第25話 連絡先
水曜日。真人は洋極の正門を出ると、真っ直ぐに河原に降りた。今はテスト期間中なので、由美がいるかどうかは定かでは無かったのだが、もしも彼女を待たせていたら悪い。そう思って、すぐに河原へと向かう。
「いないか」
とりあえず、今はまだいないようだ。
昨日から梅雨が明けて急に暑さが増したので、真人は夏服を着ている。袖を捲らなくても川に手を突っ込めてしまうので、真人はそっと手を川に入れた。ひんやりとした水の冷たさを感じ、満足する。
「北川くん」
「わ。浜野さん……。いつからいたの?」
川の冷たさを堪能していたら、由美に声をかけられた。砂利を踏む足音にも気が付かないほどに夢中になってしまっていたらしい。真人は恥ずかしそうに振り返り、そして一瞬思考が止まる。
(夏服だ……)
由美の制服も、完全に夏服へと変わっていた。きっちりと着られていたカーディガンや薄手のベストが完全に無くなり、制服のシャツ姿になっている。
そんな由美を見て、真人は語彙力を失う。つい、心臓が高鳴った。他の声をかけてくる女子生徒にはなんとも思わなかったのに。と、真人は自分の胸を軽く押え、戸惑う。
「夏、だね」
「うん。急に暑くなっちゃったよね」
由美は真人の戸惑う様子に気づかずに、川から吹く涼しい風にうつつを抜かしていた。
「はぁー。川って気持ちいい!」
「……うん。そうだね」
じっと由美を見つめ、目が慣れてきた頃、真人はやっと立ち上がった。そして伸びをする。
「水も冷たくて気持ちよかったよ」
「本当? 足、入れちゃおうかな」
こういう時、スカートはいいな。と真人は思った。腕なら捲る袖が無いので楽だが、スラックスは当然長い。捲るのも面倒なので、真人は由美のように風を堪能することにした。
「女子ってずるい」
と、軽く文句だけは言っておく。
「えへへ。スカート、冬は嫌だけど夏は最高だよ」
「ああ、そっか。冬は俺達の方がずるいかも」
「そうだよ」
結局、2人はいつものように河川敷に座り込んで話をする事にした。
「テスト勉強は大丈夫? 今日、無理して来なくても良かったんだよ?」
真人がそう聞くと、由美がじっとこちらに目を合わせてきた。
「待ってくれてるかもって思ったから……」
由美はそう言ってから、言いにくそうに手をもじもじとさせる。
「どうした?」
真人が不思議そうに声をかけると、由美は恥ずかしそうに鞄からスマホを取り出した。瞳はやはり、まっすぐに真人を見つめてくる。自然と上目遣いになるので、真人は思わず息を飲んだ。
「あの…連絡先、教えて貰ったらダメかな?」
「え?」
由美があんまり恥じらうものだから、真人までドキリとしてしまった。由美が上目遣いなのも、多分原因のひとつだと思う。
(別に連絡先ぐらい、恥ずかしいものでもないのにな……)
心の中ではそう思っていても、ついつられて照れてしまっていた。
「いいけど……。急にどうしたの?」
真人がそう聞くと、由美はより一層照れた顔をした。
「今日みたいに、いるかなって疑問に思ったら聞けるし……。この前、北川くんが勉強を教えてくれたの、わかりやすかったから。もし良かったら、また教えて欲しいなって。図々しいかしら……?」
由美はそう言って、不安そうにスマホを握りしめている。真人はそれを見つめながら、少しずつ冷静さを取り戻していった。
「いいよ。いつでも連絡して聞いて?」
「ありがとう!」
真人が承諾すると、由美はぱあっと明るい笑顔を見せてくれた。それを見てくすくすと笑いながら、真人はスマホを取り出す。
「チャットアプリでいいよね?」
チャットアプリは、一番手頃に連絡を取り合える無料のスマホ専用アプリだ。真人はスマホを操作して、自分の連絡先のバーコードを由美に見せる。
「ありがとう! あのね、男の人の連絡先って初めてだから……。ちょっと緊張しちゃった」
真人の連絡先を受け取った後、由美は照れた顔を両手で持ったスマホで隠し、そう言った。恥じらう姿は真人にまで移るので、やはり困った。
「そっか。浜野さんって、中学も女子校だった?」
「うん。そうだよ。藤波の方が偏差値高いからこっちに移動したんだけど。中学生の時、私はモリア学園だったんだ」
モリア学園は、私立の宗教色の強い女学園だったはずだ。物静かなお嬢様ばかりが通っているイメージの学園である。
真人は由美がモリア学園に通っている姿を、上手く想像することが出来なかった。
「なんだかお淑やかな雰囲気で、ちょっと窮屈だったのよね」
「浜野さんは、無邪気に笑ってるイメージ。コロコロ表情が変わるから、確かに愛想笑いばっかりのあの学園は合わなそう」
「えへへ。そうなの。私、お上品なのはちょっと合わなかった」
