13.キオク
翌朝。
アイは味のしないレーションをミルクで無理やり流し込んだ。
腹は満たされるものの何か物足りない。
「はぁ……」
思わずため息が漏れ出た。
先日、廃都を訪れてからどうにも倦怠感がぬぐえない。体も少し汗臭かった。
ホルジュムでヘルスチェックをしてみたが、これといって異常はなく……
だとすればこれはやはり精神的なものから来る鬱症状の前触れだろうか。
とはいえ小隊メンバーにこんな情けないことを相談するのは憚れる。
それに今日はブリーフィングがある。廃都で得た情報の共有と今後の動きについて小隊内で話し合うことになっているのだ。
集合の予定は午後からだ。それまでになんとか持ち直さなくてはならないだろう。
これといって隊に貢献できてないというのに、体調管理も碌にできない人間だと思われてしまう。それも精神的にだなんて……軟弱者と誹られても文句を言えない。
「シャワー、浴びようかな」
ぬるま湯でも被れば少しはスッキリできるかもしれない。
動くのも億劫だったが、彼女は無理やり体を引き摺ってシャワールームに向かった。
オーベットの水はセハイズと比べて循環システムの質に劣る。シャワーから出る水は薬品のニオイがきつい。しかしべた付く汗が流れていくのは気持ちがいい。一緒にべばりつくような倦怠感も溶け出ていくかのようだ。
シャワールームから出る頃には頭もハッキリとしてきた。
「あ」
髪にタオルを当てながら部屋に戻る途中、向こうからラインが歩いてくるのが目に入った。
「お疲れ様です」
「シャワーを浴びたのか」
「眠気を、飛ばそうと思いまして」
「そうか」
そう言って、ラインはアイの顔を凝視する。
「あ、あの……なにか?」
身長差で見下ろされながらも、真っ直ぐに見つめられてアイはたじろぐ。ラインの鉄色の瞳からは感情が読み取れない。アイはつい手の中のタオルを弄んでしまった。
「隈ができているな。寝れなかったのか?」
「っ!? あ、いえ! これは!」
手で目の下を隠す。朝からぜんぜん鏡を見てなかった。まさか自分の顔がそんな状態だとは。
「ブリーフィングが午後からだ。今の内に仮眠をとっておいた方がいい」
「はい……そうですね。申し訳ありません。こんな、体調管理もちゃんとできなくて……」
情けなくてラインの顔を見られなかった。
俯くアイに、ラインは「次から気を付ければいい」と彼女の頭に手を乗せた。
「こ、子供扱いしないでください!」
思わずその手を払ってしまう。
「……そんなつもりはなかったが……すまない」
「あ、いえ。こちらこそ、申し訳ありません。気を遣っていただいたのに」
やはり、今の自分はどこか余裕がない。
それに、ラインに言われた通りに仮眠を取るにしても、きっと自分はうまく寝付けない。
目を閉じれば、先日目にした惨劇を思い出してしまうのだ。
目ではなく、脳が直接視たあの映像は、しばらくの間はアイの頭の中から消えることはないだろう。
「……少し話そう」
「え?」
「どうにも、今のお前は情緒が安定していない。何か思うところがあるなら、話すだけでも多少はマシになる」
「……」
アイは躊躇した。ここで弱音を吐いて、彼の心証を悪くするのではないか。最悪除隊でもされたら、自分は次にどこへ行けばいいというのだ。
まさか、あの家に戻れと……? それは、冗談じゃない。
「わたしは……」
「お前が自力で自分を制御できるならいい。だがそれが難しいようなら、この任務からは外すことになる。もはや、戦わないという選択肢はなくなった」
「っ……」
先日までの出来事で、今の任務がどれだけ危険であるかは身に染みている。ここで必要以上に自分と周りを誤魔化して、全体の士気が下がるような事になってはこれから先の行動にも影響が出る可能性が高い。
自分の不調が原因で、隊を危険に晒すわけにはいかない。
アイは迷った末に、首を縦に振った。
「キャタピラーにダイブギアがある。話すなら、向こう側の方が都合がいいだろう」
