2.デアイ

 再生歴157年・8月末――


 日朝結合列島、《神刹》


 汚染された空気。毒々しいまでのネオンが極彩色豊かに視界を埋め尽くす繫華街。

 しかし煌びやかな世界から一歩でも脇道に逸れれば、ドブのような汚臭が鼻をつく。


 表の通りから入り組んだ路地裏を歩くこと五分。明滅する照明に照らされた小汚いホテルがあった。


 外観に違わず内装も相応だ。壁は罅割れ、窓ガラスは砕け、外気が自由に出入りしている。

 ほぼ全ての施錠がオート化された現代にあって、部屋のロックは絶滅危惧種もいいところのインテグラル錠である。

 防犯面も衛生面も最低最悪だ。唯一の利点は他の宿と比べて割安なことか。


 すえた臭いの充満する黄ばんだ灯りの下。ノイズのような性の重奏が四方で木霊する。


 このホテルは非合法に身を売って商売をする輩のたまり場と化しているようだ。野外で行為に及ぶにはこの街は些か物騒過ぎる。彼等からすればここは安価で稼ぎも出せるセーフティーエリアなのだ。


 しかし安眠には到底向かない。清掃も適当なため、前の利用者が残した性の残滓がこびりついている。

 正常な感性を持った人間なら、とてもベッドを使う気にはなれないだろう。


 アヤネからも「最悪」と分かり易く顔を顰められた。ヴェインが宥めなければ彼女と口論になっていたかもしれない。


 カインは早々に繫華街に繰り出した。今日は女を漁った挙句に酒盛りだろう。

 リオとリンは街の外に停めてあるトレーラーで待機中だ。


 一部を除き好き勝手にしている。が、たまの休日だ。好きにさせてもいいだろう。


 黒の外套を纏ったラインは、粗末なテーブルに腰掛け、棒状の端末 《ホルジュム》にマイクロディスクを挿入した。

 ホルジュムのLDEが明滅し、視界にディスプレイが表示される。


 トップ画面に並ぶアイコンからマイクロディスクをタップする。すると、ラインの視界に画像ファイル、資料が一気に展開した。


「……セイレムでウォーゲーム中に七人が死亡……原因は不明」


 数か月前に発行された記事に目を通す。VRへのダイブ中に生身の人間が死亡した例は過去にもなかったわけではない。しかし一度に7人というのは些か異常だ。


 次いでラインは《WDC》の調査資料を引き寄せた。


「インスマン社……」


 創業、再生歴78年。世界的に有名なVRIT企業。これまで数々の兵器データ、戦術システムを開発。ボーリアに本社を持つ。近年は電子端末の開発に参入、販売も手掛ける。


「セハイズ近郊……オーベットにて半導体製造プラントが新設」


 報告書を読み進めていくと、次の一文でラインの目が止まる。


 ――内部調査の結果。プラント内で条約違反に該当する銃火器の製造を確認。新規開発中のウォーゲーム戦術システムには、感覚フィードバックを意図的に遮断するプログラムが組み込まれていることが判明。現物の持ち出しは困難と判断。詳細は添付フォルダを参照――


 展開された画像ファイルはどこかの工場内部を写したものだ。

 大量の銃火器を生産するライン。そこにはひとの手で扱えるモノの他、武装した兵士の姿も見て取れる。まるで軍事工場だ。


「次のターゲットは、ここか」


 ラインはマップデータを開き、オーベットを検索する。


 古い街並みの中に、異質なプラントの姿が見て取れた。

 インスマン社半導体製造プラントオーベット支部……

 マップ上ではそのように表示されているが、中身は全くの別物だ。


 資料に一通り目を通し、最後に彼は一枚のプロフィールデータを表示させる。


 東洋系の顔立ちに西洋風の特徴を宿した少女。名前はアイ。コードネーム:ラナン。プラチナブロンドの髪はハーフアップでまとめられ、あどけなさが残る目元から緑の瞳が覗く。プロフィール欄には、WDC活動履歴、及び実績は『なし』、と記載されている。


 ラインは目を細め、ディスプレイに表示された時刻を確認。PM9:00。ホルジュムからマイクロディスクを取り出すと電源を落とした。


「行くか」


 テーブルから立ち上がり、ホテルを出る。

 

 ※

 

