ザ・ナックルズ
大城時雨
第1話 揺れ続ける僕の人生
握りしめた白球。目の前には大柄のバッター。僕はただ1人、荒れたマウンドに立っていた。カウントは2ボール2ストライク。2アウトでランナーは2塁。1点差の9回裏。一打打たれたらその時点で……。
打たれてたまるか。せっかくみんなで繋いだリードを僕が途絶えさせるなんて、あってはならない。
眼前に座るキャッチャーがサインを出す。カーブだ。確かに、この大きなバッターに投げるならそれが1番だろう。
グラブの中で手を動かし、握りを変える。人差し指・中指を縫い目にかけ、そのまま残りの指で支えるのが、僕流のカーブ。これで抑えられなきゃ、終わりだ。
ランナーのせいで、腕を大きく振り上げてのワインドアップは出来ない。投球動作を省いたクイックで投げなければ。
僕は意を決して、右足を大きく踏み出し腕を振り下ろす。
瞬間、僕の手に襲いかかった違和感。何かがするりと抜けるかのような。手汗だ。
精密な制球力を失った棒球はそのまま、彼の1番の得意コース、ど真ん中へ。
大飛球が頭上を通過し、スタンドに突き刺さった。
――
「ドンマイ、
「悪いな、三浦。お前のリードは完璧だったのに」
帰り道、自転車を漕ぎながら僕は親友でありキャッチャーの三浦と話していた。
「いや、あそこでカーブはなかったな。俺のミスだ」
「そんなわけあるか。カーブ以外に何があるって言うんだ。僕の持ち球の内、抑えられる確率が高いのはカーブ。それを完璧に操れないようじゃ、一生Aチームなんて上がれないよ」
僕の武器は精密なコントロールだ。その反面、それ以外は全て平凡。ストレートは120kmちょっとしか出ないし、カーブもスライダーもちょこっとしか曲がらない。だから僕は今、Bチーム――二軍の3番手投手。
僕の所属する高校、県立沼津南高校は県有数の進学校であるが、同時に野球も盛んだ。チームの実力で言えば中堅。甲子園は1950年の出場以来遠ざかっていると言うのに、入部者は多い。1、2年生合わせて、部員は30名。一ヶ月後に控えた入学式では、更に部員は増えるだろう。
そんなチームだから、投手もそこそこ多い。6人だ。そんな中で、僕は6人中6番目。いくらまだ1年生だからと言って、これはあまりにもお粗末だ。俺以外の1年投手2人は、もう一軍でも投げているというのに。
「……確かにな。俺ら、一生このまま二軍なのかな」
三浦の問いかけに、僕は答えられなかった。こいつもまた、最終回にお情けで得る出場以外、1度も使われたことは無い。ずっとブルペンでピッチャーの準備の手伝いをしてるだけだ。
このまま行ったら、今日みたいな練習試合でしか投げれない。それも2試合目、二軍戦でだ。進級して2年になろうが3年になろうが、いつも日の目の当たらない場所で、半ば敗戦処理のようなことをやらされるだけ。
「そんな野球人生、ごめんだね」
口ではそう言いつつも、具体的な手立てなど、あるはずがなかった。
僕は野球が大好きだ。初めてボールを持った2歳の頃から、今に至るまでずっと。野球のことを怠った日は1日もない。毎日壁にボールを投げ込んだ。毎日走り込んだ。それでも、みんなより伸びは遅くて。小学生の頃からずっと、1番手にはなれなかった。僕には、センスがなかった。
試合に出なくても、野球は楽しい。ただ、それじゃやっぱりつまらない。
「そうだ、こんな時は河川敷グラウンド行こうぜ! 俺も今日はまだ打撃練習出来てないからさ。ちょっと投げてくれよ」
「お、いいねぇ」
河川敷グラウンド――それは俺と三浦が幼い頃から利用しているお気に入りの練習場所だ。野球を始めたきっかけの地でもある。