と、由美は照れくさそうに表情を歪ませる。
「あの学園は腹の探り合いもあるだろうし。浜野さんは芯が強くて、ハッキリと自分の考えを口にするだろ? 俺はお嬢様な浜野さんより、今の凛とした浜野さんの方がいいと思う」
「そ、そうかしら?」
真人にいいと思う。と言われたのが嬉しいやら恥ずかしいやら、由美は小さくはにかんで、軽く俯いた。そんな事など知らずに、真人は川の流れをじっと見つめながら、ふっといつもの優しい表情で笑っている。
「うん。そう思うよ」
「ありがとう……」
お互いにスマホをしまった後は、いつも通り世間話をして過ごす。特に、テストが近いこともあって勉強の話題が多かった。
「歴史の年号って覚えられないのよね」
「語呂合わせで覚えるといいって言うけど、なかなか大変だもんね。こればっかりは暗記だ」
「北川くんは苦手な教科ある?」
「俺は…敢えて言うなら英語かなあ……」
基本的に苦手はないのだが、五教科の中で無理やり苦手教科を挙げるとしたら英語だった。日本人なのだから日本語が出来れば充分だ。と言うのが真人の主張である。読むのが日本人ただけとは限らないレポートには、英語を使う方がよいのだと聞いて、最近やっときちんと勉強をするようになったばかりだ。特に、真人の進路では海外の人との交流もある研究室にはいるであろうから、英語を覚えるのは必須条件である。
「英語かあ。私もそんなに得意じゃないかも。簡単な会話なら出来るんだけどね」
「え? 凄いじゃん!」
「英会話は小さい頃に教わってたの! お父さんがペラペラだったから憧れてただけなんだけど」
「へぇ。浜野さんのお父さん、凄いんだね。背が高くてかっこいいし、確かに憧れる気持ち、わかるなあ……」
由美の父親を思い出しながら、真人は言った。真人が褒めたのがよっぽど嬉しいのか、由美は真人に詰め寄り大きな声で肯定する。その勢いに、真人は驚いてつい身体を引いてしまった。
「かっこいいだけじゃなくて優しいのよ」
「そんな感じする」
くすっと笑って、真人は肯定する。
「北川くんのお父さんもそうなんじゃない? うちのお父さん、この前北川くんに会ってから、よく北川くんのお父さんの話をするようになったんだよ」
真人は父の顔を思い浮かべ、考える。真人は父親に似ているらしく、父親も容姿はかなり整っている。父いわく母親の方が美人だったらしいが、何せ小さい頃に亡くなっているので覚えていない。写真では確かに綺麗な人だと思った記憶がちらりとあった。身長は真人と同じくらいか、少し高い。正確には測っていないが、恐らく170の後半だろう。優しいかどうかは…どうだろうか。正義感は強い男だ。部下にも慕われている様なので、優しく接しているのだと思う。しかし、どこか腹黒い部分を見せることがあるので、一概に優しい。と胸を張って言うことは出来なかった。
「どうだろ。そう…かも?」
真人がそう言えば、由美の方が嬉しそうな顔をして笑ってくれる。
「そうでしょう?」
そう言って、上機嫌に足をパタパタとさせた。
「浜野さんの歳で、ハッキリ父親が好きって言えるの凄いよね……」
上機嫌な由美とは対照的に、真人は照れた様子で呟くように言った。
「そうかな?」
「普通照れたりしない?」
「うーん……。面と向かって言うのは照れるけど、人には良いお父さんだねって思ってもらいたいから」
「ふふ。そっか。いいなあ。素敵だね」
真人がいつも由美に対して見せる優しい表情で、そう答える。由美もまた嬉しくなって、やっぱり笑った。
。。。
日が長くなってきたせいで、真人と由美は長い間話に花を咲かせていた。そろそろ帰らないといけない時間になっている。今日は念の為、途中のいつもの別れ道までではなく、マンションの前まで一緒に歩いた。
「それじゃあ、来週はテストだし、お互い頑張ろうね」
「うん。次はテストが終わったらかな? ここまで送ってくれてありがとう。また会おうね」
「そうだね。連絡、勉強に詰まったらいつでもかけてきていいから。またね。浜野さん」
「うん。また!」
由美は家に帰って、勉強机ではなくベッドにすぐ倒れ込んだ。そして、倒れ込んだ時に同時にベッド上に転がった鞄から、スマホを取り出すとチャットの画面を開く。
一方で、真人も由美が見えなくなった道の途中で、スマホを開いてチャット画面を見つめる。
遠くにいるはずの2人は、無意識に同じ行動をしてしまっていた。
『連絡先か……』
『へへ』
お互いの名前を見て、ついニヤついてしまう。
((なんだか嬉しいなあ……))
離れた場所で同じ事を思い、同じように、2人は暫く思い馳せているのだった。
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