第3話

「イライザ!ここを開けて!」


「うるさい!!『イライザ様』でしょう?使用人同然のくせに。せっかく手に入れた媚薬の効果を試したかったのよ。

それに、あんたがそこのコンラッドって男と関係を持って、その男と結婚してくれたら、私達家族は万々歳!」


「ば、万々歳って……」


「あんたがこの家に居るから、親戚連中がうるさいのよ。

流石にそんな名も知らない子爵の息子にこのドノバン家を継がせるとは言い出さないでしょう?

その男とあんたが体の関係を持てば、あんたをここから追い出せるって訳。

あんたってさ、こんな扱いされてても、しぶとくここに残ってたじゃない?本当に目障りだったのよ。そんなにこの家にしがみつかなきゃ生きていけないの?いやらしい女よね」


私は頭を殴られたような衝撃を覚えた。

この家にしがみついていた覚えはない。

しかし、母に「この家の血を守るのは貴女ね。ごめんなさい、兄弟を作って上げられなくて」と言われいた。

母は自分が体が弱く、娘の私一人しか産めなかった事をずっと申し訳なく思っていたからだ。

その言葉は私をこの家に縛り付けていたのかもしれない。

私だって、何度この家を捨てたいと思ったか。それでも我慢してきたのは、母からのその言葉だった。


「そんな……!私は別にそれを望んでいた訳じゃ……」

そう言っても言い訳にしか聞こえないのだろう、イライザは、


「とにかく!あんたはここでその男とヤッちゃえば良いのよ!この媚薬はかなり強力だって話だから、その男、放っておいたら死ぬかもね~」

と楽しそうに言うイライザにゾッとした。


「死ぬって……そんな薬をどこで……!」


「うるさい!その男が死んだらあんたのせいよ!じゃ、せいぜい楽しんでね~」

とイライザの足音が遠ざかって行く。


私は絶望した。振り返ると苦しそうなコンラッド様が見える。


コンラッド様に今の会話を聞かれてしまっただろうか?

コンラッド様に物凄く失礼な話だ。こんな……使用人同然の娘を差し出されたのだ。

……しかも、私を抱かなければ死ぬかもしれないなんて……。


私はまた寝台に近づく。


「く、来るな!!」

コンラッド様は叫ぶ。良かった、話は聞こえていなかった様だ。

だって自分が死ぬぐらいなら、私の事を襲っていてもおかしくない。彼は未だ私を守ろうとしてくれていた。



「コ、コンラッド様。あの……私で良ければ……」

緊張して喉がカラカラで上手く声が出ない。


「だ、だめだ!!今の俺は正常ではない!!」


「その媚薬は……とても強力なのだそうです。下手をすれば命に関わるかも……と」



「そ、それでも……君を傷つけたくない!」


「大丈夫です。私なら」

そう言いながら私はシーツを握りしめたコンラッド様の手に触れた。


とても熱い。彼はその手を振り払うが、私はもう一度彼の手を取って自分の胸へと導いた。

彼はまた振り払おうとするも、私はその手を離さなかった。


「優しく出来ないかもしれない……」

そう言った彼の潤んだ深い海の様な綺麗な青色の瞳を覚えている。

眼鏡を外した彼の瞳は、今までみたどんな宝石より美しかった。




子どもを産む。私一人で出来るだろうか。

私は母の形見であるネックレスを小さな箱から取り出した。


母の遺した物は全て売り払われてしまった。もう手元にはこれしか残っていない。


「お母様……これを売っても怒らないわよね?」

私は誰にともなく呟いた。


すると『ドンドン』と入り口の扉を叩く音がして、私は急いでネックレスをまた箱にしまった。


ボロい扉をあんな力一杯叩く人は彼しかいない。


私は、


「サム……もう少し優しくノックしてくれない?」

と呆れた様に言いながら、その扉を開いた。


「あ……ごめん。でも、なんか具合いが悪くなったって女将さんに聞いて……寝てるなら、思いっきり叩かなきゃ気付かないかと」

サムは大きな体を小さくしながらそう言った。

こんな小さな家、どこで寝ていたって、外の声も丸聞こえだ。


「心配してくれたの?ありがとう。ちょっと立ち眩みがして。お医者様に診てもらったから大丈夫よ」


私が働いている宿屋で部屋の掃除をしていたら、目の前が暗くなり、しゃがみこんでしまった。

心配した女将さんが今日は休んでお医者に診てもらえとそう言ってくれたのだ。


サムは同じ宿屋で働いている青年だ。大きな体に茶色の巻き毛。緑色の瞳にソバカスのある顔は彼を年齢よりも若く見せたが、多分私より五、六歳は上の筈だ。


ちなみに立ち眩みの原因は貧血。元々、栄養不足であった上の妊娠で、益々貧血が酷くなったのだろうとのお医者様の話だった。


「お医者さんには診て貰った?大丈夫だった?」

とサムは心から私を心配してくれているのが、その様子からもわかる。

彼はとても優しい青年だ。だからと言って、今、妊娠の事実を告げる勇気はなかった。


「貧血だって。もう少し栄養価の高いものを食べる様にと言われたわ。ほら、私、疲れちゃうと食事も億劫になっちゃうから。これからは気を付ける。女将さんにも大丈夫だって伝えてくれる?」

そう私が言うと、サムは


「わかった!今日の夕飯は俺が何か持ってくるから、それまでゆっくり休んでて!」

と大きな手で私の頭を撫でた。


サムが荷馬車に乗って走り去るのを見送り、私は扉を閉めた。


今はまだ、そんなにお腹も目立つ訳ではない。しかし、いつまでも隠しておく事は出来ない。

こんな小さな村で、女が未婚のまま子を産む。

周りから、どんな目で見られるのだろう。

やっとここに自分の居場所を見つけたというのに……。

私は不安な心を抱えたまま、寝台に横たわって目を閉じた。


コンラッド様は……あの後どうなったのだろう。

私は今の今まで思い出さなかった、お腹の子の父親に想いを馳せた。

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