第6話
夕食のビーフシチューの支度が出来、王太子殿下を始めとした近衛騎士の方々が食堂の席につく。
本当にこんな粗末な……いや、別に宿屋としては普通だが、王太子殿下がそこに居るというには似つかわしくない場所だとその風景を見ながらつくづく感じていると、
「おい、そこのお下げ髪の女、こっちに来い」
と王太子殿下に手招きされる。今度は『お下げ髪』と指定されている為、間違いなく私の事だと思うが……何故に私?
「これを食べてみろ」
と殿下は私にスプーンを渡す。……どういう事かと私が首を傾げて固まっていると、副団長が、
「毒見なら私が」
と私の手からスプーンを受け取ろうと手を出した。
なるほど。そりゃそうか。毒味ね。
うちのご主人が王太子殿下に毒を盛るなんてある筈ないが、王族が口にする物だ。それを疑っているとか、いないとかいう問題ではなく、『決まり』という事だろうと私は納得した。
「いえ、毒見役だというなら私が」
と言って私はそのまま手に持ったスプーンでシチューを一口食べた。
副団長だって上位貴族。この人に何かあっても宿屋としてはお仕舞だ。……といっても、私は1ミリもご主人を疑っている訳ではない事もここで強く主張したい。
皆が私の様子を見守っている様だ。
「……どうだ?」
と殿下は私に尋ねる。
「特に体調に変化はありません。何ならとっても美味しいです」
私がそう言って微笑むと、何故か王太子殿下は目を逸らした。……え?何か気に障る事しました?私。
「そうか、なら頂こう」
と言った殿下は私の手からスプーンを奪うと、それでシチューを掬った。
「ちょっ!ちょっとお待ち下さい!新しいスプーンを用意します!」
と慌てる私に、
「新しいスプーンに毒が塗られている場合もある。これで良い」
と殿下は淡々と答えると、そのままシチューを口に運んだ。
周りの皆が「は?」という様な表情をしている中、殿下は
「美味いな」
と言いながら、二口、三口とシチューを食べ進んだ。
……間接キス?
呆然とした私を他所に殿下は、
「おかわり」
と私にシチューの皿を差し出した。
我に返った私は、
「……はっ?あ、はい。畏まりました」
とその皿を受け取り厨房へと向かった。
私の後ろでは、
「何だ、お前等。冷めるぞ?早く食え」
と殿下が部下の皆様に声を掛けているのが聞こえる。
その声を皮切りに、時が動き出したかの様にカチャカチャとカトラリーを動かす音が聞こえ始めた。
ようやく皆の夕食が始まったようだ。
「結局、若い女が良いのかねぇ」
女将さんが口を尖らせた。
私と女将さんは食堂の後片付けの最中だ。
「何の事です?」
「王太子殿下の事だよ。妙にあんたにちょっかいを掛けていたじゃないか」
という女将さんは本気で少し拗ねている様に見えた。
私は苦笑いしながら、
「偶々ですよ。だって……殿下って物凄く面食いなんですよね?結構な美女でも袖にするとか何とか」
と私は実家に居た時にイライザから仕入れた情報を女将さんに披露してみせた。……もちろん小声で。
「そんな噂もあるみたいだねぇ。婚約者候補はたくさん居たらしいけど、どれもこれも断ったって話だし。あんな美丈夫だから仕方ないのかもしれないけど、選り好みしてたら、いつまで経っても結婚出来ないだろうに」
と女将さんは、さっき私を羨んだ事などすっかり忘れ去ってそう言った。
片付けが済んで、
「今日は遅くまで残って貰って悪かったね。部屋が満室なんて、なかなか無い事だからさ」
とご主人が私に声を掛ける。
「いえ。明日の朝も早く出勤しますよ。朝食の用意も大変でしょう?」
と私は答えながら(まさか、朝食も毒見しなきゃダメなのかしら?)と心の中でため息をついた。
しかし、その心配は杞憂に終わった。
いや、物理的に無理になったと言うべきだろうか。
私は朝早くに宿屋に向かったが、途中、急な腹痛に襲われ道端で蹲っている所を通り掛かったサムに助けられた。
今は、医者の元へと運ばれ寝台に横になっている。
「ちゃんと診せに来る様にと、言っていたでしょう?」
と私を少し批難する様な口調で医者はそう言った。
そして医者は、
「彼女は妊婦なんだから、あまり無理をさせないでくださいね」
と心配そうな顔で見守っていたサムにそう声を掛けた。
サムはその言葉に
「にん……ぷ?」
と目を丸くしながら私と医者の顔を見比べていた。
……あぁ、バレた。
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