第6話 唐突な熱

 茉莉は幸雄の顔を見ると、パッと表情を明るくして、こう言った。


「あら。最近よく来てくれるお客様じゃない。今日も来てくれてたんだね」


 茉莉は最近よく店に来る幸雄の顔を覚えていた。逆に言えば、覚えられるほど頻繁に通っているという事だ。真人は更にからかい顔で、幸雄を見つめ続ける。


「あ、うん。ここの料理美味しいし。今日は友達も連れて……」


 幸雄は照れた顔で、軽く頭をかいてそう言った。


 それを見た真人はパッとからかい顔をやめ、暖かい瞳で幸雄を見つめる。心の中でエールを送っているところだった。


「あの……。み、見かけるのは初めてだけど、北川くんもよく来てくれてたりする?」

「ううん。俺は今日が初めて。でも、ここの料理は俺も気に入ったし、また来ようかなって思ってるよ」

「そうでしょ!? 美味しいでしょ!?」


 少し緊張していた由美は、真人の言葉にパァっと一気に明るくなった。嬉しそうに笑った由美の顔は、なんとなく眩しいと思った。


「うん。凄く」

「そうなの! 美味しいの! そのパスタはね、あそこにいる店員が考えた料理でね」


 由美が楽しそうに熱弁するので、真人は思わず笑ってしまう。微笑ましくて、なんだか妹でも出来たような気分になって、真人は優しい気持ちで由美の話を聞いていた。


「うん。聞いたよ」

「何もかけずに食べても美味しいんだけど、からしとかお酢をかけても美味しいのよ」

「へぇ……。調味料って、言えば貰えるの?」

「うん。持ってくるよ?」

「じゃあ、お酢で食べてみようかな」


 料理を褒められたのがよっぽど嬉しかったのか、由美は勢いよく立ち上がり、カウンターの方へかけていった。


 今の2人のやりとりはかなり目立ったらしい。幸雄と茉莉は、真人の顔をジーッと見つめていた。2人ともどこか驚いた顔をしている。


 由美がお酢を持って帰ってくると、2人の表情にやっと気づく。浮かれた気持ちは萎んで、今度は少し恥ずかしそうな顔をして大人しく座る。


「お、お酢です……」

「ありがと」


 そんな様子もなんだか楽しくて、真人は笑みを抑えきれない。


(このままじゃ、俺も幸雄にからかわれそうだ)


 そうは思っても、止まらなかった。口角が無意識に上がっている。


「珍しいな。お前が女の子に対してそんな顔してるの」

「はあ? 俺だって楽しければ笑うよ」

「由美も、男の人とあんなに楽しそうに話しているところ、初めて見たわ」

「料理を褒めてくれたから…つい」


 真人も由美も、普段の様子からは想像できない行動と表情だったらしい。だから幸雄と茉莉は驚いた顔をしているのだった。


「そもそも、由美を助けてくれたのがあの北川真人くんだったなんて。驚いたなあ」

「そういえば、茉莉はどうして北川くんの事を……?」


 さっきから気になっていたが、料理の話ですっかり忘れてしまっていた。由美は改めて、真人と茉莉の関係性について聞く。


「むしろ、由美ちゃんは知らない? 真人って結構有名人だよ」

「由美は男の子に興味無いからね」


 茉莉は呆れたような表情で、軽く首を横に振った。


「あのね、由美ちゃん。真人はうちの学園のエースストライカーで、藤波学園の女子達の人気の的。それに、去年論文で大きな賞を取って新聞にも載ったから……。洋極でも藤波でも、朝礼で発表されたと思うよ。両学園は姉妹校で、経営は同じ理事グループだし」

