第31話 父と子の会話
由美と銀次の住む部屋をあとにした真人と康臣の2人は、駅に向かって夜道を歩く。
「今日、なんで怪我したの。そんなにやばい犯人だった?」
「犯罪を犯す奴は大抵やばい」
「そうだけど……」
そういうことが聞きたいわけではない。真人は唇を尖らせて、押し黙る。康臣は不機嫌な真人の態度にくすりと笑って、言う。
「父さんがドジっただけだよ。犯人の抵抗が思ったよりも激しくてね」
「…………ふうん」
真人はまだ少し不機嫌で、ちらりと父の横顔を見ると、わざと興味がなさそうな声で相槌を打った。
「浜野署長も、この近くに潜伏しているとわかったら取り乱してしまったので、余計に気合いが空回りしたというか……」
銀次は娘のすぐそばに犯人がいるかもしれないと思って、取り乱したそうだ。本来なら警察として何時いかなる時も冷静でいるべきなのだろうが、娘に危険が迫っているとなれば、父として取り乱して当然とも言える。真人はそう思った。
「人のせいにするわけ」
「そういう意味じゃないぞ」
子どもを持つ者として、康臣は銀次の動揺がよく分かった。同情心から気合を入れて犯人確保に尽くしたが、それが少し失敗しただけだ。康臣はそう思って言った。自分が勝手に空回っただけだ。と。
「ふうん。痛い?」
「かすり傷だ。痛みなどないさ」
病院でしてもらった手当ても、すぐに終わった。犯人が他人の血がついたナイフで康臣を切り付けたものだから、念の為に診てもらっただけなのだ。
「そう」
真人は未だに素っ気ないようなフリをしているが、声が少しだけ弾んでいた。父の言葉に安心したのだ。
泰臣もそれに気づいて、スっと真人に身を寄せて小さく笑う。
「素直じゃないなあ。真人は」
「うるさい! 早く帰って寝るからね!」
真人はそう言って、本当に父親を置いて早足で駅まで歩き去って行く。とは言え、父がきちんと着いて来ていることは確認済みだ。
。。。
真人達が帰ったあとのリビングでは、由美が紅茶を飲んで寛いでいた。銀次には酔い醒ましのハーブティーだ。
「そう言えば、お父さんって北川くんのお父さんよりも上の階級だったのね」
由美がふと顔を上げて言う。自分がいつも真人の世話になっているから、勝手に父親同士もそうなのでは。という先入観があったらしい。
「ん? ああ……。そうじゃなかったら北川くんだなんて呼べないよ。彼の方が歳上だし」
銀次はハーブティーを飲みながら、言う。
「そうなの?」
「ああ。確か2つほど上じゃなかったかな? 俺が今年38だろ? で、北川くんは……。今年で40ピッタリ。の、はずだ」
銀次は指を折って、自分と康臣の年齢を数えている。
「へぇ……」
「彼もそろそろ出世していいと思うんだけどね。警部になったのは彼がまだ30代前半の頃だったし」
「お父さんもそれくらいだった?」
由美は父の職業について、あまり詳しくは知らなかった。警察であること。柔道大会で強いこと。捜査よりも、書類仕事の方が多い事は知っているが、経歴などはまるで知らない。
父の答えを、ワクワクしながら待っている。
「俺はキャリアがあったから、最初から警部補だったんだよ。警部のひとつ下ね」
「そっか。凄いのね」
由美は自分の父親が優秀だと知って、更に尊敬の眼差しを強めた。
「北川くんも警部になったのは、なかなか若い歳だったんだぞ。昇任試験を受けられるだけの実績もあるし、そのうち昇格してるかもしれないなあ」
なんて、銀次は自分の事のように楽しそうに話している。
「お父さんも、試験受けたらもっと偉くなれる?」
「ん? そうだなあ。由美ももう大きいしな……」
「え?」
「こっちの話だ」
今の銀次は警視正なので、次階級が上がったら警視長になる。今は由美のために家からさほど遠くない警察署の署長をやらせてもらっているが、昇格したら本部勤めに戻るかもしれない。文句を言える立場では無いが、娘を家に一人にすることが多い銀次としては、実はあまり乗り気ではなかったりするのだ。
「そっか。お父さんも頑張ってね」
「ああ。ありがとう」
銀次はそう言って、誤魔化すように笑う。
「それにしても北川くんのお父さん、優しそうな人だったなあ」
「そうだね。面倒見のいい人だよ。部下にも慕われている」
「ふふ。北川くんに似てた」
「彼も優しい人だよね? 由美はいつも面倒をかけているようだし」
父に苦笑され、由美は恥ずかしそうに頬を膨らませる。面倒事ばっかりじゃないぞ。と思ったが、本当に今まで面倒ばかりかけてきた気がする。
最初のナンパから始まって、鞄は…向こうが先に取った気がする。しかし、体育祭では確実に迷惑をかけた。異性に抱きついてしまうだなんてはしたない。とあの後暫く恥ずかしかったのを思い出す。テストの時も、直接教えてもらったどころか、チャットでもたくさん質問をしてしまった。
由美は今までの出来事を思い返して、眉を寄せた。何か、こちらも役に立つというところを探したい。
「雨宿りとか、ご飯とか。私もちょっとはお返ししてるもん」
頑張って捻り出しても、このくらいしか真人にしてあげられていない。そう思って、由美は途端にやるせない気持ちでいっぱいになった。もっと真人に何かしてあげたいと思うが、何をしたらいいだろうか。
「ふふ。そうだね。由美はいい子だ」
由美はポンポンと子どものように頭を撫でられ、悩みが吹き飛んだ。
少し褒められただけで、由美の機嫌はすぐに直ってしまうのだ。「ふふん」と鼻を鳴らして、「そうでしょう」なんておどけている。我が娘ながら単純だ。と思いつつ、父親としては素直に育ってくれて嬉しいと感じた。
「彼のおかげで男嫌いも直りそうか?」
「北川くんは優しいし、悪い男の人ばっかりじゃないのは分かってるよ。でも、昔意地悪された事は忘れてないもん!」
由美はそう言うと、またぷっくりと頬を膨らませる。
「小学生なんてそんなもんだ。女の成長は早いが、男はそんな女性に追いついてからが本領発揮だぞ」
「ナンパをするような人は、北川くんを見習えばいいと思うの」
銀次は、また少し拗ねてしまった由美を見て苦笑し、くしゃっと頭を撫でてからカップをテーブルに置いた。
「俺はそろそろ寝るよ。由美も夜更かししないようにな」
「はあい」
由美は紅茶を一杯だけおかわりしてから、お風呂に入る。一瞬お風呂で寝かけたが、無理やり目を覚ました。
お風呂から上がったあとは、すぐに長い髪を乾かす。そして、やっと寝る準備が整った。部屋のベッドにポスンと体を埋める。
「…………」
由美は今日の出来事を思い出しながら、そのままゆっくりと瞼を閉じる。深い深い眠りに落ちていった。
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