3.シュウマツセカイ

 再生歴157年、9月上旬。


 東中華大陸――廃棄都市№696。

「本日付で、こちらのAT小隊に配属されました、アイです」

 翌日。郊外に停めておいたトレーラーでアイは小隊に合流した。


 互いの紹介もそこそこに、小隊は《神刹》を発つ。


 重層構造による防塩処理を施された特殊プレートに覆われた、武骨な超大型トレーラー。全長二十五メートル、WDCが抱える大陸移動重装甲車キャラピラー

 車窓からは、WLPOによって廃棄都市と認定された街の骸が後方へ流れていく。


 キャタピラーは二重構造となっている。上層部は乗員の生活空間だ。部屋は四つ。内装は二段ベッドがあるだけだ。他にはクリーンルームに、シンプルな横長のシートとテーブルが置かれたブリーフィングルームがある。下層にはキャタピラーの制御室。あとは物資の保管庫がほとんどのブロックを埋め尽くしている。


 大陸間を移動する際は、制御室に交代で二人が入り周囲を警戒する。


 転災を記に、世界はいつどこで災害に見舞われるか予測がしづらくなった。

 内陸部には海底から隆起してできた土地があり、中には全てが塩でできた場所もある。

 風雨で研磨された塩が風に巻かれて塩嵐となり、処理を施さなければたちまち腐食する。

 塩分濃度も高いため、人体にも有害だ。


 他にも、不安定な気候状況が突発的な嵐となることも珍しくない。中にはいくつものサイクロンが一か所に同時発生するような現象にも見舞われる。


 時には計器類をダメにするような電磁波を含んだ雲が発生することだってあるのだ。


 故に警戒し、事前にそれらの兆候を察知、適切に対処しなければ命に関わる。


 今はラインとアイの二人が制御室に入っている。ヴェインとカインは仮眠中。リンはクリーンルームで体の汚れを落としている。

 ブリーフィングルームではアヤネが車窓から外を眺め、リオは旧時代のゲーム端末を手に遊んでいる。

 かつては広大な面積を誇った東方最大の強国も、二百年前に起きた地殻変動の影響で地盤ごと都市を砕かれ、今は見る影もない。


 廃棄都市。通称『廃都』――


 崩壊して久しく、かろうじて原型を留める旧時代の遺物たちは、未だに整地されることなく、墓標を晒すように見捨てられている。文字通りの形骸化であった。


 車窓から覗く外界は、荒廃した文明がまるで泣いているかのように朽ち果てていた。

 灰色のキャンパスに施設看板の褪せた蛍光色が挿し色となり、そこにかつて人間の営みがあったことを示し、余計に物悲しさを演出している。


「ねぇナビ、セハイズまで後どれくらいなの?」

『――このままの経路で進行した場合、到着までおよそ十五時間と予想されます』

「……まだ半日以上も掛かるのね」


 アヤネは搭載されたナビゲーションAIの回答に溜息を漏らし、シートにもたれ掛かった。

 左右で色の違う瞳。右に埋め込まれた青い義眼で、アヤネはコンソールを睨みつける。


「はぁ……退屈ね」


 ぐったりするアヤネに、リオが近づく。


「あ、なら一緒にクイックドライブやらない!? マルチやろ! ね!? マルチ!」


 リオは大きな青い瞳を輝かせ、楕円形のゲーム端末をバックから取り出してアヤネに手渡してきた。ラフな格好。小柄な体には不釣り合いに発育した胸が振動で度々揺れる。


「パス。ていうかあんたは相変わらず旧世代のゲームばかり遊んでるのね。何がそんなに面白いのかしら……」

「ええ~! そりゃこの鬼畜な難易度じゃない! もうホント、このクリアさせる気あるのかないのかって仕様! それでも絶妙にクリアへの道筋がギリギリ見えるっていうこの塩梅とかもう最高――」

