地獄の執行猶予

マスク3枚重ね

執行猶予

「お願い…もう出てって!」


そうやって声を荒らげて、輝夫(てるお)を押すが男の力には敵わない。幾ら押そうが動く気配がない。


「おいおい。怒んなよ、夏子(なつこ)。俺が悪かったって…」


そうやってへらへらした顔の輝夫は夏子の怒りを抑えようとする。いつものやり方だ。夏子がどんなに怒ろうが殴ろうが彼はいつもこの顔で誤魔化す。そんな輝夫に対して夏子は更なる怒りが湧いてくる。


「何でそんな顔ができるの!?私のお金だったんだよ!?」


この男は夏子が貯金していたお金でパチンコに行ってしまった。しかも、明らかにパチンコ以外にも使っている。たった一日やそこらで使える金額ではなかったのだ。


「パチンコで使ったお金以外はどうしたのよっ!?」


「先輩に借りてたお金を返したんだよ…夏子に悪いからパチンコで勝って返そうと思ったんだけど、負けちゃった…ごめんね」


夏子は輝夫の頬を張る。輝夫は少しよろめき自分の頬を抑える。


「痛って…痛いよ夏子。暴力は最低だよ?」


「最低なのはあんたよ!あのお金で家賃と光熱費を払うのよ!どうやってこれから生活するの!?」


更にヒートアップする夏子は輝夫の肩を思い切り揺する。


「だから悪かったって…分からなかったんだよ…」


「分からないはずないでしょっ!人の通帳とカード持ち出して下ろしてんだから!」


輝夫は本当に分からなかったのだ。いや、分からなかったというより、何も考えずに使ってしまったと言う方が正しいだろう。輝夫は困る。このままでは本当に追い出されてしまう。


「俺が全部悪かったって、何とかするから」


「仕事もしてない人がどうするっていうのよ!」


今だに輝夫の肩を揺らしながら怒る夏子の肩を抱き寄せ、抱きしめる。そして驚く夏子の唇に無理やり唇を押し付ける。それから輝夫は夏子の耳元で囁く。


「俺の責任だ…お金は何とかする。宛があるんだ…もう夏子に迷惑はかけないよ」


それからまた夏子の身体を抱きしめる。彼女は怒りの形相から売って代わり、今度は泣き出してしまう。


「う…本当に…どうにかしてよ…!うう…私達の生活費だったんだから…」


「大丈夫だ。今までもどうにかなってきただろ?俺が夏子を守るから」


「あんたが…それを言うな…!う…今まで…ずっと…私が養ってきたんじゃない…!」


アハハと輝夫は夏子に笑顔を見せる。


「本当にその通りだ。ごめんね…」


「私も…うっ…叩いて…ごめん…ね」


「いいんだよ…」と言いながら夏子の唇にまた唇を重ねる。今度は先程よりも深く。そして、湿ったキスをした。



数時間が立ち、隣で静かに寝息を立てている夏子を輝夫は見つめながら考える。宛があるとは言ったが正直、そんな宛がある訳が無い。働いて返すなどごめんだし、キャッシングはブラックリストに載っていて借りられない。さて困ったとため息を吐く。夏子を起こさないようにベッドから起き上がると、脱ぎ捨ててあるズボンのポケットから、夏子のお金で買ったタバコを取り出しジッポライターで火をつける。


静かに紫煙を吐き出しジッポライターを見つめる。これは輝夫の誕生日に夏子からプレゼントしてもらった物だ。これを売れば少しは金になるだろうかと考える。いや、恐らく大した金にはならないだろうと思う。が、しかし輝夫は名案を閃く。


次の日、少しやつれた夏子が仕事に行くのを見送った後に夏子のタンスを開ける。前に誕生日で送ったブランドのバックやアクセサリーの類を取る。


「これだけじゃ足りないよな…後は悪いけど、夏子に払ってもらうか…」


プレゼントした物以外の夏子の持ち物も一緒に取り出し、質屋に持って行く。

輝夫のプレゼントした物は大した額にはならなかったが、夏子のブランド物は良い値が着いた。これで何とかお金を返せそうだと輝夫は満足する。意気揚々と帰宅途中でパチンコ屋が目に入る。


