4.ツイオク

 セハイズ東クラネス港跡地――廃棄都市№888


 西中華大陸とユーラシア中央大陸とを結ぶ中欧大鉄橋をキャタピラーが渡り切った。


 途端、にわかに空がぐずり出す。


 嫌な雨が降ってきた。空を覆う雲から吐き出される雨水は黒く濁っている。灰雨だ。

 セハイズは1年を通して薄く霧の掛かった海に面している。

 鉄橋の周囲で船の残骸が積み上がっている。しかし地下から電力を供給しているためか、港からセハイズの首都を繋ぐ通りは街灯が生きていた。


 視界不良の中、キャタピラーの駆動音が暗幕のような煙雨をかき分ける。

 生きた文明の痕跡の他には、車両や通行人はほとんど見受けられない。

 ボタンボタンと降り注ぐ灰雨が車窓に張り付き、暗い視界をより黒く染め上げた。


 この国では清掃業がさぞ儲ることだろう。人手不足で嘆いているかもしれない。仕事にありつくには困らなそうだ。

 整然と並んだ陸の船たちが不気味さを演出している。街灯の光もくすんで見えた。


「なんだか気味が悪いわね」


 窓に張り付いてアイはそう言った。なまじ灯りがある分、余計に廃墟の陰影が浮き上がる。あの暗がりからなにか得体の知れないモノが湧いてくるのではないか、と思ってしまう。


「ね~? これじゃ皆で陰気になっちゃうね♪」


 そう言いながらもリオの顔は笑顔だった。アイの背中にリオが張り付いて一緒に窓の外を見つめる。

 二人の後ろではリンが今度のスケジュールを思い浮かべていた。


「今日はセハイズのホテルで一泊ですね。早朝には出発してオーベットに向かいますから、今日はゆっくりと休み――」

「ゲームが出来そうだね!」

「あはは……うん、そうだね」


 溌溂とした笑顔を向けられて、リンは「はぁ」と諦めの表情を浮かべた。今夜はずっと姉のマルチプレイに付き合わされることになりそうだ。


 港からセハイズの首都までは2時間弱。


 リオはリンにくっついて、携帯ゲーム機を取り出してプレイを始める。

 リオはそんな姉の隣に寄り添い、アイはほとんど何も見えない窓に視線を戻した。首都で通信が回復したら、私物のホルジュムに電子書籍でもダウンロードしておこうと考える。


 キャタピラーの中は娯楽に乏しい。リオの姿を見ていて、自分も何か余暇の過ごし方を見つけておくべきだと思い至った。


 できれば長編小説がいい。シリーズ化しているものを選ぼう。どんなジャンルがいいだろうか。ホラーはダメだ。廃棄都市を通るたびに怖くなる。やはりファンタジーがいいだろうか。こんな世界なのだ。明るい作品がいい。久しぶりにラブロマンスも読んでみたい。


 楽しいことを考える。それだけで外の景色がちょっと鮮やかに見えた。


 ほとんどの娯楽がVRに取って代わったこの現代で、携帯ゲーム機や電子書籍を嗜む自分達が少しおかしい。

 今は物語も体験型が一般的だ。自分の目で、耳で、鼻で、物語を感じる。主人公になりきり、世界を味わう。確かにそれもいいが、旧時代のように場面を想像して楽しむのも、乙なものだ。リオのゲームだってそうだろう。


 今の主流ほとんどがダイブ型だ。自分の身体を操作してゲームをプレイする。世界が壊れ、外に出ることも困難になった今、VR技術の進歩は目覚ましい。

 狭い世界で広い世界を体験させる。


 今の娯楽は、そういう在り方に特化し、追及に余念がない。

 皆、辛いことを見たくないのだ。


 しかし、たとえ嘘でも、優しい世界を欲することをアイは悪とは思わない。

 そうでなくては、逃げなくては、潰れてしまう。


「学園モノもいいかしら」


 大人にも子供にも、世界は平等に、手厳しい。

 

 ※

 

 セハイズ首都――


 灰雨はいまだ降り続く。


 トレーラーの最後部格納庫には、モスグリーンのシートに覆われたナニかが横たわる。


 その上で、ラインが仰向けで天井を見上げている。


 ラインにも自分に割り当てられた部屋がある。だが彼がそこを使うことは滅多にない。

 キャタピラーが車体を揺らす度、倉庫の人感センサーがラインを捉えて点いたり消えたりを繰り返す。


 ラインはおもむろに瞑目する。


 漏れ出る呼気も細く小さく。目を閉じた男は生きているのか死んでいるのかさえ怪しく見える。


「……カガミ」


 追憶に身を預けることの無意味さは理解できる。しかしひとは過去に縋って憐憫に浸る自慰行為をやめられない。


 ――アレはいつだったか。


 ゆっくりと世界が裏返っていくのを、まるで外の出来事のように目を逸らし、無限に続くいつもは無保証に、無担保で来るものだと信じて疑わなかった。

 世界には欺瞞も痛みもなく、無窮の未来がいつまでも与えられる。


 ……そんな確約、誰がしてくれたわけでもないというのに。


 だから、いざという時に填補もできず、喪失に苦しむことになるのだ。


 あの夜、落ちた爆弾が地上で太陽のように爆ぜた。


 その日は、両親が結婚記念日のことで喧嘩して、ちょっと気まずい雰囲気で就寝した。

 しかし可愛い妹は、兄や周囲の気持ちなんてどこ吹く風で、無邪気に布団へ忍び込んできた。あの子の無垢な笑顔に、少しだけ気分が楽になった。

 きっと、この子の笑顔を前にすれば、あの両親だってすぐに仲直りする。


 いつだってそうだった。少しだけ言葉が荒れるのは、それこそ重ねた月日が二人の遠慮を希薄にしたから。だからきっと、明日にはまたいつもが戻る。大切な妹が連れてきてくれる。

 世界は薄氷の優しさで満ちていて、それを何枚も重ねて幸せが紡がれる。


 ただ、それに表と裏があることを、知らなかっただけのことで――

 薄く向こうが透ける優しさの先は確かな裏側で、昏いモノをほんのちょっとだけ見え辛くしていただけだ。


 突如、空は夜だというのに、昼間よりも明るくなった。包む闇を塗り替えていく様はまるで津波のようだ。

 ふと、目が光に触れた。直後、視界は虹色に明滅して、何も見えなくなった。明るいのにおかしいな、と思いつつ――ああ、太陽を見るとこんな感じになったっけ、と、なんとなくそんな感想が脳裏をよぎった。


 それは、彼の世界、日常が裏返った記憶のリフレイン。


 今日は雨だ。


 あの日と同じ、黒い雨……


 ああ、きっと。今夜も夢に見るのは、きっとまた、


 綺麗な血と穢れた雨で化粧した、


 最愛の妹の、無垢な寝顔なのだろう――

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