23.ワカレ
「誰かと思えば、お前だったのか」
ラインは言った。
アイは咄嗟にカッとなりかけたが、息を深く吸い込んで気持ちを落ち着ける。
「お久しぶりです、ラインさん……オワリを、果たしてもらいに来ました――」
「……そうか」
「ええ……教えてください。あの夜のあと、何があったんですか?」
アイはインスマン社のシステムを掌握してから意識を失った。
目覚めた時にはWDCが経営する病院のベットの上だった。他の隊員の姿はなく、病室を訪れた真っ白なオンナがAT小隊は解散したと伝えてきたのだ。詳細については機密と教えてくれなかった。まるで状況も判らない中、情報まで制限された状態はアイを混乱させた。
他の者たちの生死を調べようとも思ったがラインの足取りを追うだけで精一杯でそこまで手が回らなった。
「誰も、何も教えてませんでした。教えてください。皆さんは、無事なんですか?」
「それを聞いてどうする?」
「ただ、キリを付けたいだけです。少しの間ですが、一緒にいたひとたちですから。何もしらないまま、オワリたくない……」
アイが唯一、温度を持って接した最初で最後の皆だった。これからどうなるにしろ、安否くらいは知っておきたい。
ラインは思い出すように上を見上げた。
「ヴェインとアヤネはWDCを去った。アヤネは作戦後に下半身に障害が出た。子供はもう望めないそうだ。小隊を抜けるにしても監視が必要ということでヴェインが彼女につけられた。実質的に二人とも抜けたようなものだ」
「……」
「カイン、リオ、リンたちは別の小隊に編成された。今回の件で世界中にインスマン社の兵器がばら撒かれたことが判明した。今はWDC全体がその処理に追われている。とりわけ、カインたちは散らばったアンドロイドを追っている。余談だが、例の鹵獲したアンドロイドは破壊されることなく、カインたちの小隊に組み込まれたそうだ」
「そうでしたか」
アヤネの件には罪悪感を抱いたが、それでも生きていることに安堵した。
あの作戦で死んだ人間はいなかった。相手の規模を思えば、よくあの少人数で対処できたものだとむしろ感心する。
アイは隠し持っていた銃を取り出し、おもむろにラインへと近付き、手渡した。
「ワタシはもう、ジブンが分かりません。キオクがぐちゃぐちゃなんです。ねぇラインさん……お兄ちゃん……ワタシは、ダレに成り損なったんですか?」
ショウジョは、カレを見上げて、泣き笑いの表情を浮かべる。
「……少し、思い出話をしようか」
ゼロサム大戦時――しかし世界中、あらゆる大地が戦場だったわけではない。
彼の生まれた土地は外界の喧騒とは打って変わり、静かな港町だった。
子供たちが太陽の下ではしゃぎ、海の水を玩具に汗を掻く。戦争など、火薬のニオイなど、ひとの死など、遠い出来事でしかなかった。
妹がいた。名前はカガミといった。
黒い髪を長く伸ばし、いつも無邪気に笑う明るい少女だった。
男の子たちに交じって、元気に跳ね回る妹の姿は兄の目にも眩しく映った。
カガミは兄にとりわけなついていた。どこに行くにもついて回る。小動物のようだと思った。
大人になるころまで、妹がこのままだったらどうしよう、などと兄は少し心配になった。
未来を信じて疑わなかった。
時間が有限などとは思ってもいなかった。
終わりを意識することなどなく、無限の明日がいつだって与えられると思い込んでいた。
「理由は今もわからない。俺達は空襲に巻き込まれた。俺はかろうじて動けたが、両親はバラバラになって妹は瀕死の重傷を負った」
病院に運ばれたが、カガミはもう助かる見込みはないと言われた。
涙も流れなかった。それよりも、あまりにも一気に押し寄せた状況と情報の奔流に頭が既に死んでいたのだ。
唯一、兄の心にあったのは、妹をナオシテくれ、という願いだけ。
――そこに、
『ねぇ――』
あのオンナが現れた。
『あなたのお願い、叶えてあげましょうか?』
場違いな真っ白なコートに身を包んだオンナ。その姿に最初は医者かと思ったが、そうではないようだ。
『この子をイかすだけなら、どうにでもできますよ』
などとカノジョは、薬臭い病室で言った。
『ただし、生きていると言えるかは、怪しい状態になるでしょうけど……ふふ』
兄は二つ返事で妹をカノジョに任せた。
妹を、家族を全て失うよりマシな選択であると思ったのだ。
結果、妹は今のWLPOが管理する電脳空間を維持するためのパーツとして組み込まれた。
肉体の大半が機械に挿げ替えられ、地下深く、メインサーバーと接続された状態。人間の脳を使った演算能力を用いて、もうひとつのセカイは維持されている。
今のウォーゲーム、およびVR技術の根幹にあるのは、カレの妹という、モジュールなのだ。
「最初は、カタチは“多少”違えど、妹が生きていることに喜べた。世界から武力が消えていく過程に、俺のカゾクが貢献しているのをホコラシイとさえ思えた」