「じゃ、行くか」
俺はペダルを回す速度を上げ、変わり始めの信号を突っ切った。
――
「さぁ、まずはキャッチボールでもしよう」
「そうだな」
いくら試合後とはいえ、1度冷えた肩を温めるにはアップをしなければ。試合では30球程度しか投げてないから、肩の重さは無い。
球を指にかけ、スナップをかける。ただ、やはりスピードはない。こんなボールじゃ、抑えられるものも抑えられないよな。
「そろそろいいんじゃないか」
「こっちはOKよ」
俺はそう言って、三浦の方へゆっくりと歩を進める。周りに人はいない。これなら打撃も出来そうだ。さぁ、やろう。そう思い、ホームベースの方へと向かったその時だった。
「おいおい、一体どなたさんがこのグラウンドを使おうってんだい?」
突然、背後から聞こえた不快な声。俺は振り向いて声の主を確認する。そこに居たのは、髪の毛を逆立たせ、金色のバットを手にする目つきの悪い青年だった。
「このグラウンドは俺、高原が使う。だからお前らは退けよ」
高原がそう言うと、後ろから数人の坊主が顔を出した。同じ部活Tシャツを着ているため、こいつと同チームなのだろう。
「ここは皆で共有して使うグラウンドだ。一緒に使おうってなら分かるが、退けってのはどういうことだ?」
三浦がその顔をしかめながら低い声で言った。
「お前らみたいな雑魚には使う権利はないってことだよ。お前らと俺ら『間藤学園』には天と地ほどの実力差があるって事、分かる?」
「ま、間藤学園だって!?」
激戦区静岡において一際目立つ存在感を放つ強豪、間藤学園。その打撃力は県内屈指で、春は東海大会にも出場している。そんな高校の選手が、どうしてここに。
「それなら1打席勝負で決めよっか? そのグラブ見るに、君ピッチャーでしょ? やろうよ。俺のヒットで勝ちね」
僕達にかなり有利な条件だ。1打席でヒットを打つのはかなり難しい。
だけど、僕には無理だ。間藤学園の打者が相手だぞ? 僕のような雑魚ピッチャーじゃ、相手にならないに決まってる。ここは引くべきだ。
「ああ? 舐めやがって! 受けてやるぜ。なぁ、上井!」
ああ、馬鹿。三浦の馬鹿! こんな奴に挑むなんて、頭おかしいんじゃねぇか!
「お、いいねぇ。じゃあ早速やろうか」
ちくしょう、こうなったらやるしかねぇ。僕は覚悟を決め、マウンドへと向かった。
三浦が出すサインを覗き込む。出されたのはストレート。いやいや、僕の球じゃ打たれるに決まってる、そう言いたげに首を振った。
次に出してきたのはスライダー。……まぁ、これしかないか。カーブを投げるのは怖ぇからな。
僕のゴミスライダーじゃ、空振りは取れない。だから、打ち損じを願うしかないんだ。情けない話だが、しょうがない。
祈りを捧げ、ボールをリリースする。コースは悪くない。真ん中だが、低めに落ちる形。さぁ、引っ掛けろ。
「おらよ!」
そんな僕の思いも虚しく、白球は閃光にも似たスイングに巻き込まれ、こめかみの横を通過しセンターへと抜けていった。
「く、くそ……」
分かっていた。勝てない勝負だと。でも、ここまで完璧に打ち返されると、流石に悔しさが湧き出てくる。
「ははははは! さっさと消えな、ウスノロが!」
悔しい。悔しい。悔しい。このままじゃ、いつまで経っても僕は弱いまま。
変わりたい。変わらなきゃ。でも、どうやって。心の中に黒く炭化したゴミが積まれていく。
あれ、そういえば俺、なんで野球やってるんだっけ。
「よぉ兄ちゃん。次は俺とも対戦してくれねぇか」
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