7.ヤミ
エージェントの女は、
『皆様のことは、この寮を壊す業者ということで周知させてあります』
と言ってから、「次の任務がありますので」と去って行った。
街灯の光が赤い煉瓦の建物を照らす。工場に務める者たちの帰路からもずれているため、周囲に人影はまばらだ。
ラインはオーベットの街に出た。隣にはアイの姿もある。
二人は食料の買い出しに出ていた。これからなにかと物入りだ。
食料や医薬品、消耗品などを調達する必要がある。
エージェントから徒歩圏内で利用できる商店は教えてもらっていた。
ラインはホルジュムを片手に先導する。
「保存食に、薬……あとは、地方紙……新聞ですか?」
「新聞でも雑誌でもなんでもいい。とにかくこの地域の情報が載っていればな」
現代の地域新聞はその土地の商店で直接データをダウンロードして購入する仕組みだ。ネットが娯楽となった時代、情報の有料化が進み、詳細な情報を記載された地方紙や情報誌は、その地域でしか入手できないことが多くなった。
「無料のネットニュースじゃダメなんですか?」
「あれはよほど大きな事件でもなければ情報が出てこない。細かく土地の情報を集めるならその土地の新聞を見た方が有益だ」
ネットの記事には主観交じりのモノが多い。新聞が全くそうでないとは言わないが、情報の正確さや詳細などは比べるべくもない。
「インスマン社がこの土地に工場を誘致してからの街の動向……生活の変化や彼女が言っていた事件……関連性を調べるにしてもまずは情報が欲しい」
オーベットで起きた住民の一時失踪事件。
エージェントの話によれば、ある日突然町の住人が忽然と行方をくらませ、それから数日後に消えた時同様、前触れもなく戻って来たという。
それだけなら、ただ行き先を伝えずにどこかへ外出していただけ、という結論で片が付く話だが……戻って来た住人は、失踪中に自分がドコで、ナニをしていたのか、まるで覚えていなかったのだ。それが一件や二件ならエージェントも見逃したかもしれない。
しかしこれが、13件ともなれば話は別だ。
一時期、オーベットではかなりの騒ぎになったという。
いくら失踪した当人が戻って来たとはいえ、不気味な事件であることに変わりはない。
「それに廃都を根城にしていたギャングの消滅……いずれもインスマン社のプラントが誘致された直後に発生している。偶然か、或いは……いずれにしろ、俺達はもう少し情報を集めたほうがいい。明日からはさっそく街に出て情報を集める」
エージェントもオーベットについてはそれなりに調べてくれている。
しかしそれらの情報を精査する意味でも、実際に実地を自分達の足で歩く必要がある。その過程で、新たな情報を得ることもある。
「ひと先ずは新聞だ。事件当日のバックナンバーは街の図書館で閲覧しよう」
「分かりました。では、そちらはわたしに任せてもらえませんか? こう見えても、情報整理は得意なんです」
「そうか。ではお前に頼むとしよう」
「はい!」
仕事を任されて、アイは嬉々とした笑みを浮かべた。
眩しい少女だ。未来を信じて疑わない無垢な貌……否。無垢さを演じたカオか。
彼女も人並みにこの世界の現実は目の当たりにしてきている。それでも己の振る舞いで自分自身を鼓舞して前を向ける。夜道の中で、少女の姿はラインには明るすぎた。
……カガミ。
「はい? あの、すみません。なにか言いましたか?」
「いや、なにも……買い物を済ませよう」
「あ、待ってください!」
ラインはアイから視線を外して先を行く。目を焼くような少女の姿から逃れるように。
※
リオはホルジュムの画面の前で頬杖をついていた。
エージェントが用意した隠れ家ギルマン寮。表面的な部分こそ朽ち果てた様相をしているが、奥の部屋は整備がされている。かつては工場に努めていた職員が使っていた一室。
ベッドと机以外は何もない殺風景な部屋。リオはカーテンで窓を閉め切っていた。
と、背後で扉が開く音がする。
「姉さん?」
「あ、リンちゃん。まだ起きてたの?」
「うん。姉さんは? またあのシステムの解析?」
「そ。でもこれさ、なんていうかちょっと不気味なんだよね」
配列コードを前にリオはホログラム表示を指ではじいた。
「ほら、ウォーゲーム中って視覚から脳への感覚フィードバックを抑える機能があるよね」
「『ダイブノーシーボ』を防ぐためのヤツ、だよね?」
「そうそう」
『ダイブノーシーボ』――別名、『電子領域内認識損傷症』。
VR空間内で受けた行為……たとえば暴行されるなどした場合、攻撃を受けた箇所を実際に負傷したと思い込むことで、現実にも影響を及ぼすこと症状である。
実際に頬を殴られていないにも関わらず、VR空間で殴られた箇所に痺れが出た、という症例が出たことが、この『ダイブノーシーボ』が認識された切っ掛けである。