話すこともできた。以前のように快活ではなくなったが、イモウトと交われていると、その時まで思えていた。
あのオンナが言っていた意味が理解できたのは、案外すぐだった。
『――外が見たい』
青い空と、海を見たいと、イモウトは言った。
カレは言った『そっち側でも、ミられるだろ?』
イモウトは言った『うん……』と。
『そうだね。とてもキレイだよ。キレイな、グラフィックだよ』と――
『お兄ちゃんの声も、すごく聞きやすいよ。聞き取り易い様に、変換されるんだ』と――
『でも、お兄ちゃんのことは、ミエナインダ……なんでだろうね?』と――
その時、カレはイモウトのミテイルものが、セカイが、全て、ツクリモノでしかないことを知った。
アニの存在でさえ、イモウトには実在したソンザイか判らなかったのだ。
なにせ、イモウトは最初から、全部がニセモノでしかないセカイにいるのだから。
ニセモノしかないイモウトは、ホントウニ、イキテイルノカ……
或いは、カノジョのソンザイそのものも、ニセモノではないのか……
『お兄ちゃん――オソトが、ミタイデス――オニイチャンを、ミタイ、デス』
カレの耳には、ひび割れた音が聞こえていた――
「だから、俺は作ることにした。妹が、外を見ることができる体を」
ニセモノのセカイから本物の世界に連れ出すことができれば、イモウトのソンザイもまた、本物になると思った。
「カガミに残された脳と完全に一致するクローンを作り、電脳空間に存在する彼女の意識をインストールする。のちに、別の肉体へと定着させることで、カガミはカガミとして現実世界に実体を得る」
だが、どれだけアタマとカラダをイモウトの姿に酷似させても、カノジョの意識がなじまなかった。それどころか、人間としての機能もまともに果たせない、無様な肉の塊がいくつも作り出されてきた。
その度に、カレはイモウトのカラダを、コワシタ。
最初の1体は発狂しながらコワシタ。
10体目は慣れたものとキカイテキニにショリした。
50体目で自殺を考えた。
75体目は別の者にショリを任せた。そいつは後でコロシタ。
90体目でコワスのをやめてカウントダウンを始めた。マネキンが並び始めた。
100体目は一番不出来だった。慟哭を上げて並んだマネキンをハカイした。
以降、カレには泣き癖がついた。作ったイモウトの数を数えるのをやめていた。
「……そうでしたか」
そっけなくアイはそう言った。
目の前にたつオトコのメからは、水滴が流れ落ちていた。
カレは銃を構えた。黒い穴が真っ直ぐにアイの眉間に向いている。
「ワタシは、何体目だったんでしょうね?」
「……111体目、だそうだ」
カガミの脳から採取したDNA情報を元に人口精子を生成し、それを女性の子宮に仕込んで生まれたのが、アイだ。
これまでとは違う、試験官からではなく本物の人間を使うことで安定した肉体の製造を目指した。
結果からいえば、肉体はこれまでにないほど完璧な仕上がりだった。髪の色、瞳の色こそ違うが、アイの外見はカレが知るカガミのものとよく似ていた。
しかし、カノジョもまた、失敗作だった。
「お前には自意思があった。カガミを受け容れるためには中身が空である必要がある」
にも関わらず、アイにはアイとしての自意識が形成されてしまっていた。精子にはカガミの遺伝情報を記録したナノマシンが仕込まれていた。本来であればそのナノマシンは、アイが自意識獲得するのを防ぐはずだったのだ。
しかしアイは自意識を得た。加えて、ナノマシンの影響か、カノジョの中にはカガミの意識までもが混在する状態となっていた。
カガミはこの世界のあらゆるネットワークに侵入することができる。アイの持つ力は、ナノマシンを介してカガミの能力が外に現れた結果だった。
「お前には微弱だが確かにカガミの意識が存在している。だが、オリジナルを受け容れることはできないだろう」
「……そうなんですね……だったら……だったら、わたしを……ワタシを――」
アイはカレに近付いた。銃口が額に触れる。カノジョは銃に触れ、銃身を下げて胸に固定する。
「できれば、女の子的には顔より、こっちがいいです」
「分かった」
引き金に指が掛かる。撃鉄がゆっくりと持ち上がり、
「さよならだ」
「はい」
互いに顔を見合わせる。
カノジョは思った――そういえば、カレには結局最後まで『アイ』と呼ばれていないな、と。
カレのメには、ナミダみたいなものが光っていた。
――イキロ。
「え?」
銃声が響き、ショウジョのカラダが地面に倒れる。
しかし、カノジョのムネからは、血の一滴も、漏れてはこない。
ラインの手には、もうひとつ、銃が握られていた。
「すまない」
ショウジョの胸に打ち込まれたのは、麻酔弾だった――
「オワラセルと、そういう約束だったな。安心しろ。全て、オワラセテくるから」
カレは笑いながら、そう嘯いた。
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