「ああもういい、もういい。興味なし」


 手をひらひらと振ってリオの熱弁を遮った。このオールドゲームバカの話に付き合っていたのでは目的地に着く前に疲弊してしまう。

 リオは「面白いのになぁ」と笑みを張り付けたまま、手元の旧式デバイスに視線を戻した。


「――酔いそうなことしてんなぁお前」


 アヤネたちの後ろで扉が開き、カイルが入ってきた。仮眠から起きてきたようだ。髪は乱れ、顎に蓄えた髭はあまり衛生的ではなない。垂れた青い瞳がリオの手元を覗き込むが、彼女は意に介した様子もなくゲームに没頭している。


「無駄よ、カイン。その子、一回入り込んだらしばらく戻ってこないから……ヴェインは? まだ寝てるの?」

「あいつは決まった時間にならねぇと起きねぇよ」

「そう……」

「なんだ、愛しい旦那様がいなくて寂しいってか。だろうな。神刹じゃ随分と――」

「カイン、死にたいの?」

「おっと、こいつは失敬」


 ドスの利いた目で睨まれて、カインは両手を上げる。


「……リンが今はクリーンルームを使ってるわ。後で入ってきなさい。あなた、少し臭うわよ」

「へいへい。相変わらずつれねぇなアヤネは。ふわぁ~……」


 欠伸しながらシャツの隙間に手を入れて脇腹を掻くカイン。と、彼が入ってきたのとは逆の扉が開いた。


「姉さん、出たよ」


 リンだ。姉のリオと同じ顔。体系と髪型を揃えたらほとんど見分けはつかないだろう。


「んじゃ、行ってきますかね」


 カインはリンと入れ替わりでクリーンルームへ向かう。


「あ、シャワーは絶対に使うんじゃないわよ。私たちだって洗浄シートだけで我慢してるんだから」

「注文が多いねぇアヤネは」

「水が貴重なのは分かってるでしょ。車内で循環してるっていっても、除菌には時間が掛かるし限界もあるわ。臭い水を飲むなんて私は御免よ」

「はいはい。細けぇな。ヴェインに呆れられるぜ」

「っ! 余計なお世話よ!」


 アヤネが勢いよく立ち上がる。カインはその剣幕に「やっべ」とそそくさ奥に消えていった。


「出てきたら殺してやるわ、あいつ」


 アヤネは苛立ちながら窓の外に再び目を向ける。殺気立つ同僚にリンは苦笑した。

 外は代り映えのしない景色。新興都市間を繋ぐラインを整備するために瓦礫が通りの脇に寄せ集められている。崩壊から唯一ひとの手が入った痕跡だ。


 キャタピラーから一歩でも出れば、そこは耳が痛いほどの静寂に包まれた世界。

 特にこの辺りは、新生大陸から流れてくる塩嵐の影響もあり、復興の手が入らないため尚更だろう。

 今この時も、外では潮風が吹き荒れている。この国の空気は塩味、などと揶揄されているくらいだ。当然人体には悪影響しかない。


 しかしふと、アヤネの右目、青い義眼が小さく揺れる生命の息吹を拾い上げる。見えたのは一瞬。それは白い花弁を開かせた花だった。

 強烈な塩害にも耐性を持つに至った新種だろう。名前も知らぬ花だ。

 こんな世界になろうとも、いまだに生きることを諦めない生命にアヤネは目を細めた。


「死に掛けの世界で生き足掻いて、それでどうなるってのよ。バカバカしい……」


 アヤネはそう言って、窓の外を見るのをやめた。


「(あの子……この隊でまともにやっていけるのかしらね)」


 頬杖をついて、アヤネは数日前に小隊へ配属された少女のことを考えた。

 

 ※

 

 薄暗い制御室。アイは隣のシートで計器を注視するラインを盗み見た。


 灰色の髪。感情が読み取れない鉄色の瞳。血色はあまりよくないように見える。同時に冷たい印象を抱かせた。歳はいくつぐらいだろうか。30代より上には見えない。だが10代という事はないと思う。


