第10話

「これは私の母の形見で、決して盗品などではありません!」


「いや、しかしですね……貴女のお母様がこのネックレスを?」

と店主は私を、またもや上から下までチラリと見た。正直、不快だ。


「母は……貴族でしたので」


「貴族ねぇ……。しかしそのお話が本当だとしても、普通、母親の形見を売ろうとしますかね」


「お金が必要なんです。買い取って頂けないのでしたら、他の店に持って行きますから」

とトレーの上のネックレスを私が受け取ろうとすると、


「いや、買い取らないとは言ってないですよ。……そうですねぇ、それなら……この値段で如何ですか?」

と店主が私に提示してきた金額は、私の想像の半分以下だった。


「そんな!先程トーマスさんはこのネックレスを素晴らしい品だとおっしゃいましたよね?」

私がお金に困っている事がわかると、この店主は私の足元を見てきたようだ。


この店以外で買い取りをして貰える店を探すとなると、また遠くの街まで行かなければならない。産み月の私としては、これ以上遠くまで足を伸ばすのは困難だ。

どうしよう……。子どもが生まれたら直ぐにお金に困ってしまうのは目に見えている。私が、


「じゃあ……」

『この値段で』と仕方なく口を開きかけたその時、


「売る必要はない。母親の形見なのだろう?」

と私の後ろから伸びた手がトレーの上のネックレスを掴んで私の掌に置いた。


店内がざわつき、店主は目を丸くして私の後ろに居る人物を凝視している。


私は後ろを振り返る。


「……王太子殿下……?」

という私の問いかけにその人物は答える事なく、


「おい。この店は人により態度を変えるのか?……程度が知れる」

と固まってしまった店主にそう言うと、私の手を握り店の外へと手を引いて連れ出した。


外へ出た私の手を王太子殿下はスッと離した。

私は、


「あの……何故王太子殿下はここに?」

と、ついどうでも良い事を尋ねてしまう。


「……通り道だ」

と殿下は言うと、私の大きくなったお腹を見て、


「やはり、妊娠していたんだな」

と呟いた。


「?」

私にはその意味はわからなかったが、ネックレスを今日売ることが出来なかったという現実に私は目の前が暗くなった。




……あれ?何だかお腹が痛い気がする……。


「痛い……」

と私はしゃがみ込む。すると、足の間から温かな水が足を伝うのを感じた。

殿下が、


「大丈夫か?」

とかしゃがみ込む私の目線に合わせる様に、自分もしゃがみ込んで、私の腕に手を伸ばした。


「……多分、破水しました。陣痛も……」

と私が言えば、殿下は明らかに狼狽えて、


「おい!!誰か!ここら辺に医者か産婆はいないか!!」

と通行人に大きな声で尋ねているのが聞こえる。殿下の手は私の腕を握ったままだ。


痛みの波が訪れる度、声を上げそうになるが、それにじっと耐える。破水してしまった。早く……お医者様の所に行かなければ。

私は気力で立ち上がる。殿下はそれに驚いた様に、


「無理をするな!」

と慌てている。

私は立ち上がったと同時に立ち眩みの様な感覚に襲われ、膝が折れそうになった。

すかさず殿下は私の腕を引っ張り上げる様な形で支えてくれたが、私はそのまま意識が遠くなっていくのを感じた。そう……私は精神的にも物理的にも目の前が真っ暗になってしまったのだった。




私は痛みで目を覚ました。目を開けると見知らぬ天井が映る。


「いたたたた……」

と私が顔をしかめると、


「おや、目を覚ましたね。……痛みの間隔は……うん。もう少しかかりそうだ」

とにこやかなお婆さんが私の顔を覗き込んだ。


「…ここは?」


「私の産院だよ。あんたは大通りで破水してそのまま気を失ったんだ。疲れてたのかねぇ。それともショックな事でもあったのかい?」

どちらにも心当たりがある。疲れていたし、ショックも受けた……金銭的な不安で。

お婆さんは私の額に手を当てると、


「熱はないようだね、良かった。破水をすると赤ちゃんを守るものが無くなっていくからね。お母さんが熱を出したりすると、赤ちゃんが危ないんだ」


それを聞いた私は、怖くなって起き上がろうとしてしまう。


「あぁ、休んでなきゃダメだよ。これから本格的に陣痛が始まる。大丈夫、私はもう何千人と赤ちゃんを取り上げてきたんだ。任せておきなさい」

とその歳をとった産婆さんは私を安心させるようにそう言った。


「私、どうやってここに?」


「王太子殿下があんたを抱き抱えて来た時には驚いちまって、声も出なかったよ。殿下も慌てちゃって、支離滅裂だし。とにかくあんたとお腹の中の子を頼むって、必死だったよ」


「王太子殿下は……?」


「暫くあんたに付いてたが、従者みたいな人が現れてね。殿下に何かを報告してたよ。それを聞いた殿下は慌てて『私は戻るが、彼女を頼む』と言い残してその従者と共に出て行った。けど最後まで後ろ髪を引かれるようにあんたを見てたよ」


あの時、一人だったらと想像するとゾッとする。誰からも助けて貰えなかったのなら、きっと私もお腹の子も危なかっただろう。


「そうだったんですね。あの……」

と、ここでのお産にいくら掛かるのかと尋ねようとした私にまた痛みが襲いかかる。


「さぁ、お喋りは後だ。今はお産に集中しよう」

と産婆さんに言われ、私は痛みに耐えながら必死に頷く事しか出来なかった。


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