5.シュウゲキ

 セハイズの首都は街の規模に対しひとの出入りがまばらだった。


 無機質なビル群が整然と並ぶ様子は、先程までのクラネス港跡地と変わりないように思える。神刹にあった人間的荒廃の様相とはまた違う、まるで街が腐朽していく最中にあるような、この世界ではごく『ありふれた』景観だった。


 AT小隊のキャタピラーはホテルの脇の大型車両専用駐車場に停車した。ラインたちの他には一台が停まっているだけだ。


「ヴェインとカインはトレーラーで待機。後はホテルで休息を取れ」

「うへぇ、せっかく今日はまともなベッドで寝れっと思ったのによぉ」

「よく言うわ。神刹で朝方になってホテルに帰ってきたくせに。一体どこで寝てたのかしらね」

「手厳しいねぇアヤネは」


 アヤネに睨まれて肩を竦めるカイン。


「あの、もしよければ、私が代わりに待機しても」


 アイがそう言った。途端、カインに向くアヤネの視線が鋭さが増す。


「ありがとよアイちゃん。でもそこのおっかな~いお姫様に殺されそうだから遠慮しておくわ」


 大仰なポーズを取って身を翻したカイン。「それじゃ大将。ゆっくり休んでくれ」とヴェインは敬礼し、カインの後に続いてトレーラーに戻った。


「あの、良かったんですか? わたしなら別に」

「気にしなくていいわ。ああいう手合いはまともに相手するだけ疲れるだけ。適当に流しておけばいいのよ」

「は、はぁ……」


 後ろ髪を引かれるようにトレーラーの方を何度も振り返るアイ。


「大丈夫だから、ほら行こ!」

「あ、ちょっと待ってください」


 リオに手を引かれてホテルへ向かう。すぐ後ろをアヤネとリンが続き、最後に全員の背中を見つめながらラインは後を追う。


 セハイズ中央国際ホテル。


 煙るような雨の中にあってなお、その輪郭をくっきりと浮き上がらせる摩天楼。周囲の建造物と比べても遥かに高い。

 飛行機もほとんどが空を飛ばなくなって久しいというのに、仰ぐ頂きにはぼんやりと航空障害灯の赤が四方に散見される。

 大理石の玄関口から漏れる強い光は、この暗い空の下で通行人に安堵をもたらす。最も、広い間口の正面を横切る通りは、辛うじて数台の車両が通り抜けていくのみではあったが。


 ホテルの内部は外界とを隔てるような絢爛な作りとなっていた。精緻な彫刻に目を惹かれ、絵画が壁を彩る。暖色系の照明がエントランスを照らしている。


 視線を奥へ滑らせれば、ピアノが一段高い床の上で『ひとり』音楽を奏でながら佇んでいる。完全なオートで演奏されるように設計されているのだろう。ひとが演奏することを想定した譜面台も椅子もあるが、奏者を雇うことはあるまい。

 今どき音楽など音源データのみで、楽器そのものを用いて演奏することは稀である。

 アレは観賞用の骨董品だ。実生活での実用性はほぼ皆無と言っていいだろう。


 ホテルは五階から上が客室となっている。

 部屋割りはラインが605号室、リオとリンは603号室、アイとアヤネが606号室、と連番となっている。606号室は角部屋だ。アヤネはルームキーを受け取るなりさっさと部屋に直行しバスルームの扉を開けた。


「へぇ、いいわね……悪いけど先に使わせてもらうわ」

「あ、はい。どうぞ」


 一方的なアヤネにアイは曖昧に頷いた。しかし少しだけアヤネの顔から険が取れていたように思える。


「(お風呂、好きなのかしら?)」


 キャタピラーの中でアヤネはずっと「お風呂入りたい……」とニオイを気にしていた。


 神刹のホテル――宿泊施設と言うよりはヤリ捨て場のような場所――はとても衛生的とはいえず、アイもシャワーさえ浴びるのを躊躇したくらいだ。


 この世界で真水はほとんど取れなくなって久しい。故に水の循環システムはどこの都市部や街においても最も重要視されている。

 しかし、高純度の水を生成できるろ過機能を持つ設備を全ての国が用意できるわけではない。

 世帯ごとに利用できる水量を制限している国も多いのが現状だ。


 それでいえば、セハイズは水道利用の制限を設けていないところを見るに、外の景観とは裏腹に恵まれた環境であることが分かる。


「(わたしも今日は念入りに体を洗おうかしら)」


 思わず自分の手首を嗅ぐ。正直わからない。臭いのかもしれないし、そうでないかもしれない。少なとも顔を顰められたりはしていなかったと思いたいが。主観など当てにならない。


 そう思ったら、なんとなくそのままベッドに横になるのを躊躇われた。真っ白なシーツに柔らかそうな掛け布団。寝るならせめて気持ちよく寝たい。


「あ、そうだ」


 アイはホテルに来たらやろうと思っていたことを思い出した。

 ホルジュムを起動させて電子書籍を販売しているサイトへアクセスする。本体の容量が許す限り、アイは書籍を購入しダウンロードしていく。一気に50冊は買っただろうか。これだけあればしばらく暇を持て余すこともない。窓の外を見て陰鬱な気分になる回数も減るはずだ。


「アヤネさんが出てくるまで、少し読んじゃおうかしら」


 せっかく買ったのだ。一冊くらいならとアイは視界に本のホログラムを表示させる。

 何もない空間に浮き上がった表紙を指でなぞるとページが開く。


 1時間ほど読みふけっていただろうか。


「上がったわよ」


 と、アヤネが髪にタオル当てながら出てきた。上はシャツを羽織っているが下は下着だけだ。見ればシャツの下も何も着けていないようである。


 アイはホルジュムをスリーブモードにしてアヤネと入れ代わりにバスルームへ入った。

 脱衣所にはランドリーがあった。中ではアヤネの服が躍っている。後で自分の使わせてもらおう、と脱いだ服や下着を近くのバスケットに入れておいた。


 石鹸の香りがするバスルーム。湯船にはお湯が張られ湯気が立ち上る。

 アイはシャワーを浴びて備え付けのアメニティで髪、体を洗っていった。

 途端、体から力が抜ける。思ったよりも新しい環境に緊張していたらしい。


「はぁ~……」


 湯船に浸かると思わず吐息が漏れた。

 少し温めの温度が体に染みわたる。ゆっくりしていると睡魔に襲われそうだ。疲労感がお湯に溶けていく。

 アヤネでなくとも、この快感を味わえると思えば風呂が好きになる気持ちにも頷ける。ここまで贅沢にお湯を使うのは難しいが、できることなら数日おきくらいには利用したい。


「気持ちいい……」


 目を閉じて湯船に体を預ける。本当にこのまま寝てしまいそうだ。


 と、至福の時間を過ごしていると、


 ピンポーン――


 部屋のインターホンが鳴った。

 夢うつつからアイの意識が現実に引き戻される。


 ピンポーン――


 もう一度。外にはアヤネがいる。彼女が対応してくれるはずだと思いアイはそのまま湯船に浸かる。


 ピンポーン――


 三度目。さすがに多い。アイは体を軽く拭いて、バスタオルだけを巻いて脱衣所から顔を出す。アヤネはベッドで横になっていた。寝ているのだろうか。全然動く様子がない。


「アヤネさん」


 声を掛けてみたが反応はない。


 ピンポーン――


 まただ。

 誰だろうとアイは恰好もそのままに扉の横に設置されたモニターを確認した。

 もしかしたラインかリオたちが訪ねて来たのだろうか。しかし画面に映ったのは黒に金色のラインが入った制服を着た、ここのホテルマンであった。

 首を傾げながらもアイは通話ボタンを押した。


「はい、どうかしましたか?」

『ああ良かった。ご滞在だったのですね。ルームサービスです。ご注文のご夕食をお持ちしました』

「え?」


 夕食? 注文した記憶がない。アヤネに振り返ったが彼女は変わらずベットで横になっている。申し訳ないが確認のために起こすしかないだろう。


「すみません。少し待ってもらってていいですか?」


 アイは一度、服を着るために扉から離れる。

 瞬間、部屋のロックが解除される音がした。

 振り返る。部屋の扉が、開いた――

 向こう側、ホテルマンの格好をした、ダレかがいた。


 ――違う!


