16.カコ
ジブンは知らない光景を見ている。
夜の、どこかの通りだ。
いつもより視点が高い。
カツカツと靴音が響く。
視線が定まって微動だにしないのが気持ち悪かった。
周囲にほとんど人影はなく、物寂しい。
しかし悲しいと思う感情をコレをミているモノは一切所有していない。
あるがままに、ミたままに、コレは記録しただけ。
反対車線にヒトカゲを捉えた。情報の共有がなされる。アレは同類だ。
すれ違う。同類とはいえ仲間意識があるわけじゃない。
ここしばらく夜の街を徘徊しているのはジブンと同じモノか、行く当てのない浮浪者くらいなものだ。
カツカツ――
コツコツ――
背後から他の靴音がした。
熱源反応からしてコレは――これは?
脚を止めた。後ろにいる存在の正体を視覚として捉えようと振り返る。
直後――
胸部に衝撃が走った。手足がガタガタと勝手に駆動する。まるで人間の痙攣のようだった。
目の前が真っ赤に染まる。視界が明滅してアラートがけたたましく内部で鳴り響いた。
無理やりクビを捻る。
赤い視界の中、そこにいたのは――ジブンだった。
※
「――――はぁ――っ!」
詰まっていたものを絞り出すように息が吐かれた。
デジャヴにアイはめをしばたかせる。
「アイ!?」
音がした。それが声だと気付くのに少し遅れる。
首を巡らせると、こちらを覗き込むアヤネの顔があった。
珍しく動揺した表情が浮かんでいる。
「ァヤ……」
喉が張り付いて痛みが奔る。アヤネは補水液の入ったボトルから伸びるストローをアイに含ませる。
「ゆっくり飲みなさい」
そう言われたが、アイは異様な喉の渇きに水を一気に吸い込んでしまう。
「げほっ、げほっ!」
「だからゆっくり飲みなさいって……」
「すみません」
口の端からこぼれた水を拭われる。優しい手つきだった。
「ありがとうございます」
「気にしなくていいわ。タイミング悪く私がここにいたってだけだから」
「はい」
「汗がすごいわね。起きられる?」
「大丈夫です」
頭がうまく働かない。そもそも、自分は何でここにいて、アヤネに看病されるような事態になっているのだろう。
アヤネに支えられながら起き上がり、服を脱がされる。洗浄シートで体を拭いてもらった。
「はぁ……ぁ……」
重苦しかった汗が消えて、アイは吐息を漏らした。
「全く。世話が焼けるわ」
などと言って、アヤネは替えの服を用意したり、汗を吸ったシーツなどを交換していく。
「体が熱いわね……もう少し寝てなさい。あなたが起きたこと、隊長に報告して来るわ」
と、アヤネが席を外そうとしたところで、アイは彼女の服の端を摘まんでいた。
「なに?」
「あ……」
自分で自分の行動に驚き、アイは手を放す。
「……すみません。なんでもないです」
気まずくなり、布団で顔を半分隠す。本当に、自分はなにをしているのか。
アヤネはアイを見下ろし、「はぁ」と溜息を漏らしつつ元の位置に腰掛け、ホルジュムを取り出した。
「――隊長、アヤネです。アイの目が覚めました。調子が優れない様子なので、しばらくわたしが様子を見ます…………はい、了解………必要な物ですか? でしたら、消化にいいものを用意していただければ。あとは補水液も。念のため、解熱剤も用意してもらえますか…………はい、よろしくお願いします」
通話を切る。アイは気恥ずかしさに顔を熱くした。
アヤネはホルジュムをそのままにアイへ向き直る。
「しばらくここにいるわ。あなたも異性より同性の方が気が楽でしょ」
「はい。ありがとうございます……」
「辛い?」
「少し怠いです」
「結構。体調は隠さないでね。不調を抱えた仲間ほど厄介なものはないから」
体にしろ精神にしろ、万全ではないにしても最低限は整えてもらわねば困る。
厳しい世界であるからこそ、全体のために個のフォローは重要なのだ。不調がそのまま作戦の失敗に繋がる。
「よくやったわ。あなたのおかげでインスマン社に切り込む手札が手に入ったかもしれない。喜びなさい。あなたの奇妙な能力は有用と判断されたわ」
「……そう、ですか」
アイの表情が曇った。既にアヤネには見せている。特にそれで顔色を変えてくる様子はないが、アイは彼女が自分のことをどう思っているのかが気になった。
「アヤネさん……わたし、気持ち悪くないですか?」
「は? いきなりなによ?」
「その……こんな力、普通じゃないですし……」
「だから?」
「で、ですから、その……」
「あなた、自分のことが嫌いなの?」
「え?」
訊いていたはずが、逆に訊き返されてアイは戸惑った。
「好きじゃ、ないです」
