∞第二話 太陽の都からの生クリームケーキ

∞第二話 太陽の都からの生クリームケーキ

 スイーツデザイン・アーティストで名高い赤井絢音あかいあやねは、一色の料理専門学校の同窓生である。彼女はひとつ年下のスイーツ課程を終了して、ヨーロッパ遊学の後に日本に戻り、アートデザイン学校のイラスト課程を学ぶ。菓子装飾のアーティストとして華やかな毎日を送っている。しかも文才もあり、一色の紹介で船橋時代の夏見粟斗の事務所でアシスタントもしていた。その関係で一色とは夏見を通して同門にも値する存在だ。そしてそのでも一色に負けず劣らずの才能を持つマジカル・フードコーディネーターでもある。


 本日は彼女も所属するアーティスト集団主催の作品展の打ち上げ会がこの店で行われる予定だ。

「絢音ちゃんは格好良いよなあ」とぼやく一色。

「なんで?」

 惚け顔にも見えるが、素で分かっていないタイプだ。サービスに出されたぜんざいを美味しそうに頬張る絢音。流行のパンツルックに、チェックのマフラー、髪にはきらきらのラメをまぶして、尾長のリボンで髪を束ねる。マスメディアが取り上げたくなるような、キュートで格好良いアーティストだ。別に誰かにお願いされて、こう言う格好をしているわけでもなく、着たい服を着ているだけの余所目を気にしないタイプである。

「タレントまがいのオーラが出てる」

「あはは、ありがと! 先輩も渋くて格好良いよ」と通常モードで軽く受ける絢音。

 そして「夏見先生はお元気?」と訊ねる。

「年末に来てくれたけど、奥さんの栄華と仲良さそうだった」

「ああ、ピアニストのね。奥さんのCD聴いたよ。ショパンのやつ。よかった」

 頭を掻きながら「オレそういうのもわかんないんだよね。ショパンとベートーベンの違いもわからない。古いポップスしか聴かないし」と困り顔の一色。

 するとニコッと笑って絢音は、

「そういうのも良いんじゃない? 流行商売はやりしょうばいのラジオパーソナリティやっている妹さんはがっかりするかも知れないけど」と気楽に感想を述べる。

「あはは。違いない」

「最近は私の同業者、ワゴン販売の歌恋さん来てる?」

「君の相棒だから気になるの?」

「まあ、一緒にヨーロッパ回っていたしね。相変わらずゆるふわ人生かな、って?」

「うん。そんな感じだね。この近くでクレープの路面販売するときは顔を出してくれるよ」

「へえ、じゃあ私も近々歌恋さんにも連絡して、彼女のところに顔出してみようかな?」

「そうしておやりよ。飲み仲間を探しているよ」と笑う一色。


 そう言って、一通りの近況報告も終わっての彼は、「最近は赤井、どんな図案に凝っているの?」と続けて絢音に訊ねる。

「このお店にぴったりなのがあるよ」と絢音。

「ほう」

 腕組みをしながら、興味ありそうに頷く一色。

「フェニックスの図案なんだ」

「フェニックスって、不死鳥とか鳳凰ほうおうとか言われるやつ?」

「うん。一般に資料で知られている話は帰巣本能を持つ若返りの鳥ということなの」

「どういうこと?」

「五百年に一度、姿を新しくして永遠に生き続けるっていう鳥ね。そのお社があるのが太陽の王国、古代エジプトのオンの都。別名ヘリオポリス。その鳥にまつわるデザインを今風にアレンジして装飾に活かしているわ」と絢音。

「なんか伊勢神宮に伝わる常若の式年遷宮が行われる意義や概念みたいな話だね」

「古今東西、人間の生み出す創造力や信仰心には、類似傾向が見えるものは多い。そんな伝説なんてごまんとあるわ。神話だって、場所によって物語の類似性で、流布の系譜があるし。私たちが神様や幸福を祈る思いに時代や国境など無いって事よ」

