12.ガランドウ

 ――夜はサミシイ。カラダがヒエル。


 夜間、オーベットの街は極端にひとの姿が見られなくなる。

 ひとがそこにいるだけで空間の温度は高まる気がする。

 その理屈でいうなら、ひとのいない夜が冷えているのはなるほど道理だ。


 いや、それは正しくないか。


 温度がひとの群れの中で生じるものならば、孤独で孤立した個のジブンは、昼夜を問わず常に凍えているということではないか。

 でも、やはり夜は、一際この身をシンと凍てつかせる気がする。


 この街は兎角、居心地が悪い。

 そこらじゅうで『同類』が闊歩している。

 住民はまるでそのことに気付くことなく生活を続ける。

 ほら、今も人間とアレがすれ違った。アレの動きは違和感だらけだ。

 よく出来てはいるが、不自然なまでに自然な人間を模して失敗しているじゃないか。

 すでに夜を歩くモノはひとよりアレの方が多い。


 ――ああ、キモチワルイ。


 アレには視認補助としての灯りなど必要ない。街灯はひとの足元を照らす役目よりも、ただアレの姿を映すための照明として光っている。防犯という意味ならアレが街を我が物顔で歩いている時点で既に成立していない。なんとも無意味で滑稽な光景だ。


 オトコが歩いている。なんて無警戒な姿だろう。

 目の奥がチリチリと焼け焦げるような感覚がした。

 カレを視界の中に収めて、思う。


 ――自分も一皮剥けばアレと同類なのに、なぜこうも胸の内は痛まないんだろう、と。


 否、それは自分という存在の定義するところで言えばひどく正しい在り方だった。

 そもそも、痛む胸など最初から持ち合わせてなどいないのだから。


 街灯という名のスポットライトをオトコが掠めた。脇に路地の見える通りに差し掛かる。

 ふと、光届かぬ路地の奥から、白い繊手がオトコの首に伸びた。

 何事、とオトコのカオが感情の形と整えるより先に、トウブはクビから捩じ切られていた。


 ――あっけない。


 体から離れてしまった頭部と、それを見下ろすカオは、どちらも無表情のままだった――

 

 ※

 

「――はっ!?」


 夜中。アイは体に妙な嫌悪感を覚えて目が覚めた。

 ここ数日で見慣れて来た天井を仰ぎ見る。

 だがどうにも視点が定まらない。ぼうと二重に景色が歪む。


「う、ぅん……」


 頭痛で吐き気がした。目の奥がギリギリと締め付けられるようだ。耳鳴りもする。

 同時に、イライラした。すごく、腹立たしい。


「はぁ、ぁ……」


 強引に起き上がる。体に空気が触れた途端、異様に汗を掻いているのが判った。


 気持ちが悪い。


 アイは服を脱ぎ捨てて、体を拭く物を探す。大きなクローゼットの脇に置かれたバックを引っ掴む。荷物を詰め込まれたそれを、アイは乱暴にひっくり返した。


 タオルを掴むと、肌が赤くなるのも構わず、力を入れて体を拭く。

 汗を吸ったタオルを床に落とし、アイはなんとなく部屋の窓に振り返る。


 アイはカーテンに近付き、少しだけ外の様子を窺った。


「……」


 目を細める。

 ナニもいない。

 本当に、ナニも。


 外から見られることも構わず、アイはカーテンを全て開けた。

 窓に張り付き、辺りを見渡す。


 だが、やはり無人の工業地帯が広がるばかりで、なにもない。

 アイは窓から離れ、ベッドに腰掛ける。

 喉が渇く。水を飲みに行きたくなった。


「あ……」


 カーテンから差し込む街灯の灯りが、自分の白い肌を淡く照らす。

 部屋の外に出るなら服を着ないと。さっきの服は汗を吸っており着たくない。別の服を出さないと。確か、クローゼットに予備の部屋着があったはず。


 アイは微妙に開いているクローゼットに近付き、開けた。

 すると、中からナニかが転がってきて、慌てて後ろに下がった。

 見れば、それは男性の頭部を模したマネキンの首だった。首の後ろに、前の持ち主と思われる名前が書かれている。夜、一人の部屋に、マネキンとはいえ首が転がっている不気味さに、アイは眉を顰めた。


 ソレと目が合う。背中に悪寒を覚え、彼女は窓から首を外に放り棄てた――

 

 ※

 

