーメンバーが各々軽めの調整練習をしている中、僕は1人でマウンドからの投球を行っていた。
「ん? 上井、何を投げている」
その時、突然近くを通りかかった監督が声をかけてきた。
「監督……」
そうか、知らないんだ。最近は学期末であんまり練習来れてなかったし、来れたとしても一軍の選手の方へ行っちゃうからな。参ったな、一言言っておくべきだったか。
「な、ナックルボールを投げています」
「ほう。投げてみろ」
参ったなぁ……一応そこそこのボールを投げれるようになったけど、まだ完璧じゃない。でも、ここでいいボールを魅せれれば猛烈なアピールに繋がる。やるしかない。
僕は振りかぶり、投球動作に入った。
最近気づいたことがある。より良い高速ナックルを投げるには脱力が大事だと。スピードを出すのにもコントロールをつけるのにも、まずは脱力。力を入れるのは最後、球を押し出すときでいい。
その事を頭に入れたまま、僕はボールを放った。指によって弾かれた白球は限りなく少ない回転とそれに見合わぬ速さで進んでいき、不規則な変化を見せながらネットへ到着した。成功だ。
「このナックル、誰に教わった」
監督は驚いたような顔、それでいて小さくつぶやくような声でそう言った。
「河川敷で出会った寿さんという方です」
「寿……そうか、通りで」
「?」
監督、もしかして寿さんを知っているのか?
「おい
「はい、なんですか」
監督が呼び出したのは、うちのチームの絶対的4番である白木さんだ。この前の試合でも豪快な1発を放っており、県内屈指の長距離砲と呼ばれている。
「お前、上井と対戦してやれ」
「え」
おいおい、冗談だろ。まだナックルは完成してないのに、白木さんと対戦!?
「りょ、了解しました……」
白木さんも困惑してる。当たり前だ。何で僕みたいな二軍の補欠とやらなきゃいけないんだよ、って思うのは。言わなきゃ。
「監督。僕のナックル、受けてくれるキャッチャーがいません」
「俺が取る。お前はただその球を投げ込めばいい。いいな?」
「えぇ……」
おいおい、どうなってやがる。
――
「さ、来い」
マウンドに立つ俺。視線の先にはどっしりと構えた白木さんと、キャッチャー防具を着けた監督。あまりに奇怪な光景に、周りから野次馬が集まってくる。
監督は多分、僕のナックルがどれだけ通用するかテストしたいんだろう。でもあいにく、僕はまだそこまでのレベルに達してない。白木さんを相手取るなんて。
それでも投げる以上、結果を示さないといけない。監督はノーサイン。つまり、ナックルを投げてこいということ。ストレートやカーブといった小細工はいらないってことだ。まぁ、それを投げた所で打たれるだけだが。
「ふぅ」
息を吐いて、覚悟を決める。僕は落ち着いた心持ちのまま、第一球を投じた。
ボールは高めに浮いた。ただ、この回転なら――
「む」
白木さんは肩の高さから真ん中に落ちたのを見て、手元を止めた。おそらく、こんな奇妙なボールが来るとは思ってなかったのだろう。緩い変化にしては速く、速い変化にしては曲がりすぎ。初見殺しが決まった形だ。
「ストライク。さぁ、どんどん投げろ」
まず1つ、ナックルを決め切る。今の反応を見た感じ、やはり初見のナックルを対応出来るバッターは限られてくる。つまり本当の勝負は次から。
僕はナックルの握りをグラブの中で作り、2球目の準備を開始した。
だが、僕は気づいていなかった。次の球にかける緊張感が、身体に余計な力を与えていたことに。
「くっ!」
ガチガチのフォームから放たれたボールは中途半端な回転を示した。球速は確かに速い。ただ、いくら速いと言ってもそれは俺の中での話だ。変化しなければただの絶好球。
「せいっ!」
豪快なスイングに捉えられた球は、まるでピンポン玉のような軌道で飛翔する。
しかし、少しタイミングが早まったか。大飛球はレフトポールの外側へと逸れ、グラウンドの外へと飛び出していった。
「捉えきれなかったか……」
「ふぅ、アブねぇ……」
コンマ数秒ズレてたらどうなっていたのだろう。本当に、助かった。
「2ストライク。決めにいけよ」
監督がそう優しく声をかけてくれた。そうだ、僕は今追い込んでるじゃないか。つまり、心理的には向こうの方が勝っているかもしれないけど、事実として有利なのは僕の方。それなのに、何を気負う必要があろうか。
僕は監督から受け取ったボールを再び握り直し、白木さんの方をギュッと見据えた。
思い出せ。ナックルの感覚を。完成系のナックルで相手を抑える。そのために全てを捧げ、この1ヶ月間練習してきたんだろう。
力を抜き、ゆったりとしたフォームで腕を上げる。そして、足、中、肩へと着実に力を伝え、右腕を回す。
肩口から、ボクシングのストレートを撃つように。そして、球に立てた3本の指で思い切り弾き飛ばす。
瞬間、僕の身体に流れる電流のような感覚。何かがバッチリハマった時のアドレナリン。来た、来た。来た!
「いけぇぇぇぇ!」
僕の指から離れたボールは、リリース時と変わらぬ面をこちらに見せたまま、前へ前へと進んでいく。今はまだ胸の高さ。でも、これでいい。
「もらった」
落ちるナックルに起動を合わせ、白木さんは縦に振り上げるようなスイングに変えてきた。フォークや縦スライダーなら、このスイングで1発だろう。ただ、僕のボールは違う。僕のナックルは生きている。
「なっ」
自分のスタイルを捨て、僕の球に合わせるようにしたスイング。それを嘲笑うかのように『本物のナックル』は外角へと逃げていった。まるで、あの日の寿さんのように。白木さんのバットが空を切り、ミットの乾いた音がグラウンド内に響き渡った。
「ナイスボールだ、上井」
監督は笑顔を綻ばせそう言った。それを見て、僕はなんだか無性に嬉しくなった。
あ、そっか。これが、これこそが野球をやっている理由だったんだ。ようやく思い出した。
自分が努力したことが結果に繋がり、誰かからの賞賛を受ける。それこそが、僕を野球から離さない理由だったんだ。
「なぁ、上井。今度の土曜日、間桐学園との練習試合あるよな。そこの最終回、お前行くぞ」
「!」
間桐学園、か。今までの僕ならここで『そんなの荷が重い』とでも言ってたんだろうな。でも、今の僕はそんなこと言わない。言うのは、1つ。
「任せてください!」
これしかないっしょ。
「監督! 俺にも上井のナックルを打たせてください!」
そんな光景を見て他の選手にも火がついたのか、野次馬がチャレンジャーとなって俺の元に集まってきた。
「おお、いいぞ。どんどん来い。いいよな、上井」
「はい! もちろんです!」
結局、その日は練習が終わる12時まで、ひたすら腕を振り続けた。高校野球を初めてから今に至るまで、ここまで楽しかった日はなかった。
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