 神刹繁華街のマップをホルジュムで表示する。赤いピンが刺さる位置までのルートがオレンジのラインで示されていた。


 ホテルから出ることをヴェインとアヤネに知らせておくかと思ったが、やめた。扉の前に立って、中から女性の甘い鳴き声が聞こえたなら、好んで開けようとは思わない。それが身内のものならなおさらだ。何も聞かなかったことにして立ち去るのが正解だろう。

 念のため扉の隙間に書き置きは残しておいた。とはいえ、あの調子では朝方まで気付くかどうかも怪しいものだが。


 神刹の街は暴力的な色と音で溢れていた。


 繁華街らしく客引きが通りで声を張り上げる。ネオンの光が上に伸びて、汚れた空で不格好なオーロラを演出していた。

 活気はある。

 だが街の人間たちの眼はどこか虚ろなようにラインには映った。


 彼らを視界の端に収めつつ、ラインは繁華街を進む。


「あ、そこのお兄さん! 今夜はうちなんてどうですか!? アタシみたいな可愛い女の子とちょっと一杯! なんて!」


 不意に客引きに呼び止められた。中華風の衣装を着た女だ。肌の露出が多い。


「悪いが今は素寒貧だ。また今後にしてくれ」


 ラインがそう言うと、客引きの女は「あ、そ」と素っ気ない態度となり次の相手へと駆け寄っていく。カイン辺りであればもっと軽いノリで対応したのだろうが、生憎とラインにそんな可愛げはない。


「……本当に喧しい街だ」


 華々しく欲望が繁った街。脇の暗い小道ではみすぼらしい女がガラの悪い男の手を引いていく。うらぶれた服を着た男が物乞いをしている。喧嘩に明け暮れるチンピラたちが暴力に興じる。この街は、表と裏がくっきりしていた。富める者、貧しき者。勝つ者、敗ける者。


 人目を避け、目的である店の前に着いた。《王楼》と金の文字が頭上に踊っている。

 黄龍の彫像が門扉の左右で客を出迎える。朱塗りの壁がライトで照らされ、黒い瓦がネオンの灯りを反射している。この繁華街で最も高い建物だ。一階は飯店になっている。


「この近くか」


 ラインは当たりを見回した。ここで、小隊に編成されることになる新しいメンバーと合流する手はずになっていた。


 ホルジュムでメールを確認する。建物の入り口で待機しているという話だったが。それらしい人影は見当たらない。と、建物から少し離れた場所で言い争いをしている集団が目に入る。五人ほどの男が一人の少女を囲んでいるようだ。くだらないナンパだろう。


「なぁ別にちょっとくらいいいだろ? ぜってぇ退屈はさせねぇからさ」

「お断りします。何度も言いますが、わたしはここで人を待たないといけないんです」

「でもまだ来ないんじゃん。なぁほんのちょっとだけ。メシ奢るからさ」

「あなた方、少ししつこいですよ」


 言い寄る男たちに少女は辛辣な態度で応じる。この国のものではないブロンドの髪に緑の瞳。明らかに異国の血が入っていると分かる顔立ち。男たちが声を掛けたのも頷ける。彼女の貌は周りに溢れる客引きの女たちよりも美しかった。


