第8話 早起きは暇の元

 真人が爽やかハンサム店員である聖也との会話を楽しんでいると、店長がニコニコとした笑顔でハンバーグをカウンターテーブルに置いてくれた。


「お待ちどうさま。オニオンソースのハンバーグだよ」

「ありがとうございます。いただきます」


 待ってました。と言わんばかりに顔を輝かせ、真人は熱々のハンバーグを一口大に切る。そして、切った肉を口に運んだ。


ジュワ


 濃厚な肉汁が真人の舌を駆け巡る。さすがにまだ熱々だったが、当然真人の感想は一つである。


「うっまぁ……!」


 本気で頬が落ちてしまいそうな程に緩んだ真人の顔は、今のところここでしか見られない。ほしのねこの料理はどれも絶品で、真人にとってハズレ無しなのだ。


「いい顔で食べますね」

「ほしのねこの料理は絶品ですからね! もう他の店じゃ満足できませんよ」

「ありがとう」


 真人が褒めちぎれば、店長がニコニコとした笑顔を更に深めて、嬉しそうにお礼を言う。


「いえいえ。本当に美味しいですから。人が少ないのが不思議なくらいです」

「ふふ。これでも昼時はかなり儲かってるんだよ」

「そうなんですね。やっぱり、人気が出ないわけないですよね」


 真人は料理と店を褒めつつ、料理を堪能する。ハンバーグはどんどん小さくなっていって、最後の一口。それを口に入れてすぐ、裏から休憩中だった詩音が出てきて、3人で固まっているところを微笑ましげに指摘した。


「食事の邪魔しちゃ駄目でしょ」

「もう食べ終わりましたから」

「あら、じゃあ食後のデザートに試作を食べてみない? 真人くんは常連さんだし、サービスって事で!」

「いいんですか?」

「もちろん」


 真人はお言葉に甘えて、デザートを持ってきてもらう。詩音が置いてくれたスイーツは丸型で、プリンのような形をしている。色はピンク色だ。


 ピンク色のプリンが出てきた。


「これ、由美ちゃんのアイディアなのよ。良かったら感想聞かせてね」

「浜野さんが? 凄いですね」


 真人はデザート用のスプーンで上の一口をすくって、口に含む。上に乗っていた生クリームは、口に含むとほろっと溶けた。とても甘い。かかっていたチェリーソースの酸味がその甘さを緩和して、絶妙だった。メインのプリンもさくらんぼ風味で美味しかった。ミルクの濃厚な味もする。


「美味しいです!」

「まあ、良かった。由美ちゃんにも伝えておくわね」

「はい。浜野さんによろしくお願いします」


 真人はこくんと頷いた後、無言でデザートを口に含んで、生クリームのように頬を蕩けさせる。あまりにも美味しいものだから、小さなプリンはすぐになくなってしまうのだった。


。。。


 その次の日の朝。真人は何となく早くに目が覚めてしまった。もぞもぞとベッドから這い出てきて、窓のカーテンを開く。


「微妙な時間だなぁ」


 まだ明け方で、日は昇りきっていない。眩しい朝日は、もう少し先の時間帯にならなければ拝めないようだった。


(二度寝…は無理だな。完全に覚醒しちゃったし)


 真人が部屋を出ると、廊下はまだ暗かった。真人の部屋は一軒家の2階にあるので、階段をおりてダイニングに行く。


「昨日の夜ご飯、残ってら」


 父親は昨日は帰らなかったらしい。何か事件の調査でもしていたのか、張り込みか。それとも当直だったのか。


 色々なことを考えながら、真人は勿体ない。という理由で、テーブルに置かれているご飯を温め直す。


「いただきまーす」


 行儀よく手を合わせた真人は、ラップを外してそのご飯を口に入れた。


(なんか、カフェのおかげで舌が肥えてんのかな。物足りねえ……)


 そう思いつつもご飯は完食し、皿をすすぐ。洗濯物は、帰ってこない父親のおかげで全く溜まっていない。掃除機は昨日の朝にかけたばかりだった。ゴミは…今日は資源回収の曜日だった。特に出すものもない。


「本格的に暇」


 当然、成績の良い真人は課題を溜めることもない。昨日の夜に5分で終わらせた。


(もう学校行こうかな)


 真人は一度部屋に戻り、制服を着て鞄を持つと、家を出る。


。。。


 一方、由美はいつもと同じ時間に起きて、同じ時間に家を出る。父は帰っていない。忙しいのだろうか。由美はそう思いつつ、朝ごはんと書き置きをテーブルに置いておいた。


 マンションの一室を出て鍵を閉めると、同じ階の部屋から出てきたおばさんが挨拶をしてくれる。


「あら。浜野さんとこの由美ちゃんじゃない。早いのねえ。偉いわ」


 長話が大好きなこのおばさんは、つい最近息子が反抗期を迎えたとかで、由美の事をやたらと褒めてくれる。自分の子もこうならいいのに。と愚痴をこぼすこともあった。


「朝練があるので」

「うちの子ったらまだ寝てるのよ。やんなっちゃう」

「今、中学2年生でしたよね。部活はやってないんですか?」

「なんか、コンピュータ? とか言ってたわ。夜遅くまでパソコンいじってて。そんなんだから朝起きれないのよって言ってるんだけどさあ。部活だからー。とかって言って、全くやめようとしないのよ。その点、由美ちゃんは礼儀正しいし、バイトもやってお父様のお手伝いしているし。いい子よねえ」

「あはは。ありがとうございます……」


 まくし立てるようなおばさんの話に、由美は少しだけ苦笑してしまう。練習がなければ、このまま長話に付き合ってもいいと思えるくらい、由美は近所の人との会話が好きだ。だがしかし、おばさんには悪いけれど、今日は朝練があるので、このままお喋りに付き合っていたら部活に遅れてしまう。


「また、時間がある時にお話しましょうね。あ、ほしのねこにも来てくださいよ。うちのお料理美味しいから。ヤスくんも来てくれるかも」


 おばさんの息子の康弘やすひろ。年下の子なら、男性でも由美が嫌悪を示すことは無い。ヤスくん。と呼んで可愛がっていた。


「あら。いいわね。久しぶりに食べに行きたいわ。時間があったらお邪魔しましょ」

「是非! あ、そうだ。ゴミ捨て、代わりに行きましょうか? どうせ学校に行きますし」

「あら。いいのよ。うちの手伝いまでしてくれなくても。下まで一緒に行きましょ」


 ほのぼのとしながら、エレベーターで下に降りる。由美の住むマンションは20階まであり、由美が住んでいるのは15階だった。


「じゃあ、行ってらっしゃい!」

「行ってきます」


 お互いに手を振って別れたあとは、歩いて学園まで向かう。学園について、鞄を下ろした後に、由美は重大な事を思い出した。


「やだ! 忘れてた!」


 今日は顧問の都合で、急遽朝練習も放課後練習も休みになったのだ。


「どうしよ…自主練……? 走ってこようかなあ」


 軽くブルーな気持ちになりつつも、由美は着替える。道着ではなくてジャージにだ。髪をハーフアップからポニーテールに結び直して、由美は気持ちを切替えるためにムンっと気合を入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る