「なんで?」
「だって、こんなの異常じゃないですか」
普通の人間は単独で電子の海に潜ることなんてできない。なにかしら外的要因があって、はじめてひとは電脳を知覚し、認識し、触れることがきる。
それを、アイは単身で全て処理できてしまえる。そしてそれができるということ以外、どうしてそれができるのかという要因が不明なのだ。
まるで人型の電子機器だ。
どういう機能が使えるかのか、外側としては理解できるのに、内部構造的にはそれがどうやってその機能を生じさせているのかが判らない。
「わたしは、わたしの中身がわからなくて……だからこの力のことも説明ができません。ひとって、理解できないものを怖がるじゃないですか」
「なによ? あなたどっかの研究機関でモルモットにでもされたいのかしら? だったら泣いて叫びたくなるほどいいところ紹介してあげるわよ。もっとも、死にたいと思っても死ねなくなるでしょうけどね」
アヤネは心底つまらなそうにそう言った。視線は冷ややかで、アイは思わず目を逸らしてしまう。
「あの、それってどういう……」
「世間一般でいう異常がその他大勢と違う事だっていうなら、この小隊は全部が普通じゃないわ。例えばそうね……リオとリンは北方大陸を拠点にしてたマフィアの幹部に飼われてた愛玩ドールだったわ。面白半分に姉弟でセックスさせられてた、とか言ってたかしらね。双子で向かい合わせて、『合わせ鏡』とかいう演目を、何度も強制されてた……」
「っ!?」
アイの目が大きく開かれる。しかしアヤネはホルジュムを起動してネットニュースの記事に目を落とし始めた。
「あと、カインは妻子を地元の犯罪組織に薬漬けにされた挙句、病院で狂って母娘で殺し合い……病室を真っ赤にして2人とも死んだって聞いたわ。最終的に組織の人間を皆殺しにしたとか、嗤いながら話してたわ」
「ぅぷっ…………」
先日の廃都での光景を思い出してアイは口を押えた。
「副隊長のヴェインは元テログループの幹部。創設者の一人って話よ。故郷で政府管轄のメインサーバーを物理的に破壊して国の機能をマヒさせて滅ぼした。直接的にしろ間接的にしろ、いったい何人が死んだのかしら……たしかお姉さんが官僚の息子に弄ばれて、挙句に自殺したのがテログループを作った切っ掛けだったとか」
「………………」
アイは胃と口を押えて耳を傾け続けた。アヤネがネットニュースの記事をスクロールする指を一時とめる。
「で、私は……《ヴォイド》に対する免疫を獲得した初の人間ってことで、とある研究機関でモルモットにされてた」
ヴォイド――転災を機に地中から溢れて大陸一つを滅ぼした新種のウィルスだ。
「どんな病原菌まで私が耐えられるのかって、色々体に入れられたっけ。あとよく分からない薬もかなり打たれたわね。おかげで右目が腐り落ちたわ。ああ、そういえば言ってなかったわね。私の右目、義眼なの。取り外しもできるわよ」
副作用で全身に激痛が奔って発狂しかけたこともあったわね、などと、アヤネは台本の台詞をなぞるかような無機質さで過去を振り返った。
「今更、あなたみたいなびっくり人間がひとり増えたところでこの小隊じゃ『へぇ』って、それだけ。気持ち悪いとかいう基準以前に有用かどうかよ。今回は有用だった。それだけ」
「そんな、簡単なことなんですか?」
「難しくしてるのはあなたでしょ。もっと単純に考えなさい。私ならあなたの力があったらもっと色々と活用してるわ。やりたい放題じゃない。あなた、良い子ちゃん過ぎるのよ」
話はこれで終わりでいいわね、とアヤネはアイから完全に意識を外した。
突き放すようなその態度から、どうでもいいこと訊かないで、と言っているようだ。
アイはベッドで仰向けになる。
部屋は静かだった。二人の呼吸する音しか聞こえない。
体を横にして、アヤネを盗み見る。相変わらずネットニュースに目を落としている。
「まだなにかあるの?」
しかしアイの視線にアヤネは気づいていたらしい。アヤネの義眼は普通の視野よりも広くなっている。
「お腹でも空いたかしら?」
言われ、アイの体は思い出したように空腹を訴えて来た。
「少し」
「そう。いい傾向ね。ぬるいゼリー飲料くらいならあるけど、いる?」
「いただきます」
少し年上の女性。アイは彼女のことを、姉がいたらこんな感じなのかな、と思った。
同時に、ここにいたのが『カレ』ではなく、彼女であることが、ほんの少しだけ、悲しかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます