第16話
「守るなら、クレアも一緒に守るから……!」
というサムに私は、
「ねぇ、聞いて。もし私が捕まるような事があれば、この子を……スティーブ・コンラッドという男性に預けて欲しいの」
あの宿屋に小切手を寄越したぐらいだ。アイザックを自分の息子だと理解してくれている筈。
それでも顔すら見せないコンラッド様にモヤモヤするが、別に私も責任を取ってほしいなどと思っている訳ではない。
しかし、私に何かあった時は別だ。きっと女将さんやサムはアイザックを守ろうとしてくれるだろうが……それでは他人に迷惑をかけてしまう。ならばいっそ、父親に委ねてしまおう。私はそう考えた。
「そいつ……誰なの?もしや……アイザックの父親……とか?」
とサムは探るように私にそう尋ねた。
私はその質問に答えずに曖昧に微笑んだ。
直後にアイザックが泣き始めた為、私達の話はそこで強制終了した。アイザックは本当に私の気持ちを読むのが得意だ。
アイザックのおしめを替えたいが……ここには無い。急いで逃げた為に、何にも持って来なかった事を後悔した。
「どうしよう……おしめが濡れているみたいなんだけど、替えを持って来なかったわ」
「あぁ!そっか!じゃあ……って言ってもここら辺って他の家が無いんだよな。
少し離れてるが雑貨を売ってる店があるから、ちょっと行ってくるよ」
と言うサムを私はその場から見送った。
ここはサムが言った通り周りは畑ばかりで民家は見当たらない。
村の外れと言うだけあって、もう少し先に行けば隣村との境の大きな川に出るだろう。
外は日が落ち始めたのか、薄っすら暗くなってきた。
「灯りはあるかしら」
と私は部屋の中を探すが、ロウソクしか見つける事は出来なかった。私はそれに火を灯す。
開け放した窓からは少し風が吹き込んでくる。ロウソクの火が消えそうになったので、慌てて窓を閉めようと手をかけたその時、
「本当にこっちの方に来たのか?」
という男の声が聞こえた。
「最後に目撃したらしい老人はそう言っていたが……どうかな?ずいぶんと目が悪そうだったしな」
その男に答える声の合間には馬の嘶きが聞こえる。私はその人物達を見て青ざめた。……近衛だ。
私はそっと窓を閉めると、ロウソクの火を急いで吹き消した。そして外から見えぬ様に窓の下にしゃがみ込んだ。
そして小さな声で、
「ザック。お利口だから静かにね。おしめが濡れて気持ち悪いと思うけど、少し我慢してね」
と話しかける。アイザックはクリクリの青い瞳で私をジッと見上げた。きっと、この子はわかってくれているはず。
窓を閉めたせいで男達……多分近衛だろう……の声は少し遠くなったが、かろうじて会話は聞こえる。
「だけど……あの宿屋から出て行ったっていう荷馬車は見当たらないぞ」
「だなぁ。それにその荷馬車に乗っていたっていう確証もないし」
「しかし、あの女将もとぼけやがって。他の宿屋に聞いて『クレア・ドノバンはあの宿屋だ』って言われた時は腹が立ったよ」
「しかもこっちが問いただしたら『うちに居るのはクレアですよ?あなた達が言ってるのはクレア・ドノバンって人でしょう?私しゃ嘘は言ってませんよ』って。それを屁理屈って言うんだよ」
「違いない。だが、早く見つけないとエリオット様から叱られるぞ」
「あそこに家がある。ちょっと聞いてみるか?」
と言う声が聞こえ、私は思わず声を上げそうな自分の口をしっかり片手で覆った。
『ドンドンドン』
扉を叩く音が部屋に響く。
この小さく古い家にはドアノッカーの様な物はない。
私はアイザックをギュッと胸に抱き、なるべく音を立てないよう息を殺し、ジッとその音を聞いていた。
扉の鍵はサムが出て行く時に『俺が戻るまで、絶対に扉を開けちゃダメだ。鍵はしっかり掛けておいて』と言われた為、ちゃんとその役目を果たしてくれている。
……しかし近衛達が少し力を入れてしまえば、直ぐに壊れそうな程脆く、私はハラハラしながらそちらを見守った。
「ここ、人が住んでるのかぁ?」
と言う声に、
「うーん。ボロい家だしなぁ……空き家かもな」
と扉を叩いていたであろう男が答えた。
「こんな辺鄙な場所だと住むにも不便だろ。ほら見ろ、周りの畑も荒れ放題だ。もう誰も住んでないだろ」
「だな。荷馬車も見当たらないし……」
と二人の男の声が少しずつ扉の前から遠ざかって行く。馬に乗ったのか、馬の足音も少しずつ遠のいていくのが聞こえた。
私は、ホッと肩で息をつく。
心の中では、早く何処かに行って!と願いながら、アイザックの青い瞳を覗き込んだ。
……コンラッド様にそっくり。私はあの夜で一番印象的だった、彼の瞳を思い出す。
きっとこの瞳を見れば、コンラッド様もアイザックが自分の息子である事を認めて下さるだろう。
それから十分時間が経ってから、私はアイザックを抱いたまま立ち上がった。
そっと窓の外を覗く。暗くて良く見えないが、近衛達の姿はもう見えなかった。
改めてロウソクに火を灯していると、
『ドンドンドン』
と扉を叩く音がして、私は飛び上がる程に驚いた。
「クレア、俺だよ、サムだ。遅くなってごめん」
と言う声にホッと息を吐く。
鍵を外し扉を開けると、そこには色々と買い込んで戻って来たサムの姿があった。
「近衛が?」
おしめを替えてご機嫌になったアイザックを腕の中で揺らしながら、私は先程の出来事をサムに話した。
「ええ。女将さんが咄嗟に嘘をついてくれたから、逃げる時間が出来たけど、あの宿屋にはもう……帰れないわ。私達の家ももうバレてしまっているだろうし……」
「クレア、今日は此処に居てくれ。一応色々買って来たから二、三日は過ごせると思う」
「……サム、お願いがあるの。私の家から荷物を。あまり物は多くないから、そんな難しくないと思うわ。食器や家具は……売れる物は売って。そんな大したお金にはならないけど、今日、買ってくれた物の代金ぐらいにはなると思うから。……明日、この村を出るわ」
と言う私に、サムは物凄く悲しそうな顔をした。
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