第60話

宰相が扉近くの護衛に頷いて見せたかと思うと、部屋の扉が大きく開かれた。そこには……


「サーレム!いい加減にしなさい!!」

と逆光の中、腰に手をあて大きな声で殿下の名を呼ぶ女性のシルエットが現れた。


サーレム殿下はその声に『ビクッ!』と肩を跳ねさせたかと思うと、そーっと後ろを振り返り、


「ジャニス……」

と呟いた。


その逆光に浮かび上がった人物はズンズンと近づいて来たかと思うと、サーレム殿下の耳を掴んで引っ張り上げて、


「性懲りもなく、またこんな事をして!」

と殿下を叱責する。


陛下も私もその様子に口をポカーンと開けたまま何も言えずに居ると、


「あ!失礼いたしました。私はジャニス・カルガナル。この男の第一側室でございます。お初にお目にかかります。以後お見知りおきを」

と殿下の耳から手を離し、頭を下げた。


耳を離された殿下はドスンと椅子に落ちる様に再び座った。

殿下は必死につままれていた耳を擦る。随分と痛かった様だ。


私と陛下はそのドスンと言う音に我に返って、慌てて立ち上がり、


「私が国王のエリオットだ。そして……」

と私を指し示す陛下の言葉に続いて、


「私が王妃のクレアです。はじめまして。……貴女は御側妃にあたられる……?」



あれ?サーレム殿下は妃を持っていなかったのでは?と私は疑問を口にした。

すると、その女性……ジャニス様は、


「はい。私は第一側室のジャニス。サーレムには正妃はおりませんが、彼のハレムには私の他にあと、二十二人の側室がおりますの」

とにっこり笑った。


「二十二……では貴女を入れて二十三人か。報告書よりも多いな……」

と陛下は先程の書類に目を落とす。……なるほど、さっきの書類は調査隊による報告書だった様だ。


しかし……二十三人とは……多いな!!


「あぁ……最近また二人程増えましたの。管理する私も、もう手一杯ですわ」

とジャニス様は苦笑する。


「まぁ、立ち話も何だ、どうぞ座ってくれ」

と言う陛下。いつの間にかサーレム殿下の横に用意された椅子を指し示すと、ジャニス様は優雅に


「では、失礼いたします」

と微笑んで座った。

浅黒い肌に黒く艶のある長い髪を片側に緩く編んで垂らしたジャニス様は少し吊り目のとても美しい女性だった。特徴的にもカルガナル王国の人で間違いないだろう。暑い国であるカルガナル王国のお国柄だろうか、露出の多い出で立ちに少し目のやり場に困ってしまう。


そんなジャニス様に、サーレム殿下はばつが悪そうに、


「何故、ジャニスがこんな所まで……」

と口を尖らせた。


「陛下の体調が思わしくないのよ。それに、これ以上側室を増やされても困るの」

とジャニス様はサーレム殿下に向かって冷たく言うと、私をチラリと見た。


殿下は消え入りそうな声で、


「そ、側室ではなくて……」

とゴニョゴニョ言っているが、問題はそこではない。


「カルガナル国王は体調が?」

と陛下も私と同じ所に引っかかった様でジャニス様に尋ねた。

すると、殿下が、


「あの男は、いつも『体調が悪い』『もう死にそうだ』と言ってダラダラ過ごしている。いつもの事だ」

と顔を歪めて吐き捨てた。



「サーレム。貴方がお母様の事で国王陛下を嫌っているのはわかるけど、今回は本当よ。いつもの仮病ではないの。今すぐ帰りましょう」

と言うジャニス様の言葉に殿下の顔色が少し変わる。


ジャニス様は、殿下の答えを待たず、


「両陛下。サーレムが言ったご無礼をお許し下さい。詳しい事はわかりませんが、いつもの事なのです」

とジャニス様は横に居る殿下を睨みながら、私達にそう言った。


どうもジャニス様には頭が上がらない様で、殿下は借りてきた猫の様に大人しい。


「いつもの事?」


「はい。国王陛下は他国との交流を極力少なくしておりました。それはカルガナル王国のみで全て事足りるからです」

と言ったジャニス様に陛下は、


「確かに、かなり豊かな国である事は間違いなさそうだ。広大で肥沃な土地、美しい水に、海に山。全て揃っているな」

と手元の書類を見ながら言った。その言葉に、サーレム殿下は、


「それじゃあ、ダメだ。これからは他国との交流が必要になるに決まっている。自給自足が出来るからと言って、それにあぐらをかいている訳にはいかない。独自の文化を守る事は重要だが、技術の向上は先細る。だから僕が王太子になってから、方向転換したんだ」

と口を挟んだ。彼の言う事はやはり的を得てる。……ただ、今回の条件はいただけないが。


「なるほど。それには同意見だ」

という陛下に、ジャニス様は、


「確かに言っている事は今後のカルガナルの為になる事は間違いありません。だからこそ、私もそんなサーレムを支える為に努力してきたのですけど……」

とチラリと殿下を見てから、


「しかし、行く先々で可愛いお嬢さんを連れ帰り側室にするのは如何なものかと思いますけどね!」

と語気も強めに吐き捨てた。


「ま、待ってくれ!今回で、今回で最後にしようと思っていたんだ!だから……クレア妃陛下を正妃にして、それで終わろうと」

と殿下はジャニス様に言うと、私を見て、


「それが僕の愛の形だったんだ!君が人生最後の恋なんだよ!」

と急に愛の告白をブチかました。いやいや、ただのスケコマシじゃないの!


「サーレム!!それはルール違反なのではないの?!」

とジャニス様は殿下に詰め寄った。今までは怒りながらもどこか仕方ないと諦めている風のジャニス様だったが、今回は本気で……悲しんでいる様に見えた。

ジャニス様の言葉に『あっ!』と言う様な表情を浮かべ、殿下は黙り込む。


ジャニス様は目を閉じて、大きく深呼吸をした。

そして目を開くと、


「お見苦しい所をお見せして申し訳ありません。とにかく、今回は陛下の即位を祝いに参った……という事で帰国させていただきたいと思います。サーレムの言った事はどうぞお気になさらずに。今後の二国間の関係につきましては、陛下の体調が落ち着き次第、またお話し合いを」

と陛下に言った。


「あ……あぁ。こちらはそれで構わない」


「では。さぁ、サーレム帰るわよ」

と言うジャニス様にサーレム殿下は従った。


サーレム殿下は立ち上がると、


「一年後、この国がどうなっているか、必ず見に来るからな。良いか?約束出来るんだな?」

と陛下に鋭く問いかけだ。


陛下も立ち上がり、


「あぁ。約束しよう」

と頷いた。


殿下は扉に向かう、ジャニス様も軽く会釈すると、その後を追おうとした。私はそんなジャニス様に声を掛ける。


「あの……大丈夫ですか?」

あの時の悲しそうなジャニス様が気になった。


「ええ。いつもの事です。惚れっぽいというか、何と言うか。でも子どもの頃から一番近くで彼を見てきました。あんな男ですが、彼の国を思う気持ちは本物ですので、私はそれを支えるだけです」

と微笑んだ。その顔はまるで母親の様に穏やかだった。

ジャニス様は再度軽く頭を下げて、直ぐにサーレム殿下の後を追う。

私達も見送るべく、部屋を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る