「へえ。北川くんって凄いのね」


 由美は素直な性格だ。本当に素直に、真人に敬意を向けている。ほーっと感心した様子で、真人の顔をジッと見つめた。


「ありがとう……」


 こうも素直な反応をされると、照れてしまう。真人は軽く俯いた。


「それに、ルックスよね。うちのクラスの子、みんな北川くんはかっこいいって」

「うわぁ……。茉莉ちゃんも浜野さんと同じ白組?」


 今度は真人の口端が引きつった。ルックスを褒められるのはあまり好きじゃないのだ。


 顔だけを見て近づいてくる女子に、真人は辟易している。そして真人はそれを態度にも出してしまうので、近づいて来た女子はすぐに手のひらを返す者も多かった。それもまた煩わしいと感じているため、真人はイケメンだと言われる事自体を嫌うようになってしまったのだった。


「ううん。私は青組よ」 

「というか今更なんだけど、茉莉ちゃんって上の名前なんて言うの? 俺、北川真人。知ってると思うけど」


 一応、念の為に自己紹介をしておく。それに続いて、幸雄が自分の名前を言った。


山里やまざとよ。山里茉莉。由美も私も、ここでバイトしてるんだ」

「聞いたよ。浜野さんなんか、料理の熱弁をしてくれたしね」


 真人がそう言って笑うと、由美が真っ赤になって慌てだした。


「だ、だってっ……! ほんとに美味しいのよ!?」

「うん。お酢をかけて食べるのも美味しいね」


 からかうような、慈しむような表情。幸雄は本当に、久しぶりに親友まさとのそんな顔を見た。それが寂しいような、嬉しいような…複雑な気持ちである。


「由美ってかわいいっしょ?」


 2人の様子を見ていたからだろうか。茉莉が小声で幸雄にそう聞いた。


「確かに……。あの子が真人を待ってた時だって、朝練そっちのけでうちの学園の奴ら、みーんなあの子を囲んじゃって」

「あはは。でもあの子、無自覚なのよね。昔っから」


 茉莉は豪快に笑う。幸雄はそんな茉莉を見つめると、意を決して赤い顔で口を開いた。


「俺は、茉莉ちゃんも負けないくらいかわいいと思ってるけど……!」

「へ?」


 茉莉は不意をつかれたのか、驚いた表情で幸雄を見つめている。会話が聞こえていたようで、由美にも驚きの表情が浮かんでいた。


「あ、あの人…茉莉の事好きなの?」


 真人に小声でそう聞いた由美は、なんとなく不安そう。


「うん。料理も美味いけど、幸雄はほとんどあの子目当てでこの店に来てたみたいだし」

「そ、そお…………」


 茉莉がどうするのか、由美は不安げに2人の様子を見守った。由美からしたら、幸雄は初対面の男の人だ。彼がどんな人なのか、茉莉を大事にしてくれる人なのか、まだわからない。


「ありがと!」


 茉莉はパッと明るく笑うと、今度はからかうような口調で幸雄に迫った。


「褒めてくれたから、私、あなたの彼女に立候補しちゃおうかなあ? なーんて」


 茉莉は今の幸雄の言葉を、お世辞だと受け取った。だからそんな風にからかう言葉が出てきたのだが、幸雄の方は至って真剣である。


「ぜ…っ是非お願いしたいんですけど……!」

「……本気?」


 流石に、幸雄が真面目な顔をしている事に気づいた。茉莉はほんのりと頬を赤らめると、考える。


「ちょっ、ま、まだちょっと待って。私、あなたの事は客としてしか知らないもん」


 戸惑っている。幸雄も、勢いで言ってしまった事を後悔していた。告白までするのは流石に早すぎたという事を、彼も自覚している。


「そしたら、もっと通うから……! 俺の事いいかもって思ったら…その……」

「う、うん……」


 2人の間に生まれた甘く熱い空気が、由美と真人にも届く。


 ただ話が一区切り着いた次の瞬間には、幸雄も茉莉も何事もなかったかのように談笑を続けるので空気は霧散し、ただお互いの学園のことだとか、プライベートの事だとか、世間話を楽しんだのだった。

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