第27話 避難

 それからはずっと、大会繋がりでお互いの部活について会話をして、盛りあがっていた。


 もうじき暗くなるので、そろそろ家に帰さないと。真人がそう思っていた矢先に、由美のスマホが鳴った。


「あ、ごめんなさい。電話が……」

「気にしないでとって」


 真人がそう促すと、由美は少しだけ座る位置を遠くに変えて、電話をとる。


「もしもし。お父さん? どうしたの……?」


 電話の相手は父親らしい。真人がそう思っていると、遠くでパトカーのサイレンが鳴っているのが聞こえてきて、少し不安になる。早く由美を家に帰してあげた方がいいだろう。


「え? わ、わかった……。うん、すぐ帰るね。あの…今……。うん。うん、そうする。ありがとう」

「何かあったの?」


 電話を切ったのを確認した真人がそう聞くと、由美は不安げな表情を浮かべて真人を振り返った。それを見て、真人の不安は大きく膨れ上がっていく。


「今日は家まで送っていくよ」


 いつもは道の途中で別れるのだが、今日はもう暗くなってきているし、遠くのサイレンも、由美の表情も心配だ。何かあってからでは遅いのだから、遠慮されてもマンションまで送っていくつもりだった。


「あ、あのね。お父さんに危ないかもしれないから、北川くんに家に避難してもらってって」

「え、避難……?」


 そこまで深刻そうな話だとは予想がつかなかった。真人は首を傾げると、由美の家の方向へ歩きながら詳細な話を聞く。普段よりも、少しだけ早足だ。


「通り魔事件だって。この近くで、女の人が腕を切られてしまったみたいなの。今のも、危ないから早く帰りなさいって電話だったのよ」

「捕まってないからってことか……」


 由美に話を聞いて、真人は深刻そうに頷いた。恐らく、自分もそんな顔をしているんだろうな。と思いつつ、由美は真人に遅れないように、足を素早く動かした。


「うん。北川くんと一緒にいるって話したら、家にいてもらったらいいって。うちのお父さん、北川くんのお父さんと一緒に調査に出てるんだって。だから、帰りに家に寄ってもらうって言ってたわ。お迎えが来るまで一緒にいましょう?」

「え? あ、そう…なんだ」


 自分の父親よりも、由美の父親の方が立場が上だ。しかも、由美から聞いた話では、銀次は真人の父親が勤めている警察署の署長を務めているとの事なので、捜査に出ること自体滅多にない。胃を痛めているかもしれない父親を思い、真人は歯切れの悪い返事をした。


「良かったら夜ご飯も用意するよ。犯人がいつ捕まるか分からないし」

「そこまでは……。悪いし」

「いいの。私ね、誰かにご飯を食べてもらうのが好きなんだ。それに、家だと一人で食べることが多いから……」


 眉を下げてそんなことを言われては、断ることが出来ない。真人が了承すれば、由美は嬉しそうに笑ってくれた。


「じゃあ、早く帰ろ」


 帰り際にパトカーの止まる道を遠くで見かけた。あそこに父親もいるのだろうか。そう思いながらも急いで通り抜ける。今までも早歩きだったが、通り抜ける時は駆け足だった。あそこが女性が被害を受けた現場なのだとしたら……。そう思ったら、思わず駆け足になってしまっても仕方が無いだろう。


「今鍵開けるから待って」


 由美は鞄から鍵を取り出し、開けてくれる。この間は雨に気を取られて気が付かなかったが、下駄箱の上に飾られたフレグランスのいい香りが鼻先をくすぐった。焦っていた気持ちが、少しづつ落ち着いていく。もう、ここは安全な室内だ。真人はそう思った。


「お邪魔します……」

「どうぞ。またコーヒーでも飲む?」

「ありがとう。この前の美味しいやつ?」

「急いで帰ったから暑いでしょ? アイスコーヒーにしよ」


 由美はそう言うと、真人をこの間と同じ椅子に座らせて、冷蔵庫を開ける。


「これ。いつでも飲めるように作っておいたものがあるんだ。水出しのコーヒー」

「流石。抜かりないんだね」


 由美が自慢げに見せたコーヒーの入ったポットを見て、真人はくすくすと笑う。


「あと、クッキーがあったはず」


 棚からクッキー缶を出して、由美はお皿にクッキーを盛り付ける。アイスコーヒーもコップに注いで、テーブルに置いた。由美の手は、少しだけ震えていた。やはり、近所で事件が起こったとあれば、不安にもなるだろう。


