第2話 魔球との出会い

「あ? 誰だてめぇ」


「名乗る程のものじゃない。で、高原だっけ。俺とも闘ってくれよ。このグラウンド、使いたいんでね」


 突然現れた男はそう言って、誰もいないマウンドへと向かっていった。引き締められた若々しい身体に白髪混じりの短髪。一見相反する2つの要素だが、男の場合はそれが独特の威圧感へと昇華されていた。


「ほーん、いい度胸じゃん。いいぜ」


「ありがと。おい、そこのキャッチャー。俺の球取ってくれよ」


「りょ、了解です」


 無謀すぎる。このおじさんがどれほどの技量かは分からないけど、相手はあの間藤学園だぞ? 


「肩慣らしは結構。じゃあ、行くぜ」


 三浦は渋々座り、キャッチャーミットを構えた。それを見たおじさんは大きく振りかぶって足に体重を乗せる。


 このフォーム。ただものじゃない。もしかしたら、とんでもないボールを投げるんじゃないか。


 おじさんの手からボールが離れた。遅い。カーブか? いや、カーブにしては様子が変だ。


 もしかして、ただのスローボール? そんなんじゃ、こいつは抑えられないぞ。どういうことだ、おじさん。


「もらったァ!」


 ダメだ。捉えられる。結局、抑えられるわけが無いんだ。僕たちのような弱者では。


 バットがボールに衝突する、その間際。


「……っな」


 まるでバットから逃げるようにしてボールが『揺れた』。高原のスイングは見事に空を切る。なんだ、この球。


「うわっ!」


 三浦が捕球をミスった。ただのカーブなら、俺ので取り慣れてるはずなのに。


「へへ、もういっちょ行こうか」


「舐めやがってぇ!」


 おじさんはさっきと変わらない様子でボールを握り、手馴れた様子でリリースした。


 ただ、これは抜け玉か。何せ、顔の高さまで上がってしまっているのだから。


「このヘボボー……」


 奴のフォームが緩んだ瞬間、ボールはまるで他所から力を加えられたかのような角度で落下し始めた。それは有り得ない軌道を描きながら落ち続け、遂にはど真ん中へと突き刺さった。


「す、ストライク!」


「は、は、はぁぁぁぁぁ!? なんだ今の球!」


「おー、危ねぇ危ねぇ。持ってかれるとこだった。じゃ、次で終わらせるわ」


 僕はひょっとすると、今、とんでもない光景を目にしているのかもしれない。こんな凄い変化球を投げる投手に、まさかこんな所で会えるとは。


 せっかくだ。何か、盗めるものを探さなきゃ。見逃すな。偏差値だけは高い沼津南の名にかけて。


 おじさんのフォーム、それ1つに照準を合わせる。球が飛んできたら、なんてことは考えない。そんなこと、ないのだから。


 おじさんの腕の振り。球の握り。全てを見逃すな。


 凝視したことで、初めて分かったこと。球を、まるで拳のように握っている。そしてリリース。通常、ピッチャーは回転をかけるため、上から下へ振り下ろすように投げる。ただ、おじさんは違う。ボクサーのストレートのように、肩口から真っ直ぐ、三浦のミットへ向けて突き出している。


 そこから放たれたボールは、無回転。肉眼でも、縫い目がくっきりと見えるほどに。


「ナックルボール……」


 無回転という状態が生み出す不規則な変化。投げた本人すら、どう曲がるか分からない。まさに『実在する魔球』。それこそ、ナックルボール。


「ぐわっ!」


 曲がりに曲がったボールは奴から逃げるように外角へと消えた。キャッチャーですら取れない魔球を、バットなどで捉えれらるわけ、なかった。


「ほい、三振」


 マウンドから高原を見下ろす。その顔は勝者の者だった。


「く、くそ! 覚えてろよ!」


 高原は仲間を引き連れ、自転車に飛び乗ってその場を去っていった。


「あ、あの……ありがとうございました」


「例には及ばないよ。俺はただ、みんなのグラウンドを守りたかっただけだから」


 三浦が感謝を述べる中、僕は全く言葉を発さなかった。それよりも、おじさんが投げるナックルボールに僕の心は奪われていた。


 おじさんはあの打席、全てナックルを投じた。あの速度の変化球を3球も続けるなんて、たまったもんじゃない。


 それでも抑えられるのだ。ナックルボールという魔球なら。


 僕がチームで投げるには、これしかない。僕に残されたの道は、これしか。


「じゃ、俺はそろそろ帰るから」


 まずい。ここを逃したら、二度とチャンスは来ない。そんくらい、自分で掴めよ。なぁ、僕。


 思いを伝えろ。自分の野球にかける思いを。大好きな野球を、やるんだろ。


「あ、あのっ!」


「ん?」


「僕にナックルを、教えて頂けませんか!」

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