向こう側、つまりはVRで話そうということらしい。
「分かりました」
アイは急ぎ髪を乾かし、ラインと共にキャタピラーへ向かった。
※
キャタピラーの制御室手前は開けた空間となっており、左右で計六つのリクライニングチェアが並んでいる。チェアにはダイブギアがマウントされており、ラインとアイは左奥のチェアに並んで腰かけ、ダイブギアを頭部に装着した。
「ナビ、ここのローカルエリアに接続する。承認してくれ」
『――声紋照会――マスターラインと認定――マスターライン、及び、同伴者一名のローカルエリアへのアクセスを承認します』
思考が強制的に途切れ視界が暗転する。浮遊するような感覚が全身を包んだかと思うと、不意に景色が切り替わった。
まず視界に飛び込んできたのはエフェクトで煌めく海だ。アイは波打ち際に立っていた。足に海水が触れるも、温度も感触もほとんどない。フィードバック保護のレベルが高いのだと思われる。雲のエフェクトひとつない真っ青な空には、白く発光する疑似太陽。
アイはまだアバターの設定をしていないため、服装は初期設定の白いワンピースだ。
背後を振り返る。すごく綺麗な街が見えた。どこのイメージだろうか。黒い瓦屋根の建物が目立つ。すれだが窓を覆い、隙間から風カガミの涼やかな音色が聞こえた。オリエンタルな雰囲気。本の中でしか見たことがないはずの景色だというのに、アイは妙な懐かしさを覚えた。
「無事に入れたな」
横からの気配に顔をそちらに向ける。
ラインがいた。ダークグレーのシャツに紺のジーンズ。飾り気のない格好だった。しかしなぜか、彼の姿は妙にこの街に馴染んで見える。
彼はなにも言わず、街の方へと歩いていく。
アイも、自然とその後を追っていた。
誰もいない、張りぼての街を二人で歩く。
木目調の塀に挟まれた通路。時折見かける赤い自販機のオブジェクトを通り過ぎ、ゆっくりと街の奥へと進んでいく。
ふと、一件の家に犬小屋を見つけた。思わず足を止めてしまう。
「どうした?」
ラインが振り返る。アイはじっと犬小屋に視線を注ぐ。中には何もない、空っぽの犬小屋。出入り口の上にネームプレートがある。しかし文字は掠れて読めない。妙にリアルな出来だ。
「……アオ」
言って、アイは自分の口に手を当てた。いま、自然とその名前が頭に浮かんだ。イメージも。黒柴だった。
「犬が好きなのか?」
「……いいえ、嫌いです」
子供の頃に、吼えられて、歯を剥かれて、噛み付かれて、怖くなった。なのに、自分以外には尻尾を振って愛嬌を振りまくのだ。だから、犬は嫌いになった。自分だって、家族だったのに……
「そうか」
それだけ言って、ラインは再び歩き始める。
アイもそれに倣い、脚を踏み出そうとして、なんとなく後ろ髪を引かれた。
頭の中には、記憶にないはずの元気で愛らしい黒柴の姿があった。
――しばらく進み、ラインは一軒の民家の前で立ち止まる。木造平屋の、小さな家だった。
「入るぞ」
などと言いながら、ラインは正面玄関を開けることもなく、慣れた様子で庭を回り込む。後を付いて行くと、家の縁側が見えた。正面に樹が生えている。翠の葉が茂り、葉擦れの音がしている。
ラインは縁側から家の中に上がって行く。アイはそれを見送り、自分は縁側に腰掛けた。途端に体から力が抜けて、木目の床に寝転がる。瞼を閉じればそのまま寝てしまいそうだった。
「はぁ」
吐息が漏れた。心地良い。樹の隙間から差し込む木漏れ日に、アイは目を細める。
「気分はどうだ?」
「っ!?」
アイは跳ね起きた。自分は今、なにをしていた? まるで自分の家のように安心しきって、上官がいる中で無防備に横になっていた。
「す、すみません! わたし、えと――」
自分で自分の行動に目を白黒させる。
ラインは座布団を二枚抱えてそんなアイの姿を見下ろす。
「申し訳ありません。気が抜けていました」
アイは頭を下げた。しかしラインは気にした様子もなく、座布団と縁側に並べてその内の一枚に座りあぐらをかく。