「相変わらず才女だねえ、言うことがひと味違う」と一色。

 そして「じゃあさ、今晩、パーティーの貸し切り予約でさ、その絵、フェニックスを簡単にスポンジクリームの上に書いてくれない?」と頼んでみる。

「いいわよ。私も主催側の一人だし、良いお披露目になるわ。任しておいて!」とあっさりOKする絢音。気心の知れた旧来の先輩後輩の間柄である。



「こんばんは」

「お邪魔します」

 イラスト業界のアーティストたちが、このシンプルな食堂に入ってきた。売れっ子からそうで無い人まで総勢三十名弱。『潮風食堂』の定員ギリギリと言う感じの人数だ。一色の妹、美和が見たら、『新記録達成!』とか茶化しそうである。

 くせっ毛のヘアスタイルで、黒徳利のセーターを着込んだ男性が、絢音の近くにやって来る。

「赤井さん」

 その声に絢音は、

「あら千住君。久しぶり、元気?」と気さくに返す。千住は有名美大を出たアート集団に属する天才肌のデザイナーだ。 

 力ない笑顔で、

「あまり元気じゃない」と苦笑い。

 ドンと肩を叩き、「どした?」と顔を近づける絢音。彼女にとって、千住は気になる存在だ。

「新規の大きなカット依頼。思い切りボツった」

「紙媒体のヤツだっけ?」

「うん」

「どんなモティーフなの?」

 絢音の言葉に、

「旅行会社の旅行パックツアー商品のパンフレット用に作った旅行アイテムのイラスト、大きめのカット三十点とその表紙画二点なんだ」と言う。

「もう出来上がっていたんだ」

「九分九厘」

「ふーん」と頷く絢音。

 おぼろ気でありながら、それでいて重く受け止めている様にも見える彼女の表情。

 千住は苦悩の表情を隠せない。憔悴しきって、今日のパーティも楽しめるような状況ではなかった。

 絢音は千住の落ち込んでいる姿を仲間内に悟られないように、今日は自分がずっと彼の横にいることにした。その思いをんで、一色はそっとカウンター席の端の二席を彼らのために空けて、「ここ」と指さしていざなった。



「ままま、まあ。私の描いた菓子アートでも食べて機嫌を直して」とフェニックスの描かれたケーキを彼の前にピュッと差し出す絢音。

 そして千住は、切り分けて皿に盛られたカラフルなフェニックスの図柄がついたケーキを口に運ぶ。

「美味い」

 そう言いながらも、困惑の表情は変わらない。端から見ればやけ食いに近い心境と察する程だった。

 その後は、さらにやけ酒となり、あまり得意ではないお酒やワインを雰囲気任せにがぶ飲みする千住。その様子を心配そうに見守る絢音も、彼から目を離すことなく、いつでもフォローできるような態勢を維持している。彼女自身、千住には何か思うところがあるようだ。


 絢音が付きそう中、一行と一緒になだれ込んだ葛西駅前の二次会のカラオケボックスで、彼は、はしゃぐ皆を横目に睡魔に襲われていた。慣れないやけ酒の代償である。

 柔らかな長ソファーの寝心地が快眠を誘う。リモコンで我先にと選曲を競う仲間たちとは対照的に、既に出来上がってお荷物と化した千住。

『ムニャムニャ』と口を動かして、次の瞬間すやすやと眠り出す。


「くえん」

 鳥の鳴き声。まるでキジのような鳴き声だ。飛んだ後ろは星屑を纏う帚星ほおきぼしの尾のように、あるいは飛行機雲のように、軌跡が描かれていく。

「あ、さっき食べたケーキに描かれたフェニックス」

 千住は辺りを見回す。

 夕焼けに染まる丘陵地帯。懐かしい田園風景が、こころの奥底に潜む郷愁の思いを呼び起こす。

「待ってくれ!」

 なぜか彼はあのフェニックスを追いかけたくなった。の鳥が何かを教えようとしていたからだ。フェニックスは追いかけてくる千住の方を振り向きながら、つかず離れずの距離感を維持して飛んでいる。まるで水先案内人のように。

