第4話
「クレア、もう大丈夫なのかい?」
と尋ねる女将さんに、
「昨日は美味しいシチューをありがとうございました!お陰で元気が出ました!」
と私は笑顔で答えた。
昨晩は、サムが女将さんお手製のクリームシチューを私に届けてくれた。
ここで働き始めてから、母が亡くなって以来初めて人の優しさに触れた気がする。
ここでの生活を手放したくない。私は悩んでいた。
約四ヶ月前、私は王都から逃げる様にしてここ、タリス村へとやって来た。
サーメル王国の西の果て。隣国との国境に程近いこの村は、国境の峠越えの前に休息を取るのにうってつけで旅人が宿を求めて集う村だった。
ここに来るのは通りすがりの人ばかり。
ドノバン伯爵家から逃げ出したが、私の行方を捜す者など居ない。家族の皆はきっと私なんて、どこかで死んでくれてたらラッキーと思っている筈だ。
だから、私は安心してこの村で暮らしていた。
しかし、妊娠したとなれば別だ。身元を詮索されるかもしれない。私は途方に暮れていた。
答えの出せないまま、私は妊娠発覚から一月を迎えた。貧血が心配だからと医者からは受診に来るよう言われているが、どうにも足取りは重い。
私は客室のシーツを取り替えながら溜め息をついた。
すると女将さんが、
「ちょっと!ちょっと!大変!大変!」
と私が作業をしている部屋へ飛び込んで来た。
「どうかしました?」
と尋ねる私に、
「来月、王太子殿下がこの先の国境沿いの渓谷へと視察に向かうらしいんだけど、その時にこの村に宿泊するって言うんだよ!」
と女将さんは興奮気味に私の問いに答える。
「へー。そうなんですか」
と私は答えると、手を止めていた作業に戻る。
後は窓を拭いて……カーテンを洗濯……と私がこの後の段取りを頭で考えていると、
「『へー』って!何であんたはそんな冷静なのよ?!」
と女将さんは呆れたようにそう言った。
「え?」
「『え?』じゃないのよ。この国の王太子殿下だよ?こんな小さな村に来るなんて、今後一生ないかもしれないじゃないか!」
確かにこの村は行商人はよく宿として使うが、王族はもう少し手前の大きな街か、少し先に行った辺境伯の領地で宿泊する事が常だ。珍しいと言えば珍しいと言えるが、
「……別に一生会えなくても何の問題もないので」
と言う私が信じられないといった風に女将さんは、
「殿下と言えば、絶世の美男子だって噂じゃないか。見てみたいだろう?あんただってまだ若いんだし。村の若い女の子は皆、浮き足立ってるよ?!」
と言う。
「でも、とてつもない冷血漢だとも聞いた事があります。自分の部下であっても、役に立たない者はすぐに切り捨てると」
文字通り、王太子殿下は「切り捨てる」のだと言う。物理的に。頭と胴体が切り離される…という意味だ。
「それは……まぁ、噂通りならね。戦争でも命乞いをする者の首を顔色一つ変えずに切り捨てた……っていうのは私も聞いた事があるよ」
「どんなに美男子だろうが、美丈夫だろうが、そんな心の冷たい人、怖くて近寄れませんよ。何が癇に触るかわかったもんじゃない」
今まで生家で理不尽に虐げられていた自分には、そんな男の嫁にいきたいと言っていたイザベラの気持ちが一つもわからなかった。
「はぁ~~あんたって、何だか冷めてるっていうか何て言うか……若者らしさがないよねぇ。
もっとほら、他の女の子達みたいに着飾りたいとか、男の子と遊びに行きたいとか……そういう気持ちはないのかね?折角可愛い顔をしているのに、勿体無い」
「お金もないし、自分が生きていくのに精一杯で、そんな事に気を回す余裕もないんです。それに男なんて……」
と私が少し笑えば、
「この村に来た時から、威嚇している野良猫みたいに気を張って……。あんたがここに来た事情を根掘り葉掘り訊く気はないが、もう少し、私達に頼ってくれていいんだよ?」
と女将さんが優しく言った。
私は少し恥ずかしくなる。そんな張り詰めた雰囲気を纏っていたのか。
それでは何か訳有りだと自分から言っているようなものだ。
改めて女将さんの目を見て、
「どこの馬の骨ともわからない私を、何も言わず此処で雇っていただいた上に、住む所まで紹介して下さって……感謝してもしきれないぐらいです。私としては充分、甘えていたつもりですし、これからも女将さんやご主人を頼りにしてます」
と私が言えば、女将さんは私の側に近寄って、私の肩をポンポンと軽く叩いた。
「まぁ、いいさ。あんたが此処で安心して暮らしていけるなら、それで。邪魔して悪かったね」
と言って部屋を出て行った。
私は途中で手を止めていた掃除の続きに着手する。
なんだか目の前が少しぼやけて見えるのは、きっと目にゴミが入ったせいだろう。
私は少し乱暴に目を擦って、大きく窓を開けた。
「王太子殿下だよ!ほら!」
と食堂の片付けをしていた私の腕を女将さんが掴んで外へ連れだそうとする。
「女将さん……だから興味はないっていったじゃないですか。私、この食器を片付けないと……」
と言う私に有無を言わさず、
「そんな事はあいつにさせときゃいいんだよ!ほら、行った!行った!」
と私を急かす。
女将さんの言う『あいつ』というのはここのご主人。そう女将さんの旦那様だ。
私は溜め息をついて、
「はい、はい。わかりました。ご主人!後はお願いします!」
と私は厨房に居るご主人に声を掛けた。
「おう!行っといで」
と言うご主人の声を聞く間もなく、私は女将さんに外へと連れ出された。
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