「気にするな。お前も座れ」
「はい」
アイは少しバツが悪そうにしつつ、ラインの隣に座る。
「このエリアは俺の故郷を模して作ってある。この家も、俺の生家がモデルだ」
なんとなくそんな気はしていた。彼は庭の木を見上げる。
「よくあれに登って母に叱られた。父は元気がいい証拠だと言って笑っていたな」
ラインの昔に耳を傾ける。
「妹がいたんだ。お転婆でな。考えるより先に体が動くような奴だった。俺もよくあいつには振り回された。だが妙に人に好かれる奴で、この辺りでは随分と可愛がられていた」
「ラインさんの、妹、ですか」
どんな人物だったんだろうか。そもそも、今の彼からは他人に振りまわれるなんて想像はできない。
だが、その言い方が全て過去形であることが気になった。
「あの……ご家族は……」
「ほぼ死んだ。突然のことで、俺も当時のことはよく覚えていない」
「あ……すみません」
事故にでも遭ったのだろうか。或いは病気か。いずにしろ、望ま形で身内が命を奪われたことが窺えた。彼の表情は変わらない。悲しんでいるのか、理不尽に対して怒っているのか。それとももう、彼は身内の死も色褪せてしまったのだろうか。
アイはラインの横顔を見つめた。こうして間近に彼の顔を観察してみると、思っていたより顔立ちが整っていることが分かった。灰色に見えていた髪は、黒い髪の隙間に無数の白髪が混ざり、そう見えていたようだ。そのせいで少し老けた印象を抱かせるのだろう。
「ラインさんの家族は、温かったんですね」
「そうだな。多分、幸せだった」
「羨ましいです」
自分には、そういった記憶がないから、とアイは言った。
「わたし、家族から嫌われていましたから」
アイは自嘲気味に嗤った。
彼女が産まれた家は、それなりの力を持った名家だった。
「わたし、髪の色も瞳の色も、母さま譲りだったんですけど、容姿だけは、誰に似たのか分らなくて……」
顔の彫が家族と比べても浅く、アジア系の血が混じっているような面立ちだった。
しかし家系を遡っても一族がアジア人と婚姻を結んだ記録はなく、アイはどこの血が混じった娘か分からず気味悪がられた。
加えて、
「わたしは妙な力が使えましたから………余計に疎まれて……手で触れた機器のシステムに、外部デバイスを使わなくて意識を侵入させることができる……この前、ラインさんたちに前でも使ったアレです」
「そうか」
ラインはただ、そう言った。憐れみも、同情もない。
ただ、それを薄情とアイは感じなかった。
「ラインさん、わたしって見た目どうですか?」
「なんだ、突然?」
「こう言ったらなんですけど、わたしって顔はいい方だと思うんです」
自分で言うか、などとアイは内心で苦笑した。だが、
「そうだな。世間的な美醜の基準で言えば、お前は美しい部類だろう」
「そ、そうですね」
機械的な評価だが、真面目に言われてしまうとそれはそれで照れる。
「まぁ、ですからこう、色々とわたしをどう利用しよう、とかは考えてたみたいです……とりあえずはどこかの有力者のお嫁さんにするとか。そんな感じに」
まぁ、それ自体はありふれた話なんですけど、とアイは自嘲した。
「でも、WDCの長官が直接家を訪ねて来たんです。どこで聞きつけたのか、『彼女の力が是非とも欲しい』って、すごいお金でわたしを買ったって聞いてます」
家としては、アイを厄介払いできればどこでもよかった。しかもそれで大きな利益を得られるなら、彼等としては何も迷うことなどなかった。
話はたったの数日でまとまり、アイはWDC預かりの身となったわけである。
「正直、実験動物にされるくらいは覚悟してたんですどね。WDCはわたしを諜報員として訓練するだけでした。まぁ、それが鬼みたいにきつかったんですけど。なんど訓練中に吐いたかわかりません。わたし、これでもお嬢様だったんですよ」
「死に難くなるための訓練だ。厳しいのは当たり前だ」
「それはそうなんですけどね。正直、殺されるんじゃないかって本気で思いました」