 ラインは街灯の光に照らされた通りを歩いていた。

 人影はなく埃っぽい空気だ。心なしか街の景色も歪んで見える。


 商店が並ぶエリアだが今はほぼ全ての扉にクローズの札が掛かっている。

 開いているのは酒場くらいなものか。それとてこのオーベットでは数件しか見かけない。

 中を覗いてみたが数人の客が静かに酒を舐めている。辛気臭い雰囲気だ。あれで酒を旨いと感じられているのだろうか。店主も随分と陰気にカウンターで電子新聞を読んでいた。

 ああいう手合いは帰る場所もなくただ酒場で時間を潰しているのだろう。


 そうでなければ住民は夜のオーベットを出歩かない。


 誰もが夜の街を遠ざける様に家の中に引きこもっている。

 たまに通行人を見かけてすれ違う。ラインの姿をチラを見かけた彼らは横に避けてそそくさとその場から歩き去る。

 振り返ってその背中を盗み見る。

 規則正しい靴音がそのままのリズムを刻んでやがて聞こえなくなった。


 ラインは当てもなく夜の街を徘徊する。

 ホルジュムを起動して現在地を確認。拠点のギルマン寮から随分と歩いてきたようだ。


 中心地から外れて街の居住区域に差し掛かる。

 灯りの感覚もまばらになり、余計に闇の色が濃くなったような気がした。

 家屋の窓から漏れる照明は僅かで、ほとんどが寝静まっている。


 白い壁に赤い切妻屋根が並ぶ。

 割れた窓もいくつか目に付く。どうやらところどころ空き家になっているようだ。


 文明の崩壊以降、世界の人口は少しずつではあるが回復傾向にある。

 ゼロサム大戦を機に10億を下回った人口は約20億まで増えた。


 それでもこうして一部が過疎化した街は世界中に点在している。そうしてひとがいなくなれば廃都として登録される。新たにひとが移り住んでくることもないわけではないが、大抵の場合はアングラサイドに潜む犯罪集団や腹に黒いものを抱えた企業や組織だ。


 廃都になりたての街はライフラインが生きていることが多いためそういった輩の隠れ家によく利用される。

 このオーベットも、或いは遠くない未来にそういった末路を辿るのかもしれない。


 ――いや、それは正しい認識ではなかった、とラインは思い直す。


 そもそも、現時点でこの街は違法に武器を製造している組織に浸食されつつあるのだ。

 生きたまま、ジワジワと、まるで毒が全身に蝕んでいくように……


 しかしラインにとってこの街の未来などどうでもいいことだ。


 彼の目的はあくまでインスマン社が製造した武器が世に出回るのを防ぐことだけ。

 オーベットの街がどれだけ侵されていようが彼にはあずかり知らぬことだ。

 滅びの結末にも関心はない。

 そもそも彼は、人間がこの先滅びようが生き残ろうがどちらでも構わないのだ。


「……」


 不意に、ラインの目が一件の空き家に向けられた。

 壊れた窓から中が窺い知れる。

 近づいて覗き込んでみると、家具はそのまま、僅かに荒らされた形跡が見られる。


 ふと、チェストの上にクマのぬいぐるみを見つける。中から綿が飛び出し目も片方が失われていた。


 この家にはかつて子供がいたようだ。家族はどこへ消えたのか。


 窓から離れて家を見上げる。

 白い壁の一部は剥がれて中から灰色の建材が見えている。

 ガランとした建物は外身だけで中身を伴っていなかった。


 まるで今の自分を見せられているような気分だ。

 全ての中身は時と共に取りこぼして、最後には目的だけしか彼には残らなかった。

 感動を最初に落とした気がする。次に衝動を失った気がする。次に感応を忘れた気がする。


 家人を失った伽藍洞の家。

 空虚なその在り方に、ラインは踵を返して居住区域からそそくさと離れた。


 街の裏へ回る。路地裏、スラム――


 遂に灯りの一つもなく、よそ者の来訪に警戒心を覗かせたケダモノの目だけが光っている。

 だが神刹の時のように、薄っぺらに敵対してくる気配はない。彼等はラインと関わることを避け、さっさと消えろと念じ続けていた。時にケモノはニンゲンなどよりよほど賢くなるということだ。


 ――利口なのは結構なことだ。


 とはいえ、この街に塗りたくられているのは歪な外面でしかない。

 街を歩いていればナニかを見つけられるかと思ったが、結局はなにもなかった。


 どうやら、今日は“ハズレ”の日だったようだ。


 これ以上歩いていても意味はない。ギルマン寮へ戻るとしよう。

 1時間ほどで寮に戻って来た。見張りのリオとリンはラインの外出に特になんの反応も見せることなく「ただいま」とだけ言って通した。


 静まり返った寮内。ラインは割り当てられた部屋を通り過ぎ、突き当りの鍵付きの扉へ近づいた。


 電子ロックにパスワードを入力し、扉を開ける。

 窓は鎧戸で締め切られて、外からの光は一切入ってこない。

 部屋の中は妙に鉄臭かった。密閉されているがゆえに空気も淀み切っている。

 ラインは重たい音を立てて扉を閉め、ライトを点ける。


 すると――


「今日は、増えなかったな」


 部屋一面に、赤黒い液体を撒き散らして、六つのヒトが転がっていた――

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