第5話
「王太子殿下って馬車に乗ってるんじゃないんですか?」
「殿下は近衛騎士団の団長もしてるんだ。立派な騎士様だからね。馬に乗ってるらしいよ」
とまるで自分の息子でも自慢するかの様に、女将さんはそう言った。
「へぇ。馬車に乗ってる方が命とか狙われずに済みそうですけどね」
と言う私に、
「こんな小さな村で、殿下のお命を狙う者など居ないよ」
と女将さんは私の背中を叩きながら笑った。
この大陸には、未だこの国を侵略しようと狙っている国があると聞く。王太子殿下の暗殺を狙う者が居てもおかしくはないと思うのだが。
「あ!ほら見えた!」
と女将さんが指差す方向に顔を向けると、大勢の騎士を従えた男性が此方に向かって来るのが見える。馬の巻き上げる砂埃で、やや霞んでいるが。
「あの真ん中が王太子殿下だろうね」
と嬉しそうに手を叩く女将さん。私よりしっかり乙女だ。
村に居る数少ない若い女性が黄色い声を上げている。
どんどんと距離が近くなり、私にもしっかりとその集団の顔形まで見えるようになった。
隣で女将さんも『キャー!かっこいい!』と若い子に負けずに黄色い声を上げている。
……確かに、輝くような金髪に深い海を思わせる様な青色の瞳。こりゃ、絶世の美男子と言われる筈だと私も納得する。
……これがこの国の王太子殿下かぁ……とぼんやり考えながらその集団を見ていると、ん?何故か王太子殿下が私の方を見ている……ような気がしたが、隣で女将さんがキャーキャーと騒いでいるので、このせいか……と納得した。
その集団はまた砂埃を上げながら、私達の前を通り過ぎて行った。
「あぁ……行っちまった」
とまだ頬を乙女の様に赤く染めた女将さんが私に言った。
「ところで、王太子殿下の一行はどちらにお泊まりに?」
「殿下はアントンさんの所だよ。でもうちにも護衛の方の数人が宿泊予定だ」
「え?うちにも護衛の方がいらっしゃるんです?」
私が働く宿屋はこの村では三番目…ぐらいだろう。一番大きくて立派なのがアントンさんがご主人の宿屋。二番目はショーンさんの所、三番目がうちだろう。
「あんな大勢じゃ、アントンさんの所だけじゃ足りないよ。でもうちに来るのは、随分と下っ端の護衛って話だよ」
「下っ端って……それでも王族の護衛なら近衛騎士でしょうから、貴族の方々ですよ。失礼のないように気を付けないと、何て言われるか……」
貴族の階級主義的な思想を考えると、平民への態度なんて結構横柄だったりするものだ。気を付けるに越した事はない。
「クレアは心配性だねぇ。まぁ、うちは少し狭いがアットホームでサービス満点を売りにしてるんだ。いつも通り心を込めて、おもてなししようじゃないか」
と私の背中を叩く。
王太子殿下はこの村を治める領主に挨拶に行ったのだろう。私達は急いで宿に入ると、護衛の方々の到着を待つ事にした。
……のだったのだが……。
私は目の前の信じられない光景に、
「どうして、王太子殿下がうちに泊まるって話になってるんですか!」
と、小声ながらも焦りを隠せず女将さんの腕を突っついた。
「知らないよ!私だってビックリしてるんだって!何でも急に王太子がここに泊まると言い出したって話だよ」
女将さんも相当慌てているのだろう『殿下』を付け忘れているが、今はそんな事はどうでもいい。
王太子殿下の気まぐれか、はたまたアントンさんが何かやらかしたのかは知らないが、何故か王太子殿下がこの宿屋に宿泊する事になったと言う。
今やうちに泊まる護衛は下っ端どころが、近衛騎士団の副団長や、それに連なる階級の人達ばかりになってしまった。迫力と圧力が半端ない。
しかしご主人は普段通りに、
「ようこそおいで下さいました。狭い所ですが、ゆっくりしていって下さい。
料理には自信がありますんで、よろしかったら是非」
といつものお客様と何ら変わらず殿下に挨拶をした。
ご主人の強心臓っぷりに私は驚く。
いつもは女将さんの尻に敷かれて、のんびりした性格のご主人を少し頼りなく思っていたのだが、私はすっかり見直してしまった。
「そうか。皆も腹が減っただろう。早速夕食を用意して貰うとするか」
と殿下は言った。続けて、
「ここのお勧めは何だ?」
と何故か殿下はご主人より三歩程下がった所に居る私に尋ねた。いや隣の女将さんか?
殿下と目が合っている様な気がするが、まさか私では無いだろうという気持ちから、私は女将さんの方をチラリと見た。
すると、
「そこのお下げ髪の女。お前に訊いている」
と言われ、私はそれが自分の事だと気づくのにたっぷり五秒程かかってから、
「わ、私ですか?」
と自分に指を指して問い返した。
お下げをしているのはこの中で私しか居ない。
「そうだ」
「あ!し、失礼いたしました。お勧めはビーフシチューです」
と私はいつも通り、お客様に尋ねられた時の答えを反射的に答えていた。
……慣れって怖い。
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