第9話 河原で会おう

 藤波学園の外周を何周か走った後、由美は疲れた体を癒すために橋の前で立ち止まった。川風がヒンヤリとしていて気持ちがいい。


(河原にでも行こうかな)


 真人と逃げてきたあの河原を、なんだか懐かしく思う。路地で助けて貰ったのは、5月のはじめの事だった。もうすぐ1ヶ月が経とうとしている。


 そんな事を考えていたからだろうか? 河原へと降りる途中、見覚えのある人物が河川敷にいる事に気がついた。


「北川くん?」


 その人物は、由美の声を聞いて振り返る。そして目を見開くと、立ち上がってこちらに歩いてきた。


「浜野さん。どうしたの?」

「えっと、自主練で走ってて。休憩しようと思って河原に来たんだけど……。北川くんはどうして?」


 まさか、こんなところで会うとは思わなかった。しかも、丁度ここで真人と初めて話した時のことを思い出していた時だったのだ。由美は言葉に詰まりながら、ここに来た経緯を話した。


「俺は早くに目が覚めちゃって。今日は朝練もないし、散歩でもしようと思って河原を歩いてたんだ。今は休憩」


 そう言いながら、真人は拾い持っていた石を川に向かって投げる。


「いつも投げてるね」

「あはは。手持ち無沙汰だと、何かしたくなっちゃってさ」


 今度は平たい石を、横に切るようにして投げた。その石は、川面を2回切ってから、水中に沈む。


「いい暇つぶし。浜野さんもやる?」


 平たい石を何個か手に持っていた真人は、その1つを由美に差し出した。


「……えいっ!」


 それを投げると、その石は3回水を切る。


「やった!」

「上手いね」

「えへへ」


 真人に褒められて、つい調子に乗ってしまった。由美は平たい石を探すために川に近づき、キョロキョロと辺りを見回した。


「でも、浜野さんが来たの驚いたなぁ……」


 真人は元いた場所に座り込むと、石を探している由美を目で追う。そのまま河川敷に寝転がって、腕で太陽を隠しながら言葉を続けた。


「丁度、浜野さんのこと考えてたんだよね」

「え?」


 由美は驚いて、真人を振り返る。由美も真人と初めて出会ったあの日のことを思い出していたのだ。運命的なものを感じて、由美は興奮気味に言う。


「私も。なんだか懐かしいなって思いながらここに来たの」

「あはは。同じこと考えてた。あの時は、まさかこんなに話すようになるとは思わなかったんだけどな」


 むしろ、これ切りもう会うことは無いだろう。なんて考えていた。真人は勢いよく起き上がると、今度は〈ほしのねこ〉を思い出す。


「幸雄に誘われたカフェで、まさか再会するなんて、本当ビックリ!」

「あの時は私も驚いたわ」


 最近の真人のご飯はほとんど〈ほしのねこ〉で食べている。もう会うこともないと思っていた人物と、まさか友人のように仲良くなるだなんて思わなかった。


「ねえ、北川くんってよくこの河原に来るの?」


 石をいくつか拾った由美が、真人の隣に座る。真人は隣の由美を一瞥すると、また石を投げ始めた。由美に当たってはいけないので、ずっと自重していたのだ。


「1年の頃は、友達とたまに」

「白鳥くん?」

「幸雄もだし、他にもクラスメイトの2人と。中学からつるんでる奴らなんだ」

「へえ……。クラスメイトって事は、もしかしてその人達も特待生?」

「そうだよ。2人とも今は忙しいみたい。落ち着いたら、そいつらも誘ってカフェに食べに行くよ。その時はよろしくな」


 真人がそう言って笑うと、由美は嬉しそうに表情を変えた。由美にとって〈ほしのねこ〉は、本当に大事な居場所なのだろう。真人はそう思い、軽く微笑んでおく。


「そうだわ。明日から、おすすめのメニューが変わるの」

「お。それは楽しみ!」

「私が考えたメニューなのよ。」

「そうなの? って、もしかしてあのデザート? メニューまで考えてるなんて、浜野さんって凄いんだね」


 ただの学生のバイトだと思っていたので、真人は驚いてしまった。そして、次に行く時が楽しみになる。


「明日かあ……。また食べに行こうかなあ。」

「本当? 嬉しい! 私、明日はお昼からシフトが入っているの」

「じゃあ、明日も会えるね」


 真人がそう言うと、由美は小さくはにかむ。


「ふふ。こんなに話しやすい男の子、初めて」

「それは良かった……」


 由美の表情を見ていると、なんだか穏やかな気持ちになる。真人はそう思う。


「俺も、浜野さんと話すの楽しいよ」


 小さく俯いて、そう言った。そして、真人はまた河川敷に体を預ける。そのまま大きく伸びをした。


「だからさぁ……。また…河原で逢おうよ」


 真人はそう言うと、両腕で目元を隠す。隠れているから、由美からは真人がどんな表情をしているのかわからなかった。


「…………」


 わからなかったけれど、真人の姿が何故だか寂しそうに感じて……。由美は返事をするより先に、触れたくなる。


「…………」


 無言を風が通り過ぎた。風が通り過ぎたおかげで、由美はハッとする。子どもにするように、真人の頭を撫でてしまおうと片手を挙げていた。由美は自分の行動に驚いて、慌てて手を引っ込める。


 そして……。


「いいよ。また逢おう?」


 と、返事をする。その返事を聞いた真人が腕の隙間からこちらを覗いてきた。


「いいの? 自分で言うのも変だけど、下心があるとか、考えない?」

「あ、あるの……?」


 真人は正直混乱していた。何故、あんなことを言ったのか。無言の空気の間も、自己嫌悪していた。


「無い…よ」


 ただひとつ言えるのは、由美と特別な関係を持ちたいとか、そういう思いは微塵もないということだった。それだけに、疑問なのだ。つい口をついて出た言葉に、自分自身も驚いてしまったのだった。


「無いなら…いいよ。また、河原で逢おう」


 由美はそう言って微笑む。優しい笑みに、真人は思わず見惚れてしまった。思わず固まってしまったので、また風が通り過ぎるまで無言の時間を2人で過ごすのだった。

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