雨宿り

第13話 綺麗

 水曜日の放課後。由美はいつものように河原へと向かう。橋の下へ逸れていく際、既に来ていた真人の後ろ姿が遠くに見えた。


「あ」


 由美は待たせてしまってはいけないと思って、早足で河川敷まで降りていく。


「北川くん!」

「ん。浜野さん……」

「お待たせ」


 急いで来たのだとわかる由美の様子に、真人は少しだけ眉を寄せる。梅雨に入ったこの時期は暑い上にジメジメとしている。体調も崩しやすい時期だった。


「ハンカチ使う?」


 いつもふわふわとしている由美の髪がしんなりしているのを見て、真人はポケットから出したハンカチを由美へと差し出した。由美は目を丸くすると、ぶんぶんと大きく首を横に振る。


「自分のがあるわ! 人様のを借りるなんて、悪いわよ」


 由美はそう言うと、鞄から急いでハンカチを取り出し、軽く滲んだ汗を拭う。


「急がなくても良かったんだよ?」

「だって、待ったでしょ?」

「そんな事ないよ」


 真人はふるふると首を横に振る。そして、由美が座る前にサッと立ち上がった。


「昨日、雨が降ったから。今日は座らない方がいい」


 真人はそう言って軽く後ろを向いた。凄く汚れているというわけでもないのだが、洋極学園の制服は白色なので、少しの汚れでも目立った。


「わ、汚れが……」

「目立つ?」

「白地にだから少し」

「あちゃあ……。俺も座ってから気がついたんだよね。嫌な予感はしてたんだ」


 真人は苦笑しながら、受け取って貰えなかったハンカチで軽くズボンをはたく。申し訳程度の抵抗だ。


「次の休みにでもクリーニングに出そうかな」


 由美はそれを聞いて、軽く首を傾げた。


「自分で出すの? 偉いのね」

「ほら。うちの親、警察だし。忙しくて出してもらう暇も無いからさ」


 真人はそう言うと、ハンカチをポケットにしまった。由美はそれを聞いてなお、首を傾げている。


「北川くんのところ、お母さんも刑事さんだったの?」

「え? あ。ああ……。いや」


 由美の疑問にやっと気がついて、真人は戸惑う。どう答えようかと思ったのだ。

 

 実は、真人の母親は真人が3歳の頃に亡くなってしまっている。由美は見ず知らずの中学生を助けてしまうくらい世話焼きな性格だし、きっと真人の話を親身になって聞いてくれるだろう。


(悲しませてしまうかな……?)


 真人はそう思った。しかし、嘘をついても意味が無い事もわかっていた。バレた時に余計に悲しませるだけだし、怒らせてしまうかもしれない。


「いないんだ。母親。俺が小さい頃に亡くなった」


 恐る恐る由美の顔を見ると、ボーッと呆けているのがわかった。何を思っているだろう。悲しんでいるようにも見えるし、驚いているようにも見える。


「そうなの……」


 由美はついに俯いた。真人は慌てて言葉を続ける。


「浜野さんが気にすることじゃないんだよ? それに、小さい頃の話だからあんまり覚えてないし……」

「それでも、寂しい時もあるよね」


 顔を上げた由美はやっぱり悲しそうだった。


(やっぱり悲しませてしまったな……)

「私も」

「え?」


 不意に聞こえた声に耳を傾け、真人は由美を見つめる。


「私もお母さん、いないの。うちは離婚で」

「そ、そう…なんだ」


 真人は驚いた。それと同時に、やっぱり隠した方が良かったのではないか。と思う。


(それなら、余計に……。傷ついたんじゃないか)


 悲しげな顔が真人にまで移り、由美は慌てる。


「ごめんね! 急に変な事言って」

「いや。浜野さんはやっぱり……」


 その言葉を最後まで言えず、真人はぐっと唇を噛む。しかし、由美は真人が言おうとしていた言葉を理解したようだ。


「……たまにね。寂しい時もあるよ。でも、お父さんは優しいし、店長達も私の事、家族みたいに可愛がってくれるから」

「そっか」

「北川くんは? 寂しく…ない?」


 真人の優しい顔が、なんだか儚げに見えた。由美はそう思って、聞いてしまう。眉根を下げて心配そうに見上げてくる由美に、真人はまた優しい表情で笑った。


「俺には悪友達がいるからな。純也と拓真は仲良くなったの中学からなんだけど、幸雄とは幼なじみだし。だから、幸雄とは本当にずーっと一緒に遊んでたんだ。兄弟みたいに育ったんだよ。馬鹿みたいな遊びばっかりしてさ。楽しかったなあ。」


 真人は心底楽しそうに、空を見上げながら話してくれた。真人と仲良しのあの3人は、真人にとって本当に大切な友人なのだろう。真人は「悪友」だなんて言うけれど、決して良くない絆だ。なんて、由美は思わなかった。


「今も……。あいつらには言わないけど、楽しいし助かってるんだ。ほんっと、やってる事は馬鹿ばっかりだけど。だから、寂しいとかあんまり思わないかな」


 真人はそう言って笑う。心の底からの笑顔。だというのに、由美は真人の表情がどこか寂しそうに見えてしまった。今の言葉に嘘は無いけど、寂しい気持ちもやはり心のどこかでは感じているのだろう。


 由美は口を開いたが、何も言葉が出てこない。なんと言ったらいいのか、わからなかった。


「今は、ほしのねこに行けば色んな人が待っててくれるしね」


 由美よりも先に真人が口を開いて、そう言った。


「……うん! 店長、北川くん達が来ると嬉しそうだし。私も茉莉も嬉しいから。だからいつでも来てね!」


 由美は弾かれたように、早口でそう答える。


「うん。ここに来れば浜野さんも会えるしね……」


 今度は嬉しそうな表情。そして、やはり優しい笑顔が由美を見つめた。由美は思わず息を飲んで、言葉を飲み込む。


(この人は綺麗だなぁ……)


 由美は生まれて初めて、男の人に対してそう思った。

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