 辺りの景色はやがて都会に変わる。見覚えのある銀座の町並みだ。

 そこでフェニックスは大きなビルの一角に入ってしまう。

「ここって?」

 その入り口には『尾州鉄道交通トラベル』と書かれた中京圏大手私鉄の系列旅行会社の看板が掛かっていた。


 ふと、気付けば、皆がお開きで店を出るガヤガヤが聞こえる、その喧騒で目を覚ます千住。目をこすり、寝ぼけ眼で視界が開けると真ん前に絢音の顔。至近距離の彼女の瞳が自分をのぞき込んでいる。後頭部は柔らかな人肌の感触。上半身をゆっくりと起こし、確認してみると自分は絢音の膝枕で眠っていた事が分かる。

「ごめん」と慌てて真っ赤になって起き上がる千住。拝み倒しで許しを請う。

「寝ぼけていたとはいえ、ご無礼を」と低頭な姿勢を崩さない千住。

 頬を押さえながら、

「別に良いよ。千住君なら問題ないし」と笑う絢音。少し照れた顔だ。そして「それに膝枕の態勢にしたのは私だし」と加えた。

「よかった。怒られると思った」

「相変わらず気弱だね。実力も才能も努力もあるのに、その弱気な姿勢が邪気に運をとられちゃうんだね」

 戯けてみせる絢音は、「何か夢でも見なかった?」と知った素振りの質問をする。

「それがね。フェニックスが尾州鉄道交通トラベルの社屋に舞い降りる夢を見た」と言う千住。

「ふーん」

 絢音お得意の返事。そして「結構具体的な夢だね、それ夢のお告げかもよ。あたし、そこの担当者知り合いだから明日行ってみようか?」と提案する。

「ボツったなら、それ別に回しても問題ないよね。書面契約やアドバンスとかもらっているの?」

「いや、全くの白紙で口約束」

 一応の確認は怠らない絢音。そして自作になんの制限もないことを告げる千住。

「じゃあそのカット使っても大丈夫だね」

「うん、大丈夫」

「よし、朝一番で、尾州鉄道交通トラベルの担当に電話入れてアポとっておくから、そのカット一式持参してね」

「分かった、でも本当にいいの? お世話になって」と千住。

「お世話したいのよ。私の下心●●が」と軽く微笑む絢音。

 デザイン馬鹿を自負する、モテたことのない千住は、意味も分からず、「?」を頭に描くだけだった。


「あたし一旦、家で着替えてから出直すから、銀座で待ちあわせしよう。尾鉄トラベルでの打ち合わせの後はデートね」と笑う。

「デート?」

 不可解な単語が飛び出して、首を傾げながらも、

「分かった。じゃあ、銀座三越のライオン像前に午後一時だね」と笑った。深夜とも早朝とも言えない時間に二人の約束は成立した。


 午後。すっかりお淑やかなワンピースドレスに身を包んだ絢音は、フルーティなコロンの香りに包まれて千住の隣を歩く。待ちあわせの場所からそう遠くない東銀座の一角。

 千住の夢に出てきたビルの入り口。そのままの建物の景色だった。二人は並んでビルに入るとエレベーターに乗り込む。

 五階で降りると、そのフロアにある広報・制作課と書かれたガラス戸を押して中に入る。

 内部の直通電話を慣れた手つきで操ると、デザイングループと書かれた部署の呼び出しボタンを押す。

「はい、今、五階ロビーです。いつもの来客ブースですね。そこでお待ちしています」

 会話を終え、受話器を置く。絢音は「こっちです」と慣れた場所のため千住の手をひいて案内する。


 打ち合わせ用に仕切られた、懇談スペースで担当者を待つ。その間に、ポートフォリオの様に並べられたカット群の説明を練習する千住。

 暫くして、首に『アート・マネージャー』と書かれた名札をぶら下げたスーツ姿の女性が懇談スペースに入ってくる。彼女は絢音の服を見て一旦立ち止まる。そして意味ありげに、上から下まで隈無く見ると一瞬含み笑いをする。見たこともない女性らしい服装の絢音から状況を察したようだ。だがそのまま何事もなかったように彼らの前に立った。

