∞第九話 パンケーキとパンテオン
∞第九話 パンケーキとパンテオン
潮風商店街のほぼ中央に
「ねえ、一色さん、どうして神棚にパンケーキ用のフライパンが置いてあるの?」
素朴な疑問というような雰囲気で訊ねてきた季菜子に一色は笑顔で返す。
「先に天国に行った親友の形見なんだ。いわばオレの守り神」
「へえ、一色さんの目にとまった親友さんだから結構いい人なんでしょうね。天国から見守ってくれている人がいるっていいわよね」と納得して頷く季菜子。
するとお茶を持ってきた零香が、湯飲みを季菜子の前に置いて、「私の
二十代の季菜子は、なににでも恋愛要素がつきまとう年頃だ。
「きゃあ、親友の妹が奥さんなんて、ロマンチックだわ」と両頬を掌で押さえて挟み込む。まさに「うっとり」というポーズである。
「私なんてブザマ。見ず知らずの人とお見合いしてこい、ってお父さんに言われているの。押しつけられて滅入っているわ。いいなあ」と肩をすくめる季菜子。
そして「こんなんで、私、お嫁になんて行けるのかな?」と付け加える。
すると一色は遠くから語りかけるように、「名月さんのご主人は多分、意味があって分かった上でやっているはずだよ。心配ないよ」と優しく微笑んだ。まるで全てを見越しているような確信に満ちた物言いである。
「そうかな?」と難しい顔で疑問符を残す季菜子だ。
気分を変えて季菜子は「じゃあ、今日は裏メニューのパンケーキと珈琲をお願いします」と注文する。
零香は驚いたように、「えっ? うちの裏メニュー知っているの? いつの間に?」と疑問を連発。
季菜子はちょっと得意げに、
「何ヶ月か前に、ゆるふわのキッチンカーのワッフル屋のおねえさんが注文しているのを見てたから」と言う。
「ああ、
「一色さん、裏ホット出来ますか?」
厨房でフライパンを洗っていた一色が、「いいよ」と言う。
零香は、「今日は大丈夫みたいね。材料がある日だけしかこのメニューは出せないのよ」と季菜子に伝える。
「へえ、楽しみ」
「ラムレーズンとラズベリージャム、それにバターホイップクリームで飾ったパンケーキなのよ」と零香の説明に、
「いいですねえ。ますます楽しみ」と再度返す。
季菜子の反応に笑顔で頷くと零香は定位置に戻った。
暫くして一色が赤、紫、白のトッピングソ―スに飾られたさくら色の生地のパンケーキを持ってくる。季菜子の前にドンと置かれたおおきなプレートは見る限り潮風食堂のメニューとは思えないカラフルでおしゃれな料理だった。
「この桜色のパンケーキって……」と料理を前にした季菜子が訊ねると、
「ご推察の通りだよ。君の家で売っている桜餅とほぼ同じように作っている。なんせ
「ウチのパパが若い頃に修業していたお店だ」と一色の言葉に季菜子が頷く。
「だから名月秋庵さんの桜餅とはいわば、従姉のようなものだよ」と一色が加えた。
「なるほど洋菓子と和菓子に分かれてはいるけど、系譜は一緒なんだ。頂きます」
手を合わせて、お辞儀をするとフォークとナイフを持ってその美味なる裏メニューを口に運んだ。
ラズベリーの甘酸っぱくて上品な香りとラムレーズンの芳醇で濃厚な甘み、そこにバターホイップクリームの軽い乳製品の下味が溶け込む。それはまさにおとぎの国のようなスイーツに感じられる逸品だった。
月の綺麗な夜、一色の店から帰った季菜子は湯上がりにドライヤーで髪を乾かしながらドレッサーに向かう。
そしてベッドに横になると心地よい眠気が季菜子に訪れた。
「春のうららの
のぼりくだりの 船人が
ながめを何に たとふべき
見ずやあけぼの
われにもの言ふ
見ずや夕ぐれ 手をのべて
われさしまねく
錦おりなす
くるればのぼる おぼろ月
げに一刻も 千金の
ながめを何に たとふべき」
澄んだ歌声が夜空にこだまする。
「だれ? 私の夢の中で歌っている人は?」
季菜子がそう問いかけると、
「まあ、これが夢の中ということを理解している
『この女性、私の知っている誰かに似てる』と直感する季菜子。
「あなたは?」
その女神は「まあ赤い糸の創造主とでも言っておきましょう。コノハナノサクヤヒメに頼まれて桜のご縁でここに来ました」と言ってニヤリとする。
「赤い糸?」
「そう、あなたの運命の人との出会いを仕掛ける。それを取り持つのが私、とるにたりない仲介人です」
「運命?」
「ご自宅の商品、店の桜餅はお好きですか?」
唐突な話題の転換だったがたじろぐこともなく返す季菜子。
「うん好きよ、桜の葉っぱに甘いピンクの焼き菓子の皮とあんこは絶妙だわ」
「それがあなたの運命の赤い糸のアイテムとなります。隅田川でデートしてくると幸運を授かるでしょう。ハブ・ア・グッドディ!」
そう言うと夢の中の女神は遠くへと滑るように去って行った。金髪なのに脱色感否めない髪と日本人にしか見えないあの顔立ち、不思議な女神だった。
はっとして上体を起こす季菜子。お見合いの当日だ。小鳥のさえずりに朝を感じた。行きつけの美容室は門仲、つまり門前仲町だ。いそいで支度をしなくてはいけない。準備を整えると、家を出て、足早に地下鉄の駅に向かった。
