∞第十話 ロッカーのロッカーに入っていたモノ

∞第十話 ロッカーのロッカーに入っていたモノ


「一色さん、どうしたの?」

 零香は心細そうな表情、しかも眠い目を擦って店の前に出てきた。天気の良い朝。夏の日差しだ。

「零香さんは、寝てて良いのに」と笑う。

「ガサガサと一人だけ身支度してれば気になるわ。同じ寝室だもの」

 零香の目線の先の一色は珍しくTシャツにジーンズとラフな格好だ。


「どこか行くの? 折角のお盆休み、定休日なのに」


 寂しそうに訊ねる零香。この夫婦、ほぼ二十四時間一緒にいる夫婦である。とりわけ零香が常に一色の顔が見える場所に居たいようだ。寂しがり屋である。

「なんかね、さっき蓬莱堂ほうらいどうさんのご主人、やっさんから電話もらってさ。小豆を卸してくれている農家さん、大納言だいなごんさんていうんだけど、その家でパッキングの機械が壊れたんだって。それで箱詰めが出来ないらしくて、ウチにも出荷が出来ないって言うから、自ら器持って、注文分の小豆をもらいに行ってくるんだ。お昼には戻るから、心配しないで」


「うん……」と不安そうな顔で悄気る零香。


 その矢先、この暑いのに黒の革ジャン、タンクトップ、ロンドンブーツにエレキギターのソフトケースをかついだ金髪ロン毛の男が店の前にやって来た。

「ういっす。一色さん」

 軽い会釈で、軽トラから顔を出していた一色に挨拶をした。

「ん? 雷蔵か?」

「はい、男になったんで戻ってきました」

「夢叶えて、ロック・ミュージシャンになったんか?」

「うぃーっす」

 テレながら頭を掻く仕草ではにかむ雷蔵。

「BIGヒットも出たんで、武道館でコンサートをやるんすよ」と嬉しそうだ。

「いつの間に。安さんには報告したのか?」

「するわけないじゃないですか。夢を諦めて、米屋乾物屋を継げなんていう父親に」と反抗的な態度が見て取れる。

 突然の訪問者に零香は少したじろぐが、興味を惹いたのか、

「乾物屋の安さんって、あの今さっきの蓬莱堂のご主人?」と訊ねる。

「そう」と頷く一色に、

「ええ? 蓬莱堂にもうひとりお子さんいたの?」と零香の驚きは大きい。

 雷蔵は一色に「こちらは?」と訊ねる。

「ああ、ごめん。お前さんが葛西を離れている間にオレ結婚してね。お嫁様の零香っていうんだ」

 雷蔵はロン毛をかき上げて、

「イナズマロッカーハウスというバンドでギターとヴォーカルやっている蓬莱雷蔵ほうらいらいぞうです。かみなりくらって書きます。一色さんの第一の舎弟です。よろしく」とお辞儀をした。

「まあまあ、それはご丁寧に」とお辞儀を返す零香。そして含み笑いで、イナズマ・ロッカーハウスねえ、雷蔵さんの名前、和訳そのままね」と言う。

 思い出したように、「おれさ、これから都県境とけんざかいの近くまで行かなくちゃいけなくてね、乾物屋の君のお家のお店の依頼でさ。お昼前に帰るからその頃にもう一度来てよ。ランチ一緒に取ろうよ」と雷蔵に言う。

 雷蔵は嬉しそうに「じゃあ十一時半にまた来ますんで」と言って、零香にもお辞儀をして、今来た道を戻っていった。


 米屋と乾物屋を兼業している蓬莱堂。創業明治初期の老舗だ。今は次男の風輝ふうきが店を手伝っている。なまこ壁の木造店作り。伝統的な商店家屋で営業を続けている。ここかしこに面白いほど、文化の香りの残る建物だ。そんな店の店先に雷蔵は足を踏み入れる。

 ほんの数分としないうちにけたたましいがなり声が近所に響く。


「何しに帰ってきた!」

「お父さん、雷蔵も折角こうして……」と母親が仲裁に入る。

「うるさい、お前が甘やかすからこんなダメ人間を作ったんだ」


 典型的な昭和の頑固親父が雷を落とす。雷蔵の名前は、この安二郎のほうが似合っている。店先から聞こえてくる怒号の響きに、隣近所は店先から首を出して様子を窺う。

 写真館の拓さんは、向かいの酒屋、この商店街の会長と顔を見合わせた。そしてそこに雷蔵の姿があることに気付くと顔を互いにしかめて「またか」と呆れた顔で頷き合う。そして雷蔵の同級生でフランス喫茶のオーナーシェフ健作は、交際中の月読かえでと一緒に通りまで出てきた。