 アイは咄嗟に身構える。

 キャップの鍔で隠れていたカオが露わになる。

 まるで機械のようなオトコだった。

 扉が乱暴に閉められて、オトコが中に飛び込んでくる。


「っ!?」


 軽い靴音がした。一足飛びに距離を詰められる。


「アヤネさん! 起きて!」

「っ――!?」


 大きな音にアヤネは跳ね起きる。

 状況が視界に入り込む。バスタオルを巻いただけのアイ。彼女に迫るホテルマン。

 まるで事態が分からない。

 だが今、自分達が何者かに襲撃を受けていることだけは理解できた。今はそれで十分。


 オトコの拳がアイの頬を掠めた。皮膚にチリチリとしたイタみが奔る。アイは体を相手の懐に滑り込ませ、当身を見舞いする。オトコの体が後ろへ下がった。


「アイ! 下がって!」


 アヤネはベッドから飛び降り、襲撃者の首を目掛けて蹴りを入れた。

 しかし腕で防がれる。


「なっ――きゃあ!」


 そのまま脚を掴まれた。アヤネは体を振り回されて、壁に背中から叩き付けられる。


「かはっ……!」

「アヤネさん!」


 肺から空気が強引に絞り出された。痛みにアヤネの動きが鈍る。

 アイは身を屈めてオトコの足を後ろから払う。相手の体勢が崩れたのを見計らって抑え込もうと関節をキメに行った。


 だが、オトコは転倒する直前に異様な動きを見せた。ぐりんと腕と脚があり得ない角度で稼働し、強引にカラダを支えると靴のソールをアイの腹にめり込ませた。


 衝撃でバスタオルがはだける。だがそんなことを気にしている暇もない。

 たたらを踏んだアイをオトコが押し倒し、細い首を掴んでくる。


「っ、ぁ……」


 息ができない。払いのけようと相手の腕をつかむがまるで動かなかった。


「ぁ、ぁ……」


 指が皮膚に食い込んでくる。このまま行けば窒息する前に首をへし折られる。


 ――殺される。


 死を直感した。途端、首を絞められるより強く、恐怖がアイの心臓を握り潰した。


「い、や……」


 アイの手が死に抵抗するようにオトコのカオに伸び、触れた。


「っ!?」


 すると、自分の眼を通して、脳裏にひとつの映像が表示される。本来ならば可視化できるはずのない、プログラムコードの羅列だった。


「なん、で……」


 ひとから、見えるはずのないものが視えている。アイは目前の死よりも強い困惑を抱いた。


「あな、た、は――」


 突如、扉が蹴破られる。


 直後、アイに馬乗りになっていたオトコのカラダが、真横に吹っ飛んだ。

 気管を解放されてアイは咳き込む。涙で滲む視界にラインの姿を捉える。


「……お前は、なんだ?」


 ラインはアイとオトコの間に立ち、鉄色の瞳を向けた。相手は壁を背に床に崩れ落ちている。

 オトコの首は、完全に折れ曲がっていた。ほぼ九十度。もはや絶命は確認するまでもない。


 しかし、オトコは立ち上がった。何事もなかったかのように、折れた首が音を立てて元に戻る。アイは「ひっ」と喉を引き攣らせた。


「繰り返す……お前は、なんだ?」


 オトコはじっとラインと対峙したまま動かない。そのメは異様なほどに微動だにせず、どこまでも不気味だ。


「アヤネさん! アイさん!」

「もうなんなの!? せっかくいいところだったのにぃ!」


 ラインより遅れてリオとリンが姿を見せる。見れば、階の他の利用客たちも集まってきた。


 オトコの首がラインや客たちをなぞる。

 すると、オトコは部屋の窓に向けて走り出し、あろうことか窓ガラスを割って外に身を投げたのだ。

 ラインが窓に駆け寄り顔を出す。


 しかし、そこにオトコの姿はなかった。


「逃げられたか」


 ラインは部屋に顔を戻し、ホルジュムでヴェインに通信を入れた。


「ヴェイン、何者かに襲撃された。すぐにここを発つ。いつでも動けるよう準備しておけ」

『襲撃だと!? 皆は!?』

「無事だ」