「あの――」

「今回の任務について、どれだけ把握している」

「え?」


 言葉を遮られてしまった。アイは咄嗟に身を正して上官に応じる。


「その、インスマン社がオーベットで違法武器を製造している可能性があるため、それを調査する、ということですよね?」

「そうだ。同時に、必要であればオーベットのプラントを破壊する必要が出るかもしれない」

「それは、戦うということですか?」

「場合によっては、な。だが物的証拠さえ押さえられれば、それでいい。WDC経由で証拠をWLPOへ流せば、あと連中が直接動く。それで終わりだ」

「そうですか」


 アイはホッと胸に手を当てる。戦わないで済むならそれが一番いい。

 生きるだけで精一杯の世界だ。人間同士で傷つけ合うなどバカげている。


「戦うのは嫌いか?」

「そ、それは」


 臆病者と思われただろうか。

 今から百年以上も昔……ほぼ全人類が参戦したとされるゼロサム大戦。死者の数は数十億。人類史を紐解いても、これほどまでに死を振り撒いた戦いはない。自滅という絶滅にまで至りかけた、最低最悪の大戦だ。

 だが人類は完全に理性を棄てたわけではなかった。ギリギリで踏みとどまった。踏み止まれた……或いは、踏み止まってしまった。


「はい……怖い、です」

「そうか」


 戦争終結後、人類は種の存続を計るため、一つの組織を発足させた。

 世界人類維持機構。通称、WLPO、である。

 この組織により、世界は武器の開発、所持を厳しく制限されることになる。人類同士が再び争い、無駄に命を散らすことがないようにするための措置……


 だが、対話だけで国家間の問題を解決することができないことがあるのも、また事実。

 人類は、戦うことをやめられない種族だ。世界史を紐解けば、いつもどこかで、必ずひとは、争ってきた。

 だがここで再び戦争を引き起こせば、今度こそ人類は滅びる。


「軽蔑しますか? 実働部門に配属されておいて、戦いが怖いなんて……」

「いいや」

「え?」

「戦えば傷を負う。痛みを伴う……死ぬこともある。それを恐れない者は、ただの狂人だ」


 人類は、戦争の舞台を現実世界ではなく、電脳世界、ヴァーチャルリアリティで執り行うことを思い付く。


 所謂、《ウォーゲーム》の出現である。


 WLPOが戦争の正当性を審査し、これが承認された時にゲームは実施される。

 国家の威信を賭けた本気のゲーム。

 勝利国家は敗戦国家に無条件で要求を呑ませることができる。


 しかしそれ故に、不正も横行する。


 チートツールの利用、参加プレイヤーへのリアルアタック……もしくは、製造制限されたはずの武器を持って、脅迫行為に至るなど。数えればキリがない。

 そこで、WLPOはこのゲームを管理運営する組織を別に発足させた。


 戦争管理委員会。通称、WDC、の誕生だ。


 承認されたウォーゲームの一切を取り仕切る監督者。その権限は強く、WDCが問題を訴えればゲームそのものが中止されることもある。

 しかし国家間における問題に一方的な発言権を持つことから、各国から煙たがられている。

 中には、WLPOの権威を笠に着た組織として、《人維の犬》と揶揄されることも多い。


「恥じることはない。その感情は、お前が正常である証だ」


 組織は表立った二つの部門、

 ゲームをスムーズに進行させるための《運営部門》

 システム、武器データの運用を監視する《管理部門》

 そして……世界的にその存在を秘匿されている、

 違法国家、組織に対して実力行使による制圧を主とする――《実働部門》

 この三つで構成されている。


「だが、俺達が人間である限り……生きた命である限り、戦うことをやめることはできない。絶対に、だ」


 ラインが隊長を務める《AT小隊》は、これまでいくつもの組織を壊滅させてきた実績のある部隊だ。

 中には当然、命懸けの修羅場もあった。

 死が敬遠されるこの世界で、死闘を演じることの矛盾。

 だがそれこそが、人間の本能である、と言われているようではないか。


「それでも、戦わないで済むなら、そっちの方が、わたしはいいと思います」

「お前がそうでありたいなら、そうすればいい。そうあることができる限り、お前はお前のまま、お前で在り続ける」

「なんだか、難しいです」

「口下手なんだ」

「……みたいですね」


 苦笑する。軍隊ではないにしても、気安過ぎるのではないだろうか。

 それとも、彼なりに緊張を解そうとしてくれているのかもしれない。

 アイは計器に向き直る。

 今のところ異常は見られない。このまま何事もなくいけばいいと思う。


 廃棄都市の静寂が、今だけは心地よくアイは感じた。

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