「せっかくなら夏子に美味い飯屋にでも連れてってやりたいな…」


そのまま輝夫はフラフラとパチンコ屋の中へと吸い込まれて行く。



輝夫が家に帰る頃には辺りは暗くなり、近所の家々には明かりが灯り始めている。輝夫の足取りは重い。

夏子も帰ってきているだろう。夏子から渡されている合鍵でアパートの扉を開ける。


「ただいま…」


輝夫が帰宅を知らせる為に声を上げるが返事はなく、部屋の中も真っ暗のままだ。夏子はまだ帰ってきていないのだろうか。

輝夫は電気のスイッチを手探りで押すと、照明が何度か点滅した後に部屋の中が明るくなる。低いテーブルの前に夏子はこちらに背を向けたまま座っている。


「何だ。夏子、帰ってきてたのか。明かりも付けないでどうしたんだ?」


輝夫は夏子に向かい合うように胡座をかく。夏子の長い髪は頬に張り付き、目は真っ赤に充血し項垂れている。泣いていたのだろう。


「夏子、泣いてたのか?」


「あなた…私の持ち物どうしたの…?」


輝夫は少し顔を引き攣らせた後にすぐにいつものヘラヘラしたような笑顔を見せる。


「売ってきたよ。俺がプレゼントした物だし、問題ないだろ…?」


「あなたがプレゼントしてくれた物は…私の物でしょ…?それに…それ以外は?」


「あ…他は…足りないから…借りたよ…」


夏子は無言で充血した目をこちらに向ける。今まで見せた事のないような生気を感じさせないような顔をしている。輝夫はたじろぐ。


「後で返すから別に良いだろ…?」


「どうやって返すの…?」


輝夫は黙る。返す宛などないのだから。無い頭を回すが何も浮かばない。夏子が口を開く。


「それで…売ったお金はどうしたの…?」


輝夫は1番聞かれたくないことを聞かれ、目を逸らす。彼女の無言の圧に耐えられずに頭を下げる。


「ごめん…!夏子に美味いもの食わせてやりたくて…その…パチンコで…」


「パチンコで…?」


「全部スっちゃった…」


夏子はまた目線をテーブル下へと向ける。輝夫は頭を上げ、いつものヘラヘラ顔で夏子に近寄る。


「本当にごめん…俺が全部悪いんだ。だから…捨てないでくれ…」


すると夏子は下を向いたまま笑顔になる。だが目は一切笑ってはいない。


「そんな事しないよ…輝夫は私の物だもん…」


その言葉で輝夫はいつもの様に夏子を包み込む様に抱きしめる。すると下から光を跳ね返す何かが輝夫の胸へと当たる。それは熱を持ち、どくどくと脈を打つような感覚がする。輝夫が胸に目を向けると包丁が胸に深くくい込んでいる。間からは止めどなく真っ赤な血が溢れ出している。


「うわぁぁ!夏子!何するだっ!ごふっ…」


大きな声を出したからか輝夫は口から血を吐き出してしまう。


「もう疲れたわ…輝夫…でもね。貴方を愛しているの…だから、貴方を殺して私も死ぬわ!」


夏子はゆっくりと包丁を引き抜くと立ち上がる。輝夫は真っ赤に染まる胸を手で抑えるが、ドッドッと脈打つ度にいき良いよく血は吹き出している。


「愛してるわ…輝夫…愛してる…」


夏子が包丁を頭上に構え、涙を流し口元は歪み口角が上がる。それは悪鬼の形相、歪んだ愛。輝夫が彼女をこの様に変えてしまった。輝夫は心の底から後悔する。自分の怠惰が招いた代償だ。だが死にたくは無い。ゆっくりと後ろへと後ずさる。


