∞第四話 曲がった山芋と勾玉
∞第四話 曲がった山芋と勾玉
横浜の大学を卒業したばかりで、三重県に引っ越しが決まっている女子大生、
彼女はすぐに次の駅で電車を降りた。改札を抜けて地上に出ると、とても道幅の広いアメニティロードのような橋が見える。カラフルなタイルで舗装され、拡幅された道。それが海浜公園のほうに続いている。一方の反対側の出口は、曲がりくねった路地が多い町並みだ。
今、彼女は
探そうにも、どこを探せば良いのか全く予想もつかない。その暗い顔を友人に見せたくなくて、皆と別れて、一人時間をずらして帰るという単独行動に走ったというわけだ。
彼女はその公園に続く真っ直ぐな道とは逆の曲がった路地の方に歩き始める。運河のような河川のほとりを導かれるように歩いていた。はるか向こうの
商店街にさしかかって、彼女は前を歩く大きなリュックを背負った男性を見た。のぼりが立つ昔ながらの商店街の中をゆっくりと踏みしめるように歩く四十歳過ぎに見える男性。そのリュックから長細い山芋が彼の背丈の一・五倍ほど飛び出ていた。
「すごい」
一般に言う
富久は彼がその山芋をどこに持ち帰るのかが気になった。そう思った矢先、彼は一軒の食堂に入る。『潮風食堂』と書かれたその看板には、なにか懐かしさを感じるものがあった。
「いらっしゃい」と店主青砥一色の声がする。
時を同じくして、ほぼ同時に入ってきた二人に、「おつれさん?」と訊く。
男は振り向く。そしてその時、初めて後ろにいる富久の存在に気付くが、
「いや、一人だ」と愛想笑いをする。
「お嬢さんのほうは、座敷、テーブル、それともカウンター?」と訊ねる一色。
「ああ、じゃあテーブルで」と富久。
「それじゃ、好きな場所に座って下さい。あとで注文にうかがいます」と一色。
「はい」
富久は持っていたバッグを隣に置いて着席すると、テーブルの上に立ててあるメニューを開いた。
一方の男性は、店主一色とは顔見知りだ。奥の方でなにやらぼそぼそ話している。
「今年はさあ、昨年の残し根から結構成長してくれて、立派なのが三本出たんで、全部持ってきたよ」
「ありがたいねえ、毎年ありがとうね。
「いやいや。東京に持ってきた方が、電車代払っても良い値で買ってくれるから、こっちもありがたいんだよ」
丁寧に新聞紙に包んだ付け根部分を手で持ちながら、そっとあの自然薯を一色に渡す金丸。
「あの」
その現場を見ていた富久は思わず声をかける。
「その自然薯、今注文できますか?」
顔を見合わせる一色と金丸。
一色は笑うと、
「お目が高いね。良いよ。麦とろ御膳なら時間はかかるけど、三十分、四十分くらいで出せるよ」と言う。
富久はパタンとメニューを閉じると、
「お願いします」と頷いた。
一色は金丸にも聞こえるように、
「これは『
「へえ」
富久はテーブルに頬杖ついてその様子を眺める。
金丸は、「鞠子のとろろ汁って知っていますか?」と富久に訊ねる。
「いいえ」と首を横に振る富久。
「
「ああ、ヤジさんキタさんのヤツですよね。お伊勢参りに行く珍道中を描いた」と富久。
「そうです。その物語に鞠子宿、いまの丸子地区の名物として出てくるんですよ」と嬉しそうなお国自慢をする金丸。
そこに加えるように一色は、
「古典書である『古事記』や『万葉集』にも
「どういう意味ですか?」
「吉野宮の宮仕えらしき人が、
「へえ、そんな昔から親しまれる植物なんだ。日本らしい食べ物なんですね」
「うん。私たちの遙か太古のご先祖から伝わる食べ物です」とすり鉢をゴリゴリしながら一色は言う。
妻の零香はガス釜に火を入れて、麦を混ぜた白米をセットした。火力の強いガスなら短時間でふっくらと仕上がる。
時間が経って食事も終わり、すっかり満腹になった富久は川崎の鹿島田近くにある家に着くと、ほんの十分ほどで睡魔に負けて、うとうとする。
自分の部屋のドレッサーの前に座る富久。彼女の座るドレッサーの正面、鏡に映る自分の顔が水面のさざ波のように揺れると、違う人物を映し出した。そこには歴史の資料集でよく見る
「だ、誰?」
鏡の女性は優しく微笑むと、
「私は
朝の光の中、寝ぼけ
「あっ?」
そこには朝陽を浴びて美しく輝く小さな翡翠の粒をちりばめた首飾りが落ちていた。
「あった」
そして彼女はその翡翠の首飾りを手に取ると、立ち上がる。
「よかった」
富久は買ったときの箱をドレッサーの引き出しから取り出すと、そこに首飾りをしまい込んだ。
その時、ぽろりと箱から説明書が落ちる。買ったときにはそんな説明書が付いていることすら気付かなかった。
「ん」
富久はその説明書を拾い上げると、広げてみた。
「このたびは糸魚川、奴奈川産の翡翠をご購入いただき誠にありがとうございます。古代の神威を込めた野老葛で編んだ首紐を使い、神聖な場所で取れた翡翠を勾玉に加工した玉石を伊勢の職人が真心込めて作りました。きっとあなたのお手元にとこしえに付き添い霊威を授けるでしょう」とあった。
富久はにこりと笑うと、「なるほど」と合点がいったように笑って、その首飾りに一礼をした。
了
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