「赤井ちゃん、久しぶりじゃない。ついに私の要望を叶えてくれるのね」と言いながら千住に名刺を差し出す。

「グループマネージャーの木場です」と千住に向かってお辞儀をする彼女。

「平面とイラストをやっています。千住浅黄せんじゅあさぎです」

「どうぞ」と気さくに着席を勧めると、自分もソファーに落ち着いて話し始める。

「赤井さんには、平面をいつも出来ないか、とお願いしてまして、私、フードだからの一点張りでね。ようやく、眼鏡にかなう作品と出会えました。過去の作品はウェブで事前に確認しているので、タッチも配色も弊社好みです」と言ってから机上に並んだ作品に目を向ける。彼の作品を楽しそうに頷いて眺める木場。


 一通り見終えて顔を上げると木場は、

「どれも私のイメージにぴったりです」と微笑む。

 そして「今回は災難でしたね。この作品は大丈夫、弊社の印刷物に使えるものばかりですから、全部原稿として受け取らせてください」と加えた。

「本当ですか?」

 千住は感謝と感激に目を瞑る。

「よかった。日の目を見た」

 自然にわき出た心の声は安堵とともに、思わず声になっていた。

「それと弊社からもお願いがありまして、一つのご提案で……、うん、あくまでご提案です」

「はい」

「赤井さんと仲良いようなので、お願いできたらなと思うのですが、彼女の菓子アート作品の写真を見て、それをペン画やパステル画、素描タッチ画に写していただくことは可能でしょうか?」という木場。技術的には、美大出の千住にはそんなことは朝飯前だ。だがこの世界はいろいろややこしいこともある。

 千住は絢音の顔をチラリと見てから、

「彼女が自分の作品の二次創作を承諾したものであれば、そして僕でよければ……」とまで言いかけたところで、既に木場は立ち上がって、千住の手を取り「ありがとうございます」と嬉しそうだ。

「いいわよね」と木場。絢音を見る。

「まあ、彼さえ良ければ」と自分はノータッチで、お任せモードだ。

「この人、自分はフード専門で紙媒体には自信がない、の一点張りで、引き受けてくれないんですよ。彼氏なら彼女の作品のイメージ大丈夫ですもんね」

 そう言って再び着席する木場。

「木場さん、私たちそういう関係では」と焦る絢音。

 木場は笑いながら「はいはい」と諭すように、絢音を座らせると、持ってきたクリアファイルから契約書やギャラの振り込み関係書類を取り出した。

「いま制作中の旅行ガイドの叢書があるんだけど、そこでメインにこの作品は使わせていただきます。弊社は書籍部門も持っているのでそっちの方面の融通も利きますよ。以後長くおつきあいの程よろしくお願いします」とお辞儀の木場に、「こちらこそ」と返す千住。


 二人は帰りのエレベーターの中で、安堵の胸中にいた。

「良かったねえ。それこそあのカット原稿、不死鳥フェニックスの様に蘇って、行き場を得た」

「これも赤井さんのおかげだよ。ありがとう」と千住。


 そう言って、商談も終わり帰路に就く二人。いや、彼女の言うデートの時間に移行する。

「千住君、ここに寄りたい」と絢音。

 新橋側に近い銀座。ライオンを過ぎ、ヤマハを過ぎた交差点の向かい側、『拍賓館はくひんかん』と書かれたおもちゃ屋さんを指さして、絢音は、

「ちょっとあのおもちゃ屋さんに寄って良いかな?」と笑う。

「いいけど、なんか買い物?」

「うん、私の文章の師匠に贈り物でね。ちょっと『ゴッドフェニックス』のプラモデルを」と笑った。


       了

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