「もういい! お前に報告なんかしてやるもんか。折角のオレの善意を台無しにしやがって……」

 なじられっぱなしの雷蔵は、そう言って乾物屋の店先を飛び出す。目には悔し涙、口元、唇は紫になるまで噛まれた忍耐の勲章が現れていた。

 フランス料理の食堂の店先、同級生の健作は、そっと雷蔵に目配せをして、小さく『おいでおいで』と手招きをする。

 行き場のない雷蔵は、少し微笑むと助かった、とばかりに健作の方に引き寄せられる。

「ああ、けんちゃん。久しぶり」

「何年ぶりだろうね。ウチのお袋が倒れてドタバタしたときは、ありがとね」とその節のお礼をかねながらも、健作は彼の背中を押すように葛西仏蘭西かさいふらんすダイニングに招き入れた。


 パタンとドアを閉めると、健作は苦笑いで「またおじさんと一戦、やっちゃったね」と慰める。

「馬が合わないっていう人間は世の中にはいるもんさ。それがたまたま親子ってだけだよ」と負け惜しみの雷蔵。慣れた場所らしく、格子柄のテーブルクロスのある卓、その椅子を引き出して座る。

「一色さんのところにはもう行った?」と健作。

「うん、またお昼前に行ってランチを一緒にする予定だよ」

「じゃあ、ウチではコーヒーだけ出すね。折角のランチだ、おなかを空かせていった方が良い」

 そういってソーサーに載ったコーヒーをテーブルの前に置く。

「ありがとな。昔はこの親子喧嘩に麻子おばちゃんがよく助け船を出してくれたっけ」と懐かしそうに言う雷蔵。

「ねえ、ケン兄ちゃん、この人も私覚えているわ。この人のお父さんが昔よくお米の配達の時に、あずきバーのアイスをくれたの」とかえで。

「ん?」

 金髪ロン毛の髪をかき上げて目を見開くと、

「おお、お前、月読網元のかえでじゃん!」と思い出す。

「私を覚えてくれてるの?」とかえで。

「ああ、月読のおじさんは運河の近くの作業場で、オレや健作に甘酒を飲ませてくれたんだよなあ」

「よく作ってたわ、甘酒。網元時代に浜に出たときはこれが一番温まったんだって、懐かしそうに言いながら釣り道具の手入れしていたわ」

 嬉しそうに頷くかえで。またひとり自分の過去を覚えてくれている人間に出くわす。



 数時間後、雷蔵は約束通り潮風食堂の扉を開ける。

 すると待っていたかのごとく一色は、さっきのラフな姿で竹の皮でくるんだ大きな物体を指して、「これが今日のランチ」と言う。

「うん」

 雷蔵はテーブルに座ろうとすると、「いや、今日は違う場所で食べようよ。折角の定休日なんだから」とご機嫌な顔で人差し指を「くいっ」と曲げると雷蔵を店外に誘う。

 ほんの数件隣には、店をたたんだ元のはんこ屋兼印刷屋がある。その店を借りて、今はそこを商店街の事務所として使っている。

 借りてきた鍵で一色が事務所のドアを開ける。

「開いた。さあ、入って」


 一色の言葉に「ああ、組合事務所ですか?」と訊ねる雷蔵。

「うん、座って」

「今日は会長に言って、お昼の時間借りているから大丈夫、だれも来ないよ」


 一色は中央の大きなテーブルの上でタッパーと竹の皮を開く。炊きたてのお赤飯とお煮染めやきんぴらが出てきた。そして小ぶりながら緋色の鯛のおかしら付きがある。

「おめでとう」

 一色は肯きながら、噛みしめるように言った。真心のこもった料理に涙腺の緩む雷蔵。

「やっぱ一色さんだ。顔出して良かった」

 傍らのエレキギター、フライングVをケースごと抱きしめて男泣きをする。幾千もの苦労が実ったことを昔なじみの人に分かってもらえるというのは、素直に嬉しいことだ。

「まあ食べようよ。お酒もあるんだ。純米酒だよ」

「頂きます」と嬉しそうに雷蔵は箸を延ばす。あれもこれもが心のこもった美味しい料理に舌鼓が止まらない。がっつくように、かっ食らうように雷蔵が嬉しそうに頬張る。


「雷蔵、雷蔵……」

 一色の声が遠くに響く。雷蔵は不意の眠気から意識が遠くなっている。自分が寝ているのか起きているのかが微妙な浅い眠りだ。そして今一度夢の中のような自分に出会う。

 そこには雷蔵の祖母、懐かしいすみゑの姿があった。かつてのように和服に白い割烹着を羽織って、手には天秤ばかりをぶら下げている。雷蔵がこどものころはその姿で、店先のお米や乾物を量り売りしていた。趣味で大正琴を弾いていた音楽好きの祖母だった。横には健作の母、麻子も笑っている。