 真人はできるだけ安心できるように、優しく笑いかけた。


「ありがとう」


 真人の気遣いに気づいたのか、由美は少しだけ安堵した様子で、手を胸の前でぎゅっと握った。


「私も、ありがとう……」


 そう呟いた後、由美はテーブルに持ってきていたクッキー缶をチラッと見て、ニコニコと真人に話しかける。会話をしていた方が、もっと安心できるからだ。


「あのね。ここのお店のクッキーはホロホロしてすごく美味しいんだよ」

「へぇ…シルクガーデン……?」


 真人もクッキー缶に目をやる。女性が好きそうな可愛らしいデザインだ。カントリーな雰囲気で、ガーデンという名前の通り、自然豊かなイラストが描かれている。


「有名なの?」


 真人はあまりそういった店には馴染みがない。初めて聞く名前の店だった。

 

「うん。いくつも支店があるし、関東区では有名な方じゃないかしら。見た目の可愛らしいお店なのよ。この近くだと、横浜駅の傍にあるの」

「へぇ、そうなんだ。……いただきます」


 真人がクッキーを口に含むと、本当に口の中でホロホロと崩れ、甘い風味がいっぱいに広がった。


「美味しい」

「だよね? 私がここのクッキー好きだから、お父さんがよく買ってきてくれるんだ」

「ふふ。良いお父さんだね」

「うん! 早く犯人捕まって、帰ってきてくれたら嬉しいな……」


 そう言った由美が少しだけ寂しそうだったから、真人はなんて声をかけようか言葉に迷う。結局、何も言葉が捻り出てこなかったので、真人は肯定だけした。


「また他に襲われたりしたら、嫌よね」

「うん。怖いよな。学校も近いし、帰りに生徒が襲われたりしたらと思うと……」

「そうよね。なんで悪いことするんだろう」


 由美は、今度は怒った膨れ顔でそう言った。


「さあ。犯罪者の思考は分からないよ。……けど、通り魔だと、社会への不満や怒りが動機になる事が多いって、聞いたことある。実際どうかは、分からないけどね」

「だからって、無差別に人を傷つけるのは自分勝手ってやつよね」

「その通りだよね」


 真人は相槌を打つと、軽く目を伏せる。昔を思い出した。真人は小さな女の子の姿を思い浮かべ、目を閉じる。


「北川くんのお父さんも、今日は早く帰って来れるといいね。」

「え、あ……。うん、そうだね」


 考え事をしていた真人は、由美の言葉に遅れて反応を返す。


「ずっとここにいるのも迷惑だろうし」

「迷惑だなんて思ってないよ。一人でいるより心強いもの」

「それはいいんだけど……」


 どう思われるかわからなかったので、真人は「異性だから」という言葉を飲み込んだ。由美は今のところ安心してくれているようだし、意識されないならそれでいいか。と真人は結論を出した。


「ゆっくりしていって。ご飯は…何か食べたいものある?」

「お任せするよ。きっとなんでも美味しいんだろうし。俺にも手伝えることある?」

「えっと、お皿出してもらっていい?」

「この前と同じ棚?」


 2人は立ち上がると、キッチンへ移動する。


 隣で由美の包丁さばきを見ていた真人は、流石の手際だと感じた。皿を出すこと以外に手伝えそうなことは何もない。残念ながら、今の真人は何をしようにもただのお荷物だった。


「たくさん作っても長持ちするから、カレーにするね」

「う、うん。えっと、カレー皿はこれだよね?」

「うん! ありがとう!」


 これで真人の役目は終わりだ。それが少しだけ寂しいと思ってしまったが、料理ができない自分のせいなので、真人は大人しく隣で、由美が料理している姿を見つめているのだった。

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