8.チョウサ

 ふと、アイは妙な気配を感じて目が覚めた。


 先のセハイズでの襲撃から、二人一組で見張りを立てることになった。

 今はラインとアヤネが見張りに立っているはずだ。

 アヤネは目がいい。夜であっても、動くモノがあれば見逃すことはない。

 ラインの戦闘能力の高さも合わされば、襲撃があったとしても事前に察知された挙句、相手はすぐに組み伏せられるだろう。


 だというのに、アイは妙な胸騒ぎを覚えてベッドから這い出した。


 シンとした床に素足が触れ、肩が震えた。

 少し顔を上げると、見慣れない天井。肌が冷える。なぜか妙に寒かった。


 上着を羽織る。

 そのまま、窓に近付いた。アイの部屋は地上三階。ここからは工業地帯がよく見える。

 夜でも防犯灯の光が煌々と闇を照らしているはずだ。

 今はカーテンを敷いているため筋状の光が差し込んでいるだけ。


 カーテンを少しだけ開いた。気まずさを覚えたひとのような動きだ。

 アイはチラと、盗み見る様に、窓の外を見た。

 夜と防犯灯の光が、白と黒とで世界を分けている。

 自分の眼がモノトーンになったような錯覚を覚えた。


「はぁ……」


 思わず気が抜けた。


 なにか、そこにいるような気がしたが、気のせいだったようだ。

 ホッと一息ついて、カーテンを戻そうとした。


「――――え?」


 ソレは本当に偶然だった。

 防犯灯から外れた、通りに、カゲがあった。


「……あ」


 見覚えのあるカオだと、すぐに気が付いた。

 ソレは、つい先日、アイを襲撃してきた、あのオトコだ。

 アイは腹の奥と背中の中で、蟲が這い回るような気持ち悪さ覚える。


 しかし、カーテンを閉じることもできず、小さな隙間からオトコの姿を見続けた。

 ふと、カゲのようなオトコが、こちらを視た、様な気がした。


「っ――」


 メが合った、かもしれない。


 アイは窓から慌てて離れて、胸を抑えた。

 無音の室内に、自分の内側から鳴る心臓の音がやけに大きく感じられた。

 汗が、アイの肌を濡らしていた。

 喉を鳴らす。カノジョは恐る恐る、カーテンを、もう一度開く。先ほどより、小さく。


「……」


 しかし、街灯の下には――ナニもいなかった。

 

 ※

 

 オーベットに着いてから1週間が過ぎた。


 カインは朝霧で視界が滲む中、商店が並ぶ区画に足を運んでいた。


「う~、さむさむ……」


 肩を小さくして、吐き出す吐息に白いものを混じらせる。

 周囲は仕事に向かう人間の波が僅かにあるだけ。この場所が賑わうには今の時間はまだ早い。


「平和だねぇ……」


 片方だけ口角を持ち上げて、皮肉るようにカインは静かな街の様子を眺めた。

 ここからたったの数十キロしか離れていないインスマン社のプラントで、大量の兵器が製造されている事実など誰も知らない。

 工場地帯を挟んだ向こう側でたむろしていたギャング消失事件のことなど、おそらく毛ほども気に掛けていないだろう。あ~いなくなったのか、とその程度。


 或いは、ほんの数か月前に頻発した住民の一時失踪事件に関してだって、そこまで深刻に等捉えてなどいない。


 そんなことを気にするより、今日の夕食は何にしようか、なんてことを真剣に考える。


 しかし、それは正しい。もしかしたら自分が事件に巻き込まれるかも、などと日常で摩耗していったのではこの街はとっくの昔に病んで終わっている。


 神刹のように大きく歪みが見える場所の方が少ない。どこもかしこも、見え辛い、あるいは死角に隠れた歪さを抱えている。


 カインはそういった、見え辛い歪みに対しては敏感だった。

 それはきっと、彼が元々刑事という職にあったことに由来するのだろう。

 平和に見える裏側で蛆が湧き、死肉を食い貪る光景があることを彼は知っている。


 そして、どれだけ潰そうと蟲共が湧いてくるのを止める術はないことも、カインは理解していた。


「今日はいるかな~、っと」


 カインはとある喫茶店の前まで来た。

 全国チェーンを展開している有名な喫茶店だ。青の下地にm白い一筆書きの少女が散りばめた星を見上げるような看板が目をひく。


 引き戸を開けて中に入ると、クラシカルな内装と珈琲の香りに迎えられる。

 左手側に見えるカウンターから女性スタッフが顔を出す。


「いらっしゃいませ」

「よぉ、今日も来ちゃったぜ」

「あ、『レイン』さん。おはようございます。今日も来てくれたんですね」

「愛しい君に会いにね」

「またそんな冗談を言って。今日は何にしますか?」


 女性スタッフはカインを軽くあしらって注文を取る。

 カインは「手強いねぇ。そんなところも魅力的」などと言って、モーニングセット(珈琲とクラブハウスサンド)を頼んで窓際の席に陣取り、ホルジュムをテーブルの上に置いた。