 途端、ラインの意識から周囲の喧騒が掻き消えた。


 目を奪われた。彼女以外を見ることを許さない。まるで眼球を凍らされたようだ――


「カガミ……」


 昏い穴のような瞳をした街の女と比べて、少女の眼は生命力に溢れている。

 だが、その光は意図せず余計な羽虫を引き寄せたようだ。


「……」


 ラインは集団へと近付いていく。

 周囲が面倒そうに集団を避ける中、まっすぐそちらへ向かう男の姿はいやに目立った。


「『ラナン』だな?」

「え?」


 少女と男たちが声の方に振り返った。視線が交差する。ラインはこの時だけ、時よ止まれ、と願ってしまった。

 瞬きする少女。まつ毛が長く、近くで見れば更にその美貌が際立った。


「もう一度訊く。君が、ラナンだな」

「え、あっ! は、はい!」


 少女はラインを見上げて返事をした。近くで見ると華奢な印象が目立つ。だが起立した姿勢にブレはない。体幹が鍛えられている。どうやら最低限の訓練は受けているようだ。


「『ヴォーグ』だ。君を迎えに来た。行くぞ」

「はい! あ、でも――」

「って、ちょっと待てや! いきなり出てきてなんなんだてめぇ!」


 集団の一人。小さなサングラスを着けた男。刈り上げた頭に腕には彫り物。しかし荒事をこなしてきた痕跡を男の手からは感じられない。おそらくは有象無象のチンピラ風情か。


「お前に用はない。女なら他を当たれ。彼女にお前らの相手をさせている暇はない」

「て、め。このっ」


 男の顔が赤くなる。表情に怒気が滲み出ていた。


「調子に乗ってんじゃねぇぞこら!」

「ちょっ!? やめなさい! こんな往来で!」

「うらぁ!」


 チンピラの一人が拳を振り上げる。喧嘩で身につけた我流の構え。しかし姿勢はぶれて素人丸出しだ。


 しかし、男の不格好な拳が繰り出されることはなかった。それより先にラインの裏拳がチンピラの顔を捉えていた。


「えごっ」と男から音が鳴った。耳障りな音色だ。


 加えて周囲からも「きゃあ!」などと癇に障るような悲鳴が上がる。

 チンピラの顔から砕けたサングラスが飛び散った。

 コレがうまいこと目を閉じていたなら失明は免れたかもしれない。が、ラインには関係のない話である。


 襲われたから迎撃しただけ。それだけのことだ。彼にとっては戦いどころか喧嘩でさえない。

 チンピラは顔を抑えて地面を転がった。指の隙間から血が漏れ出ていた。彼の仲間たちが唖然としてそれを見届ける。

 事態をようやく把握し、周りにいたチンピラたちが殺気立つ。


「こ、こんのっ! やりやがったな!」


 複数人でラインに突進するチンピラ集団。

 伸びてきた手を鉄色の瞳は冷静に見据える。

 綺麗な手だ。上澄みのような穢れしか知らない無垢さを感じる。


 おそらく、まっとうな人間として他人を壊し、穢し、犯してきたのだろう。

 既にどこかが壊れた自分とは違う。ひどく人間らしい手だった。


 闇雲に伸びた手の一つをラインは掴む。


「いっ!」


 相手の目と口が歪んだ。構わず引き倒す。倒れたチンピラの肩に捻りを加えた。

 瞬間、鈍い音がして男の肩が外される。


「ぎゃああああああっ!」


 二人目が地面でのた打ち回る。


 うるさい、とラインは思った。


 痛みで無力化するのは簡単だがこれでは喧しすぎる。

 仲間がやられて更に激昂したチンピラは、ケモノのように吼えて襲い掛かってきた。


 突き出されるのろまな拳をやり過ごして内に潜り、腹に掌を打ち込んだ。

 えずきながら相手はその場で崩れて体を折り曲げる。吐瀉物がラインの靴を汚した。

 すえた臭いが鼻をつく。ラインは迷いなくその横っ面を蹴り飛ばして昏倒させる。


 頬骨が砕け、歯が血と共に数本外に飛び出していた。


 3人がやられた。さすがに目の前の光景に残ったチンピラは冷静になる。


「くそっ!」


 残った男の一人が少女の方へ走った。人質にでもするつもりか。ラインが動こうとすると、進行方向を遮るように別のチンピラが立ちはだかる。口元に勝ち誇った様な笑みが張り付いていた。


 男はいよいよ少女に迫る。しかし少女は臆した様子もなく、正面から迎え撃つ構えを見せた。

 僅かに訝しんだ様子もなく、チンピラは少女に掴み掛る。だが、


「え? あ! うぉっ!?」


 男の視界がいきなり不明瞭になる。体には浮遊感。しかし事態を把握するより先に頭から地面に叩き付けられた。そこで彼の意識は途切れる。


「ほう……」


 少女は掴まれる直前に男の足を払って背負い投げを決めたのだ。

 流れる挙動に無駄はなく、洗練されていた。見た目よりも強かなようだ。


「やめてください。これ以上傷つけたくありません」


 人数の有利も消えうせ、残された二人の男は「く、くそっ!」と顔を引き攣らせると、仲間を置き去りにその場から逃げ出した。


 追うことも、その意味も見いだせない。ラインは踵を返し少女の下に歩み寄る。


「終わったな。行くぞ」

「は、はい……でも」


 少女は地面で悶えるチンピラたちを見た。


「行くぞ」


 しかしラインはそう言うだけで男たちを一瞥もしなかった。

 先を行ってしまう彼の背中を、少女は慌てて追いかけた。

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