第19話
「はぁ~」
と私は大きく息をついて、近くにあって切り株に腰掛けた。
もう日が暮れてしまった。歩く気力も残っていないし、この暗さではアイザックを連れて歩くのも危ないだろう。
しかし周りをキョロキョロ見回しても、宿屋はおろか店すら見当たらない。
民家はポツポツと存在しているが、人の気配もあまりない。
「ザック、もう少し我慢してね。……何処か泊めて貰えるお家を探してみようかしら?」
私は背中のアイザックへと話しかける。
すると、背後から、
「あの……どうされました?」
と声を掛けられる。振り返ると、上品な微笑みを湛えた白髪の老女が立っていた。
私は切り株から立ち上がり、
「あ、あの……実は旅の途中でして。でもこの村まで来てすっかり日が暮れてしまいました。図々しいお願いだと思うのですが、何処か泊めていただける場所をご存知ありませんか?」
と藁をも縋る思いで彼女に近づいた。
「この村には宿屋もありませんしねぇ。隣の村まで行けばあるかもしれませんが、この時間からでは……。こんな小さな子を連れて夜道を歩くのは危ないですから、良かったら私の家に泊まっていきませんか?大したお構いも出来ませんけど」
とその老女は笑顔を見せた。私は天の助けとばかりに、
「宜しいのですか?もしそうして頂けるのなら、有難いのてすけど」
とその言葉に素直に甘えることにした。
「ええ、どうぞ。主人に先立たれて今は私一人てすし、遠慮なく」
と言う老女は、何処となく上品な佇まいだった。
「マチルダさんは昔、侍女を?」
私は話しかけてくれた老女……マチルダさんの家でお茶をご馳走になっていた。彼女の家は然程大きくはないが、とても暖かい雰囲気だった。
アイザックはたっぷりとお乳を飲んで眠ってしまった。
私達はお茶を飲みながらお互いに自己紹介をしていた。
「ええ。ある子爵の御屋敷で。もう随分と昔の話です。良いご主人でしたし、仕事も楽しかったのですが……体を壊してしまいましてね。お暇をいただく事になったのです。クレアさん、お腹が空きませんか?直ぐにスープを温めましょうね。少々お待ちくださいな」
「そんな、お構いなく……」
と私が言うより先に、
「私も空腹なのです。ご一緒していただけると有難いのですが?」
とマチルダさんはニッコリ笑った。
私に気を使わせないその話し方に私も笑顔になる。
私は遠慮なく彼女の手作りスープとバンをご馳走になる事にした。
温かいスープが五臓六腑にしみわたる。
「とっても美味しいです。このパンもフカフカで」
と私が食事に舌鼓を打てば、マチルダさんは嬉しそうに、
「主人が亡くなって、一人の食事で味気なかったの。やはり誰かと一緒に食卓を囲むのは、楽しいわね」
と言った。
「ご主人はいつお亡くなりに?」
「もう三年になるかしらね。元気だったのに突然。最期は穏やかに眠るように亡くなったのがせめてもの救いだと思うわ。でも私が看取る事になるなんて、思いもよらなかった」
そう言ったマチルダさんは少し寂しそうに微笑んだ。
そして私の顔を見ると少し尋ねづらそうに、
「あの……こんな事を訊くのは不躾かもしれないけど……あの子の父親は?」
と私に訊いた。
「あの子には母親の私だけです。こんな身元も分からぬ私達を家にまで招いていただいてありがとうございます」
「困った時はお互い様。何か事情があるのかもしれないけれど……気に触ったらごめんなさいね。貴女……元々は貴族出身なのではない?勘違いだったら……」
「どうしてそう思われたのです?」
と不思議そうにする私に、
「いえね。やはり長い間貴族の家に仕えてると、何となくわかるものなんですよ。所作とか言葉遣いとかね。滲み出る雰囲気とでも言うのかしら?子どもの頃に身に付けた物は、例えドレスを着ていなくても気品として現れるものですよ」
とマチルダさんは笑った。
「マチルダさんもとても物腰が柔らかくて……やはり侍女をなさっていたからでしょうね」
と私が頷けば、
「私が下品な事をすれば、ご当主に迷惑をかけてしまいますからね」
と少し誇らしげにマチルダさんは言った。
「とても良いご当主だったのですね」
と私が言えば、マチルダさんの顔は暗く曇った。
「ええ。とても良いご当主でしたよ。……あんな事になるなんて」
と言ったマチルダさんの顔はとても辛そうに歪んだ。
「?何かあったのですか?」
と私が尋ねると、マチルダさんはゆっくりとそして言葉を選ぶ様に話し始めた。
「私が体を壊す前、その御屋敷のお嬢様は学園に通う為、王都へと。私が仕えていた御屋敷はこの国の東側に位置する、とても長閑な田舎を領地としていて、王都にはタウンハウスなどなく……お嬢様は学園の寮へ入られたの。その後、私は体の不調で退職したので、ここからの話しは私も聞いた話しでね、詳しいことはあまりわからなくて。皆、その話をするのを避けている様だったから」
そして彼女はお茶を一口飲むと、眉を下げ悲しそうな顔をした。
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