「ん、ばあちゃん? 麻子おばちゃん? 帰ってきたのか?」

 祖母は何も言わず、この商店街の事務所にある各商店に割り当てられたロッカーの前に立っていた。ごく普通の木目調の正方形の引き戸が連なるロッカーだ。その扉の中央には商店名が記されたシールが貼ってあった。

 すみゑは、その引き戸の一つ『蓬莱堂』と書かれた扉を開ける。そこには束になったチケットがところ狭しと詰め込んであった。

 夢の中の祖母は面白げに笑う。しかも無言で。そしてそっと雷蔵の横に歩み寄ると、『なんだかんだ言って可愛いのさ、お前のことが』と意味深な言葉を吐く。それは声に出ない心の声なのかも知れない。そう思念の声だ。

 はっとして、おき上がるとテーブルでうたた寝をしていた雷蔵は、「夢?」と辺りを見回す。目の前には黙々とお赤飯を食べている一色が居た。そしてその横には健作もいて、一緒にお赤飯を食べていた。


 思い当たる節があるのか、雷蔵は立ち上がると、壁面に並んださっきの夢の中の各商店のロッカーの前に行く。そして自分の家のロッカーを見つけるとそこを開いた。

 そこには夢で見たモノと同じ、見覚えのあるチケットがどっさりと入っている。おまけに自主製作のCD盤も。チケットは活動初期のライブハウスでのモノだ。ひとつの公演分ごとに数百枚はある。CDも五十枚近くは置いてある。むろん同じものを複数枚買っている。推しと言わずしてなんという、といった感じだ。


「なんでここにオレのバンドの公演チケットとCDがあるんだ?」

 一色は嬉しそうに「それが安さんの答えだよ」と言う。

 健作も「雷蔵のバンドの一番のファンは安二郎さんてことさ」と笑う。

「なんだよ、二人とも知ってたのかよ?」

 雷蔵の言葉に「商店街の人は皆知っているよ」と健作。さも当たり前のように答えた。

「そうなのか?」

「野球帽被って、変なサングラスかけて、渋谷方面に出かけていく安二郎さんを何度目撃したことか。すでに商店街の周知の事実さ」

 そう言って、相変わらず嬉しそうな一色の顔。

「素直じゃないんだよね、安二郎さん。ウチのお袋がよく言ってたわ。その意味がようやく分かってきたよ」と健作。

 そして「あ、このお赤飯の餅米も小豆も蓬莱堂さんのものだよ。作ってやってくれって、安二郎さんに言われてね。お酒も会長のところで安二郎さんが買ったモノだ。つまりは今日のランチは安二郎さんからのおごりというわけさ」と種明かしの一色。

「おやじ……ちくしょー」

 言葉と態度の違う人種は世の中にごまんといるが、こういう分かりづらい性格は令和の世の中では少数派になった。決して良い行動規範にはならないし、おおよそ迷惑行為に近い。しかし家族や親族だけは、それを分かってあげないと不器用に仕事だけで生きてきた人間の居場所がなくなってしまうのだ。それを子どもの雷蔵は理解してあげられる年齢に達していた。だから反抗と親しみの入り交じった複雑な感情を持って、喜んでいるというのが、率直なところだろう。


「さて今頃、雷蔵のお袋さんが、安さんに頼まれて、お寿司の出前でもとろうとしている頃だよ。今日は、素直に安さんに家を飛び出したことを詫びて、ロッカーに入っていたライブチケットを見たと言ってお礼も言ってさ、仲直りしてきなよ。なんたって雷蔵にとって、安さんが一番の推しのファンなんだから。親父さんは自分から言い辛いんだよ。察してやんなョ。もう有名ミュージシャンなんだからさ」

 一色の言葉に「一色さんにそう言われちゃなあ」と頭を掻く雷蔵。少し肩の荷が下りたのか、彼は、はにかんだ笑顔を二人に向けていた。


 了




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