「う~ん。やっぱり君の淹れてくれた珈琲は格別だ」

「またそんな調子のいいことを。マニュアル化された珈琲の淹れ方で差なんて出ません」

「そこはほら、淹れてくれた君との相乗効果的な」

「はいはい。それでは、ごゆっくり」

「つれないねぇ……」


 カウンターに戻って行くスタッフを見送り、カインは窓の外に目をやった。

 見えるのは何の変哲もない通行人たちの群れ。時間も経って数も増えて来た。

 右へ左へ、無秩序に目的地へ歩く彼らの姿をカインは注視した。


 と、カインの眼が一人のオンナを捉える。

 銀色の髪に青い瞳。目鼻立ちが整っており、すれ違う男たちの視線を引き寄せている。


「相変わらず、いいオンナ」


 ラインは頬杖をついてカノジョをじっと眺める。


「――またあのひとのこと見てるんですか?」


 女性スタッフが席の横から窓の外を見る。


「綺麗ですよね、あのひと。それで~? 私を口説きつつ他の女のひとを見てたんですか~?」


 いたずらっぽい表情でカインを見下ろすスタッフ。

 カインはチラとホルジュムで時刻を確認すると、


「今日は何時まで?」

「なんですか突然。早朝に出たんで、午後の一時までですよ」

「なら、その辺りにオレと一緒にお食事、なんてどう?」

「え~、どうしよっかななぁ。なんかお兄さん遊び慣れてそうだし」

「言い換えれば、君を確実に楽しませることができる男だぜ、オレは」


 カインは「どう?」と女性スタッフを見上げる。

 彼女はほんのりと染まる頬をトレイで隠し、「仕方ないなぁ」と了承。

 微笑みながらカウンターに戻って行く。


 それを見送り、カインは『密かに』起動していたホルジュムのカメラアプリとタイマーアプリを同時に表示させる。

 そこに記録された映像と時間を確認し、彼は「はんっ」と口元を歪め、鼻を鳴らした。

 

 ※

 

