第17話

「とりあえず、これ以上遅くなる前に俺は宿屋に戻るよ。女将さんも心配してるだろうし」


「女将さんは無事かしら?近衛が嘘をつかれたと怒っていたけど」


「大丈夫だろ。近衛だって無闇矢鱈に関係ない人を捕まえたりする事はない」

そう言って少しサムはバツの悪そうな顔をした。

そう『関係ない人は捕まえたりしない』のだ。そう考えると私は関係者という事で間違いない。


「そんな顔をしないで。じゃあ、もう暗いから気を付けて帰ってね」

と私はサムを見送る。サムは少しだけ後ろ髪を引かれる様にしながら荷馬車へと乗り込んだ。



アイザックと二人、誰も居なくなった部屋に居ると、途端に心細くなった。

でも、そんな事は言っていられない。さて、何処へ行こう。

隣村はもう辺境伯の領地だ。その向こうはもう別の国。流石に国境を越えるのは赤ん坊を抱えては難しいだろう。ここは西の果て。東側に行くには王都を通らなければならないとなると、必然的に北か南に向かわなければならないという事だ。

私は幼い頃に勉強したこの国の地理を必死に思い出す。


「行くとしたら……南かしら?北へ向かうには山が多いし……。南なら観光地もあるから、また宿屋で働けないかな……。子連れでは厳しいかしらね」

今までの事を考えると、家を出てからの自分は恵まれていたのだと実感する。


「女将さんに出会えたのは、私の人生にとってとても大きかったわ………」

と呟いた私の頬に涙が伝う。


そんな私にアイザックは小さな両手を必死に伸ばして来た。


「なぁに?ザック。お母様を慰めようとしてくれているの?貴方は本当に不思議な子ね。どうしてそんなに私の気持ちが分かるのかしら?」

と私は直ぐに笑顔になる。するとアイザックもキャッキャッと声を上げて笑顔を見せた。

この子の為にも強くならねば。私はそう決心した。


翌日。


「女将さん?!宿屋はどうしたんです?」

と驚く私に、


「あんた、まさか私に会わずにこの村を去るつもりだったんじゃないだろうね?そんな事、あたしゃ許さないよ」

と答えになっていない答えを寄越す女将さんに詰められて、私はタジタジだ。


正直言って女将さんの顔を見たらこの村を出る決心が鈍る気がしていたので、女将さんには手紙を残して去るつもりだった。

女将さんには私の気持ちなんてお見通しだった様だ。



「いえ……あの、手紙を」

と私が封筒を差し出すと、


「これはちゃーんと貰っとく。だけどね、それとこれとは話が別だよ」

と私からの手紙をポケットにねじ込むと、テキパキと旅路の準備をし始めた。


「カバンはこれ。しかしあんたサムに頼んだんだって?あいつはこんな事には向いてないよ。

え~っと、おしめやなんかはここに入れてるからね。クレアの服も必要最低限にしたよ。赤ん坊を連れて大荷物では移動出来ないからね。」

と説明をする女将さんを見て、私は涙を堪えるので必死だった。


「あの……残りは売っていただいても、捨てていただいても構いません」

と私が言えば、


「何を言ってるんだい。ほとぼりが冷めたらまた帰ってくれば良いじゃないか。あんたの家はあそこなんだから。それにほら、ネックレスもちゃんと入れてるから、安心しな」

と優しく微笑んでくれた女将さんに私は抱きついた。


「本当にありがとうございました。何から何までお世話になりっぱなしで。どうやってこの気持ちを伝えたら良いのか……感謝の言葉だけでは現しきれません」


「大袈裟だよ。あんたの事は娘同然だと思ってるんだ。遠慮はしなくて良いんだよ。いいかい、くれぐれも気を付けて」

と抱きついた私の背中を女将さんはポンポンと軽く叩いた。


女将さんは私から少し体を離すと、


「それで?何処に向かうんだい?」

と私に尋ねた。


「とりあえず南の方へ。あてはありませんが、消去法です」


「そうだねぇ。だが、私も南が良いと思うよ。気候も温暖だし、過ごしやすい。ザックにとってもその方が良いだろうよ」


「はい。それより昨日は女将さん、大丈夫でしたか?近衛に責められたりしませんでしたか?」

私は心配になって尋ねた。


「あ~なんかグダグダ言ってたけど、知ったこっちゃないよ。そんな事は気にしなくて良い。あ、あとこれ」

と女将さんは私の手を掴むとその手のひらに数枚の金貨を握らせた。


「え?!何ですこれは?こんな……いただけません!」

と私がその金貨をまた女将さんの手に握らせようとしたが、


「これは、あんたの……いや、アイザックのお金だよ。小切手を金貨に替えて来た。あの人は……アイザックの父親なんだろう?あ、いや、別に言わなくてもいいんだ。息子に顔を見せに来ないような父親だ。事情がある事は察するよ。そんな男に甘えたくないのも分かってる。でも今はそんな事を言ってられないだろう?」

と女将さんはもう一度私の手にしっかりと金貨を握らせた。

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