などと言いつつ、アイは笑っていた。
「わたしこう見えて、実地訓練では結構活躍したんですよ。誰も褒めてくれませんでしたけど」
唇を尖らせて、アイは脚と一緒に体を揺らす。
「こういう力もありますから、他のひとより有利なのは分かりますけど、もうちょっとこう、あってもいいと思いませんか? 一言でも、『さすが』とか『よくやった』とか。教官みんな、出来て当たり前、みたいな感じで。こういう組織って、どこでもそうなんですかね」
「さぁな。俺はここ以外を知らないから、なんとも言えん」
そう言うラインの横顔を、アイはじっと見つめる。
「ラインさんは、褒めてくれたりしないんですか? 昨日、わたし頑張ったと思うんですけど」
「褒めて欲しいのか?」
「……できれば」
「そうか」
ラインはアイに向き直る。もしかして、また頭を触られるのかと思った。
だが、彼は自分の膝を叩き、「来い」と言った。
「え?」
アイは思わずラインの顔をまじまじと見てしまった。
「どうした?」
「い、いえ! あの……」
彼とはまだ出会って一ヶ月も経っていない。それでも、こういうことをする人物だとは思っていなかったのだが。それ以前にそこまで気安い仲でもない。ただの上官と部下だ。
「えと……失礼します」
ただ、アイの困惑とは裏腹に、体が勝手にラインの膝に頭を乗せていた。
硬くて、大きくて、広い。体温は分からなかった。それを、少し寂しい、とアイは思ってしまう。
不意に、彼女の頭をラインが撫でた。
結局さわってくるのかと思ったが、不快には感じなかった。むしろ……
「廃都ではよくやった。お前のおかげで、あの場で起きたことの真相を知れた。相手の正体はいまだ不明だが、確かな進展だ」
「はい……わたし、頑張ったんです。ひとが一杯殺されるのを、一杯、一杯、視てたんです」
襲撃当日に生きていたカメラが本当はもっとあったこと、その中に映っていた殺害行為の数々、ひとが殺されるときの、苦悶と恐怖に染まった貌……
「わたし、小さい時からシが怖いんです。他のひとにそれを言っても、『当たり前だろ』としか言われなくて……でも、そうですよね。死が怖くないひとなんて、いないですよね」
わたし、おかしいんです……と、アイは体を丸くした。
「ラインさん。こんなわたしは、この小隊にいてもいいんでしょうか……」
アイはシにおけるクルしみ、イタみがリアルに想像できた。同時に、無性にカナしくなる。
「なんで、ひとってシんじゃうんでしょうね」
「さぁな」
ひとは終わりを美しく、永遠を醜いと言う者もいる。
しかし、生と死に美醜の概念を持ち込むこと自体、滑稽ではないのか。
生も、死も、単なる始まりと、終わりにすぎない。
ひとは何かにつけて、そこにある物事に意味を持たせたがる。ただ、そうしてタグを付けねば認識できないのもまた、ひとなのだ。
「わたし、ひととちょっとだけ違いますよね。多分、普通じゃないです」
「それは誰と比べてだ?」
「……小隊の皆さんとか」
「どう違う?」
「この力とか……わたし、結構見えてるモノが皆さんと違うと思うんです。機械に触ると、システムの配列とか、意識しなくても視えちゃう時とかありますし」
脳と眼球だけでコード配列が視えるなど、普通とは言えない。
「わたしって、皆さんにどう思われてるんでしょうか」
「それは訊いてみないと知りようもない」
「ラインさんは、どう思いますか。わたしのこと。やっぱり……不気味、ですか?」
アイは仰向けにあって、ラインを見上げる。灰色の瞳と目が合った。
「そうだな……」
ラインは僅かにためを作って、
「俺の妹とは、似ている部分もあるようにも思ったが……やはりまったく違うな、お前は」
などと、よく分からないことを言った。
それでもアイは、
「そうですか」
と、頷いて、少しだけ悲しくなった――
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