「ふぅ……」


 アヤネは湯船の中で一息ついた。

 ギルマン寮には共同浴場があり、数日に一度は入浴することができる。

 連日オーベットで住民からインスマン社のついての話を聞いて回っている。


 しかしこれといって特筆すべきような情報は出てこなかった。


 アヤネはヴェインと共にオーベットを観光しに来たカップルという体裁で動いている。

 さすがに公私混同はしていない。ヴェインもその辺りは生真面目すぎてそういう雰囲気にはならない。

 とはいえ、私情を挟まずに調査するというなら相手役はカイン辺りが妥当だっただろう。しかし彼は毎日独自になにやら動いている様子。

 アヤネはただ街で女性を引っ掛けているだけでは、と思っているが、ラインが好きにさせている以上は何か思うところがあるのかもしれない。


 インスマン社についてこれまでに分かっていることは少ない。


 工場が誘致されたことで周囲の商店が繁盛し始めた、というのを聞いた。

 食料品や日常品がこれまでより目に見えて売れ行きがよくなったそうだ。


 他にも、周辺の工場でもこれまで製造していた製品をインスマン社に卸す流れが生まれたことで、街の経済にも小さくない影響が出ているようだ。

 話を聞く限り、オーベットはプラントの誘致で随分と街が活気づいているようだ。

 それに、彼等が来てから廃都のギャングが姿を消し、街のジャンク屋が安心して廃都を歩けるようになった、と喜んでいた。


 結局その件にインスマン社が関わっているかどうかは分からない。だが住民は、そうだ、と信じて疑っていない様子だ。


 手段はどうでもいい。最終的に、街にとって有益な状況が出来上がっている事実があり、住民はそれを受け入れているということだ。


「うまいこと隠れてるわね……」


 正直、これ以上聞き込みを繰り返してもほとんど情報は出てこないだろう。

 こうなると次のステップに行動を移していかねばならないが。


「どうしたものかしらね」


 アヤネはのぼせる前に風呂を出た。

 部屋に戻る途中でヴェインと鉢合わせる。


「風呂上がりか。さっぱりできたか?」

「ええ。できることなら、毎日入りたいくらい」

「それは難しいだろうな。怪我の具合はどうだ? 派手に打ち付けられたみたいだが、まだ痛むか?」

「だいぶ良くなったわ。まだ捻ったりするとちょっとだけ痛いけど、仮に作戦行動が始まっても問題はないわ」

「そうか。だがあまり無理はするなよ。体が資本の仕事だからな」

「なら、薬と湿布、貼ってくれる?」


 アヤネは滅多に見せない、いたずらっぽい笑みを浮かべてヴェインを見上げた。


「……了解」

「ふふ。よろしく」


 肩を竦めるヴェイン。

 二人はリビングのソファに腰を落ち着け、アヤネは服を脱いでヴェインに背を向ける。

 薬が塗られ、その上から湿布を張ってもらう。背中であるがゆえに、どうしてもひとり処置するのは難しい。


「こんなもんか」

「ありがと」


 改めて服を着る。

 プラシーボ効果かもしれないが、痛みが和らいだ気がした。


「ふぅ……」

「ヴェイン?」


 背後で細く息を吐き出す彼にアヤネは振り返った。


「悪い。どうにも進捗が思わしくなくてな」

「調査の件?」

「ああ。お前と二人でいる時ぐらい、こういう思考を切り離すべきだと、分かってはいるんだが……」


 ヴェインは小隊の中でも群を抜いて真面目だ。ともすれば、抱え込み過ぎるくらいに。


「そうね。せっかく恋人がこうして肌を晒したのに、仕事のことを考えられるのって、ちょっとイヤ」

「すまん」


 ヴェインはバツが悪そうに髪を掻いた。


「まぁ、でも仕方がないわ。私も、ちょっと考えちゃってたしね」


 現状、エージェントが事前に調査していた以上の情報は得られていない。

 インスマン社の社員寮か、或いはプラントそのものに忍び込み、直接違法行為の証拠を掴む手もある。だが施設内の見取り図がなければそもそも計画を立てられない。

 仮にも武器を製造しているプラントのセキュリティがザルなどということはあるまい。


「いっそのこと、プラントの従業員を拘束して尋問でもしてみる?」

「それも手ではあるが、敵を余計に警戒させることになりかねない。しかも誰を拘束すれば有益かも判らない状態ではな……」


 ただ闇雲に捕まえればいいわけではない。

 できるだけ情報が引き出せそうな人物をピックアップする必要がある。


 しかし相手側の情報がない今、この手段は悪手と言わざるを得ない。


「うまくいかないわね」

「ああ……だが、インスマン社絡みでなにもできないわけじゃない」

「というと?」

「廃都だ。あそこには元々ギャング連中が根倉していた場所だ。あそこを漁れば、なにか出て来るかもしれん」

「なるほど。それに人目のない所なら、セハイズで私たちを襲ってきた奴が出てくる可能性もあるわね。私やアイが単独で動いていれば、もしかしたら釣れるかも」

「危険だが、情報源を得られるならそれもありだな。あとは、ギャング共の根城を漁ってみるのもアリか」

「そうね。急に消えた、といっても、なんらかの痕跡は残ってるかも」

「聞き込みで得られる情報は、もうないと見ていいかもしれん。なら、俺達はまた別の角度でインスマン社を攻めてみよう」

「そうね。それがいいかも」


 恋人同時で色気のないことではあるが、これが二人の日常だ。


 アヤネとヴェインは、ホルジュムで廃都の地図を表示させる。

 これまでに得た情報を元に、ギャングがアジトにしていそうな場所をピックアップ。


「明日、もう一度ジャンク屋に行ってみよう。なにか話が聞けるかもしれん」

「そうね。メンバーはどうする? 無駄足になるかもしれないし、私とヴェインだけで行ってみる?」

「いや、この規模だと二人だけで探索は厳しいな。メンバーを寄こしてもらえないか、大将に聞いてみよう」


 アヤネとヴェインは、廃都探索の意見を交換していった。

 ――翌日、ヴェインはラインに廃都の探索を意見し、


「分かった。ならば当日は俺とアイも同行しよう」


 話はすぐにまとまり、AT小隊は廃都の探索に乗り出すことになった。

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