「なづご…ごめ…ん…俺が…わるがっだ…」


輝夫が喋る度に口からは血が溢れる。夏子は包丁を頭上に上げたままゆっくりと近寄る。


「ごめんね。苦しませるつもりは無いんだけど、初めてだから…寂しくはないからね。直ぐに私も行くから…」


夏子は輝夫に馬乗りになる。そして胸へと包丁を振り下ろす。


「ぐふっ…いだい…いだいよ…」


それから何度も包丁を引き抜いては突き刺すを夏子は繰り返す。


「なかっなかっ!…死なないっなっ!」


夏子の歪んだ笑顔と光る包丁と真っ赤に飛び散る血がゆっくりと狭まる視界に焼き付く。視界が完全に暗転し輝夫は死を迎える。



どれくらい立っただろうか。最後の光景が目に焼き付いて離れない。輝夫は死んだ。確かに死んだ。だが意識はある。真っ暗で何も見えない。ここは何処なのだろうか。


「誰かいるか…?」


輝夫は声を出してみるが何事もなく声が出る。胸に手を当ててみるが胸に空いた穴は無い。安堵の息が漏れてしまう。


「ここは…何処なんだろう?やっぱり死後の世界ってやつなのか?」


「その通りです」


突然の背後からの声で驚き振り返る。後ろには黒い着物を着た、黒い髪のおかっぱ頭の女が居た。


「君は…?」


「私は鬼でございます」


そのおかっぱ頭の額には短い角が2本生えている。恐らくその通りなのだろう。


「おや、以外に冷静なんですね…珍しい」


その鬼は袖で口元を隠しコロコロと笑う。


「いや、冷静では無いけど…それより夏子は?俺を殺した後に自殺するみたいな事言ってたけど…」


鬼は今度は目を見開き驚く。


「貴方を惨たらしく殺した女の事を気になさるのですね。本当に珍しい…」


「夏子にちゃんと謝りたいんだ…殺されるのは正直、痛かったけど夏子はいい子なんだ。俺が馬鹿だからいつも怒らせちゃう…」


鬼は目を細め、輝夫を観察する様につま先から頭の先まで眺める。そして口を開く。


「彼女は自分の首を切って自殺をしました。今、彼女は地獄に居ますよ」


「何で!?夏子は地獄に行くような娘じゃないぞ!」


輝夫は憤慨する様に声を荒らげるが鬼は表情を全く変えずに続ける。


「何を言っておられるのですか?愛する人を殺し、自分をも殺す。これはとても罪深い行為です。地獄の中の地獄、無限地獄に彼女は落ちました。この世界が滅びるその時まで彼女は無限の地獄を味わう事でしょう」


輝夫は鬼の言っている意味がよく分からないがそれでは夏子に謝れないではないかと考える。


「夏子に会いたいんだけど?」


鬼はじろりと輝夫を睨み、ため息を吐く。


「貴方、さてはとんでもないくらいに馬鹿ですね…」


「夏子に言われるなら許せるけど、お前には言われたくない!」


鬼はまたため息を吐き、姿勢を正し話始める。


「貴方が夏子さんに会うには方法は1つしかありません。貴方が彼女のかわりに無限の地獄に落ちて下さい」


「わかった」


輝夫は何も考えずに頷く。


「即答ですか…では最後に今、彼女が受けている無限地獄での光景を見せます。それを見ても貴方は同じ事が言えるでしょうか?」


鬼は不敵な笑みを浮かべ真っ暗な空間に手を差し入れ引き抜く。するとその空間に穴が空き、光が溢れ出す。穴は少しづつ広がりとんでもない熱風が溢れ出す。目を開けているのも困難な程の灼熱が辺りに溢れ出す。輝夫の身体を焼いていく。


「あつい!あつい!辞めてくれっ!」


「ちゃんと見なさい。今、彼女はあそこで焼かれています」


鬼が指を指した方には夏子らしき人が地獄の業火で焼かれている。身体は真っ黒に焼け爛れ、目がある所は真っ黒に窪んでいる。声も上げられないようだが、身体は苦しむ様にぐにゃぐにゃと暴れている。


「辞めてくれっ!夏子は…何も悪くないんだ!悪いのは全部俺なんだっ!俺が馬鹿だから…夏子を傷つけたんだっ!俺が彼女の代わりになるから…許してくれ…頼むよ!」


輝夫は自分も溢れ出る業火に焼かれながら、夏子が居る方へと這って行き手を伸ばす。鬼はそれを見ると「おー」と声を上げ、腕を振る。すると穴は掻き消え、業火も消える。


「いやはや…貴方を少し誤解していたようです。貴方の怠惰っぷりはまさに外道のそれ…地獄に落ちるべき人間です。しかし…彼女を思う気持ちだけは本物だった様ですね」


「頼む…俺はどうなってもいいから…夏子をあそこから出してあげてくれ…」


鬼は静かに笑い、輝夫の肩をポンポンと叩く。


「先程の焼かれていた者は全くの別人です。夏子さんはまだ生きていますよ」


鬼が向いた先には夏子が居る。輝夫の真っ赤に染まった身体に縋り付き泣いている。


「貴方も馬鹿ですが彼女も相当な馬鹿ですね…泣くくらいなら殺すんじゃないって感じです。しかし、貴方の覚悟が本物だった以上、助けない訳にはいかないのが地獄のルール…」


輝夫の頬に流れる涙が真っ暗な床に落ちると、真っ白い穴が空く。輝夫はゆっくりと落ちていく。


「次、同じ事が起こったら2人とも確実に地獄に落ちますからね?これは執行猶予ってやつです。彼女を大切に…」


輝夫が現世へと帰り鬼が1人になる。先程の無限地獄で焼かれる男を思い出す。


「貴方も今の男みたいに逃げずに立ち向かって入れば…私も…」


鬼は静かに涙を流す。



輝夫は気が付く。夏子のタンスに手を掛けている。時計を見るとまだ朝だ。タンスを開けると売ってしまった物が入っている。時が巻き戻ったと確信する。

よく見ると分かる。夏子のブランド品よりも輝夫がプレゼントした物の方が大切にしまわれている。こんな事にも気が付かずにいた自分が情けなくなる。タンスを静かに閉め呟く。


「ハローワークにでも行くか…」


輝夫はアパートを出てハローワークへと向かう。また地獄に堕ちないように…夏子が幸せになれる様に…


おわり

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