第51話

私は思わず目を瞑ってしまっていたが、誰かの腕が私を包みこんでいる。

俄に周りが騒がしくなり、その中にロータス様の声が交じる。


すると私の頭上から


「ダイジョウブ?モウシンパイナイヨ」

と優しい声が聞こえる。

私を包みこんでいた腕の力が緩まり、私はその声の主を仰ぎ見た。


浅黒い顔に赤い瞳が私を心配そうに見る。


「ケガハナイ?」

黙っている私にちゃんと伝わるようにゆっくりと喋る彼に、私は、


「サリム?エエ、ワタシハ ダイジョウブ」

と答えた。



直ぐに私にマーサが駆け寄り、


「クレア様!ご無事ですか!」

と私の姿を確認するように上から下まで見た後、


「ありがとうございました!!クレア様を助けていただいて!!」

とサリムに深々と頭を下げた。

サリムにはマーサの言葉は通じていないだろうが礼を述べている事は理解できた様で、マーサの肩をポンポンと軽く叩いた。きっと『頭を上げて』と言いたいのだろう。


私もサリムの腕の中から少し離れて、彼に改めて向き合うと、


「マモッテクレタノネ?アリガトウ」

と感謝を伝えた。

サリムは笑顔で緩く頭を横に振る。


「ブジデヨカッタ」

と言う彼は優しく微笑んでいた。


あの時、私を襲おうとした女性はロータス様に取り押さえられている。炊き出しを求める人々も、バザーの品物を買いに訪れた人達も騒然としながら、その様子を見守っていた。


院長も慌てた様子で私の方へ駆けて来ると、


「妃陛下、こちらへ。安全な場所へ移りましょう」

と私にここからの退出を促した。バザーを台無しにしてしまった思いと、半ばでここを離れる事に悔しい思いを抱きながら、私はもう一度サリムにお礼を言うと、マーサを伴って院長の後を付いて行った。



結局、私はそのまま王宮の馬車に乗り、教会を後にした。


その時の事をマーサは、


「寿命が縮まる思いでした」

と振り返った。


マーサは私とサリムの後を付いてきていたのだが、小石を踏んで足首を少し捻ったらしい。

思わず痛みに蹲り、足の具合を見ていた所、あの女の叫び声が聞こえたのだと、マーサは言った。


顔を上げたマーサが見た光景は、髪を振り乱した女性が刃物を私に向かって振りかざした瞬間、サリムが片手で私を自分の胸に抱き込みながら、もう片方でその女性の腕を掴んでその女性の腕を捻っていた所だった……らしい。


その後は、少し離れて護衛していたロータス様が走り寄り、その女性を捕らえて地面に押さえつけて……と、まぁそんな感じだった様だ。


私はその話を馬車の中で聞きながら、思わず


「マーサ、足は大丈夫なの?」

と尋ねると、


「そんな事はもうすっかり忘れてましたよ。クレア様……貴女、自分の命が狙われたのですよ?」

とマーサは苦笑した。


「クレア!!無事か?!!」

私が王宮に到着し、従者の手を借りて馬車から降りていると、陛下が私に駆けて来て抱き締めた。


「私は大丈夫です。助けていただきましたから」


「あぁ、早馬で知らせが来て聞いた。とりあえず中に入ろう」


陛下は私の肩を抱いて王宮の私の部屋へと連れて行った。


「ハーブティーです。落ち着きますよ」

とダイアナが私の前にカップを置いた。


「ありがとう」

私の笑顔を見て、ダイアナはホっとしたような表情を浮かべた。

きっと早馬の連絡を受けて、皆、心配してくれていたのだと私も理解する。襲われたという実感が今更ながらに、ジワジワと湧いてきた。


陛下は私の隣に腰掛けると私の腰を抱き、頭に口づけをした。


「何があったか粗方聞いた。続報はまだだが……」

と陛下が言ったそばから、


「陛下!ロータス卿が戻りました」

と近衛の一人が部屋へ報告に訪れた。


「分かった。此処に呼べ。クレア、どうする?お前は別に聞かなくても良いが……」


「私も……あの女性がどうして私を襲おうとしたのか……知りたいと思います」

と私は答えた。

あの女性はあの時『私のせいだ』と言っていた。

私があの女性に何かしたのだろうか……。


そんな風に考えていると、


「陛下、只今戻りました」

とロータス様が入って来た。


「ブルーノ、ご苦労だった。で?」


「犯人は……スーザン・ハワード。前ドーソン公爵夫人です」

とロータス様が言うと陛下は顔を顰めた。


「温情が仇になったか……」

と陛下は呟く。


「どういう事でしょう?」


「ドーソン公爵が夫人だけは助けてくれと……彼女は何も知らないからと言うから、国外追放を免れる様、先に離縁を認めたのだ。関係ない……と言われれば俺もそこまで非情ではないからな」

と言う陛下は後悔している様だ。


ロータス様は続けて、


「スーザン・ハワードは地下牢へ。ハワード侯爵……スーザンの兄には今、馬を向かわせた所です」


「地下牢か……。ロータス、お前結構怒ってるんだな」

と言う陛下の言葉に、


「今回は私の目の前でしたので……収まりませんでした」

とロータス様はサラリと言った。


「俺も同じ気持ちだ。で、話は?」


「錯乱状態で、まだ。鎮静剤を打って落ち着いてから話を訊く予定です」


私は二人の会話を聞きながら、一番気になっている事を尋ねる。


「あの……サリムは?彼に改めて礼を……」

と私がロータス様に言えば、彼は少し顔を曇らせて、


「彼は……行方を眩ませました」

と答えた。


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