過去に犯罪者を用いて、視覚から得た情報と、それに伴う感覚を全て脳に認識させるとどうなるのか、という実験が行われた。
その結果、VR空間で死を体験するほどのショックを与えた場合、現実でも肉体の活動が停止したという実験結果が出たという。
それから、全てのダイブシステムには必ず感覚のフィードバックを遮断する機能の搭載が義務付けられたのだ。
「たぶんフィードバック機能に何かしら干渉するプログラムが組まれていると思うんだけどね。どこを探してもそれらしいものが見つからないんだよ」
「セイレムの一件だね」
「そう」
去年の10月にセイレムはブリトンに対して宣戦布告した。しかしゲーム中にプレイヤーのうち7名が死亡した。
人命損失を防ぐために開催される非現実の戦争。だというのに、そこで死亡者が出た。それも一度に七人も。この事件は大きく取り上げられ、未だに原因は不明と世間ではされている。
しかし、これにインスマン社の開発した戦術システムが関係しているのは間違いない。
AT小隊はこれまで、インスマン社がシステムを提供した国の戦場に幾度か介入してきた。
その度に、必ずダイブノーシーボの症状と思われる、五感機能に障害を負った者や死者が出たのだ。
セイレムほどではなく、一度に一人や二人といった規模のものだが、確実に実害を被った者が出ている。
一部ではウォーゲームの安全性に対して懐疑的な意見まで出始める始末だ。
その全てにインスマン社のシステムが採用されているのだ。
「なのに、肝心のシステムのどこを探ってみても、それらしいものがない、と」
「そういうこと」
「確かに不気味だね」
「え? ああ、うん。それも確かに気味が悪いんだけど。あたしが感じた不気味さっていうのは、またちょっと違う部分かな」
「というと?」
「なんて言えばいいのかな……」
リオは腕を組んで「う~ん」と考える素振りをする。
「さっき、エージェントのお姉さんが言ってじゃない? 『まるで現実世界で戦争を始めようとしているみたい』だって」
「うん」
「でもさ、インスマン社って企業なんだよね。どこを攻めるつもりなんだろ?」
「う~ん……例えば、ライバル企業を物理的に潰すとか……? 或いは武力をチラつかせて買収……はリスクが大きいか。うちに訴えられた終わりだし……う~ん。あ、前のデオスの一件みたいに、企業でどこかの国を支援したいとか」
「そうなのかなぁ……」
リオは首を傾げた。
どうにも、インスマン社がそんな高尚な目的で動いているようには見えなかった。
「なんか、もっとこう……俗っぽい目的で動いてるような気がするんだよねぇ」
やっている規模は大きいのに、痕跡をあちこちに残している辺りにずさんさが見える。
特に、システムを世界中にばら撒いているところなど、まるで見つけてくださいと言っているようではないか。
「このシステムからは、インスマン社の目的が見えてこない……武器と、このシステムとの関連性も判らない……そんな部分がね、どうにも……」
「うん。確かにこれは、不気味、だね」
「だよねぇ……」
リオは「まいっちゃうよねぇ~」と机に突っ伏し、「たはは~」と八重歯を覗かせて苦笑した。
疲労が見て取れる。
そんな姉の背中から、リオが覆い被さるように抱き着いた。
「どうしたの? お姉ちゃんに甘えたくなっちゃった?」
「うん……あまり無理しないでね。姉さん」
「大丈夫……ありがとね、リンちゃん……大好き」
姉妹は互いを見つめ合う。おもむろに、ゆっくりと二人の顔が近づき、唇を重ねる。
ふと、二人は同時に、『合わせ鏡』にされた過去を、思い出していた。
※
――
闇の支配圏。しかし文明と星の天蓋に暴かれ、暗闇は決して純黒たりえない。
それでも、等間隔に並ぶ街灯との境に生じた暗がりの中は、明と暗の境界が明確となり、まるで異界の様相を呈していた。
オーベットの町は夜間に出歩く人間は少ない。路地を一つ曲がりメインストリートから外れればほぼ無人と言っていいだろう。だが、今はそこにヒトカゲがあった。
仕事帰りだろうか。オンナが一人、歩いている。
スーツを着ている。仕事帰りだろう。規則正しいヒールのピンが路面を打つ音が響く。
カツカツ、カツカツ――
淀みなく、一定のリズムで刻まれる足音。
――ザリ。
ふと、異音が生した。
オンナの脚がリズムを刻むのをやめる。カンジョは音の出所を探って背後を振り返る――
ブゾン――ッ。
――だがオンナが後ろを見るより速く、そのムネからは――白いデウが、まるで花のように咲いていた。
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