『そうか……了解。キャタピラーの火を入れておく』


 通信を切り、ラインは再び窓の外を見遣る。

 地上6階。数十メートルという高さから飛び降りたアレは、いったいどこへ消えたのか。


 リンが集まってきた他の客たちをやんわりと追い返し、リオがアヤネの容態を確認している。

 最後にラインの視線がアイに向く。彼女はどこか呆然とした様子で、バスタオルだけを手繰り寄せて俯いていた。

 ラインの視線に気付き、「あっ」と慌てて立ち上がり、頬を赤くしてバスルームに駆け込んだ。

 最低限の身だしなみだけ整える。


「ありがとうございます。ご迷惑をお掛けしました」


 と、アイは顔を逸らした。


「怪我は?」

「大丈夫です」


 そう言った彼女。しかし白い首には赤黒い痕が浮き上がっている。


「下に降りたら治療してもらえ。その後は休んでいい」

「はい……ありがとうございます」


 心ここにあらず、と言った様子のアイ。

 逸らされた目線は、割られた窓に向けられていた。


「アヤネ、すぐに動けるか?」


 ラインは後ろを振り返った。


「はい……問題、ありません」


 リオに肩を借りながらではあるが、アヤネは立ち上がっていた。


「リオ、下に降りたらホテルとこの周囲一帯の監視カメラをハッキングしろ。逃げた相手の逃走経路を割り出せるかもしれない」

「了解!」


 ゆっくりと体を休めるはずが、面倒なことになった。

 だが先ほどのオトコは、何が目的でこちらを襲ってきたのか。

 確かに恨みを買う仕事だ。どこで誰に襲われても不思議ではない。


 だが、アイもアヤネもオトコに見覚えはなかった。リオとリンも同様だ。それにこのセハイズを訪れたのは今回が初めてである。面識のある人間などいないはず。

 秘密裏に活動している自分達の正体を知って襲ってきたのだとすれば、ただの怨恨という線は薄いと思われる。


 なにより、あのオトコ……本当にただの人間だったのか。


「行くぞ」


 アヤネが着替えるのを待ち、警戒しながらホテルを後にする。

 一行はキャタピラーに乗り込むなり、すぐにホテルから離れた。

 リオはキャタピラーで周囲の監視カメラをハッキングし、映像を確認。


 しかし、襲撃を受けた直前から、全てのカメラ映像が途絶え、あのオトコの足取りを掴むことは、できなかった。

 

 ※

 

 あまり寝心地がいいとは言えないキャタピラーのベッド。スペースを確保するために二段になっている。

 ラインに休むよう言われたが、アイは瞼を閉じてもなかなか寝付けずにいた。


 首に巻かれた包帯の下。締め上げられた傷痕が痛む。


 少しでも微睡、目を閉じると嫌な光景を夢に見てすぐ目が冴えた。あのオトコに襲われたことじゃない。いや、夢を見る切っ掛けになっている、というならそうなのだが。


「なんで……」


 アイは自分の手を見つめた。

 襲撃者のカオに触れた時に見えたモノ。

 ジリジリと脳に焼き付いて離れない。

 極限状態にあったが故か、妙に鮮明に思い出せた。或いは、久しぶりに『あんなモノ』を見たせいかもしれない。あんな、人間の眼だけでは視えるはずのないモノが……


 瞼を閉じる。体は確実に疲れている。頭だって痛い。寝てしまいたい。


 なのに、寝ると夢を見る。


 思い出したくもないことを、頭が無理やり思い出させようとしてくる。


 アイはホルジュムを起動させた。ホテルでダウンロードした電子書籍をタップする。しおりを挟んだページから自動で表示された。これを読んでいれば、もしかしらたいつの間にか眠気に襲われて自然と寝ているかもしれない。

 夢の内容も、もっとマシになるかも、と期待しながら、アイは仮想のページをめくった。


 たぶん、本はとても、オモシロカッタと思う。

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