晴れ着に、髪のセットにと忙しい中で美容室に丁重に礼を言うと、次はお見合いの場所、隅田川の川岸にある料亭だ。門前仲町から数駅先の両国で地下鉄を降りる季菜子。しずしずとエレベーターを降りてから、はき慣れないぞうりで用心深く歩く。国技館を遠目に見ながら河川敷の遊歩道に向かう。
待ちあわせの料亭の庭に着くと、芝生の広場があり、その中央には大きな朱色の和傘とその下に縁台があった。その裏手には右に桜の木、左には柳の木だ。画になる風景だ。
「まるで『花』の歌詞そのものね」
夢の中の残像に答え合わせをするかのように呟く季菜子。第六感が働く季菜子。そしてそれが引き金となり、赤い糸が可視化されるのである。
その大きな赤い和傘の下では、スーツ姿の男性が腕時計を見てそわそわしている。
季菜子は胸をはって、しゃんとすると男性の方へと歩み寄った。
「お待たせしました。名月季菜子といいます」と穏やかさと笑顔を装い声をかける。
「ああ、季菜子ちゃん」と右手を挙げる男性。
季菜子はその声にどこか聞き覚えがあった。
傘に隠れていたその顔をしげしげとのぞき込む彼女。
「あれ?」
季菜子は見覚えのある顔に驚く。
「
その言葉に改まってお辞儀すると、「こんにちは。お見合い相手の
「大学のサークル以来だから五年以上経つね。元気そうね」と季菜子は微笑む。
「うん、おかげさんでどうにかやっているよ」と返す麦。
「でもどうして? 私が相手って知っていたの?」
季菜子の問いに、
「実は僕が頼んだんだよ」と恥ずかしげに頭を掻く麦。
「頼んだ? どゆこと?」
二人は自然に寄り添うように隅田川の川岸側に出て水面を見ながらゆっくりと話す。
「大学時代から季菜子ちゃんのことを好きだったんだけど、勇気が出なくてそのまま卒業したんだ。へたれだね、僕は。今年の初めに菓子の品評会があってね。その会場で名月秋庵のご主人と、つまり君のお父さんとお知り合いになったのさ。それで学生時代の忘れられない恋の事情を話したら、君のお父さんは世間体もあるから告白よりもお見合いという形で気持ちを伝えてはどうか、という提案、アドバイスをいただいてね。それならふられてもお見合いで断れたという体で、僕のメンツも保てる、って言ってくださったんだ。でもチャンスは一度だけね、とも言われている。でも告白しないよりは、気持ち伝えて玉砕しようと決めて今日ここにいるんだ」と思いの丈を伝える麦。
光る水面を眺めながら「そっか」と笑う季菜子。そして彼女は振り袖の袖口を少し上にずらして右手を差し出すと、
「よろしく」と笑った。
「いいの? 陰キャな根暗で遊びも知らない僕だけど」と言う。
「私は遊び慣れている人はあまり好きでは無いわ」と笑う季菜子。
「ありがとう」
その手に自分の手を差し出す。握手の完成だ。
季菜子は頷くと、もう一つの疑問を彼にぶつけた。
「ねえ、菓子の品評会にどうして麦くんが行っていたの?」
「ええ、知らないの? 同級生は皆知っているのに」
「なに?」
「僕の家、月香楼っていう和菓子屋で、僕はその跡取りだよ。君の家と同業だ」
「うそ? 江戸から続くあの関東風桜餅発祥の老舗和菓子店? そしてうちのおとうさんが若い頃に修業したお店。そこの若旦那なの?」
「うん」
「じゃあ、潮風食堂の一色さんとも知り合い?」
「ああ、一色さんとウチの姉が同級生なんだ。今でも家族ぐるみのお付き合いしているよ、あの店の魚介類は美味しいから」
「うん。なんていうか、すごいご縁なのね、私たち」
「僕が君を好きになった理由が分かるでしょう? これだけ何かの縁が次々と重なるって不思議だから。しかも同じ大学で同じゼミ、同じサークル」
「たしかに……」
これだけの大量に重なる人間関係のパラメーターが存在していたにもかかわらず、全く理解していなかった季菜子は、自分のおとぼけ具合に愛想が尽きるほどだった。
「私のボケ具合、悲しいくらいに未だ絶好調だわ……」
ひとりごちた季菜子に「何?」と麦。
「ううん。独り言」と苦笑いの季菜子。
そしてシックスセンス、予知夢、赤い糸が重なるこの出会いは自分にとって幸せに繋がるパスポートなのかも知れないと考えている季菜子だった。予知夢の中の女神が、今思うと自分の運命の道筋をなにもかも知っての預言者だったと感じていた。
「あっ」
思い出したように季菜子は笑う。そう、あの女神の顔。どこかで見た記憶があると思ったら、海幸釣具店に嫁に行った叔母の真智子。彼女の若い頃にそっくりである。
『乃梨子ちゃんのママか。天国から見守ってくれる人、私にもいたんだ。実家のピンチにはせ参じたというわけか。おば様も忙しいわね』と軽く微笑んだ
そして麦の腕に軽く腕を絡めると、
「さあ、行きましょう、未来のダンナサマ」と真っ赤になった顔の麦、その体を腕で押すように料亭の玄関へと向かった。
了
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