第2章 バルコニーの踊り

 カレナードはミナス・サレ城市の人の動きを観察し、決まった時刻にバルコニーで踊った。服は奥宮の宴席に出た時のドレスだったので当然人目を引いた。本城のバルコニーや空中庭園や窓に見物人が集まり、彼女は踊り終えると深々とお辞儀をしてみせた。

 1週間後にはジュノア・アガンの招待を受けた。

 シドが風呂を用意し、ラーラは風呂場で見張っていた。


「髪もしっかり洗ってよ。変な匂いがしたらシーラ家の責任よ!」

「ラーラさん、お友達になりませんか」

「イヤよ。あなたが踊ると学舎の皆が私を見るんだ。恥ずかしい! それとジュノアさまの御前でガツガツ食べないで。シーラ家は食費をちょろまかしてると思われる!」

「お友達になってくれたら卑しい真似はしません。ところで、この石鹸は良いですね。原料は何です?」


ラーラは答えの代わりに薄めた酢の小瓶を浴槽に向かって転がした。カレナードは半身を乗り出して瓶を拾った。生死を分けたカレナードの古傷が、体のあちこちで赤く染まっていた。ラーラは目を背けた。


 シドはカレナードのカルテに書き込んでいた。

「あんたの体はこちらのコードが通過した跡がある」

「7年前、グウィネスが私の人生を変えました。彼女は私がカレワランの子だからそうしたと。母はここで何をしていたのです」

「それはグウィネス本人に訊くといい。ラーラの前でその話をしたくないんだ」


 日中の奥宮は明るい光に満ちていた。本城の小天蓋を補修する作業班が複雑なコードを唱え、有効化する度に小さな光が閃いた。本城は活気があったが、アガン家の宮は落着いた佇まいだ。


 ジュノアは塩湖を臨む部屋で待っていた。温かみのある調度が並んでいた。そこは4名の女官が控えているだけだった。ジュノアは椅子に座したまま言った。

「芳翠区の最上階で踊りを披露していると聞きました。あの高さで舞うとは度胸がありますね。私も見たいものです」

カレナードは夏至祭の踊り比べの第3曲を踊った。足の銀鎖がサラサラ鳴った。


「あなたは音楽なしで、どうやって踊るのです」

「心に流れる音に身をゆだねています」


 ジュノアは女官を近くに呼び、銀貨を与えた。

「これで遊んできなさい。夕方まで暇を出します」


3人は喜んだが、残る1人はどうしても受取ろうとしない。

「グウィネスに頼まれたのでしょ? 捕虜と私が何を語るか、彼女は知りたいはずだわ」

その女官は床に突っ伏した。

「お許しを! 弟が前線へ送られてしまいます」


 ジュノアはカレナードに向き直った。

「グウィネスの遣り口はこうなのよ。私に仕える者をスパイにしてしまう」

カレナードは女官に銀貨を握らせた。

「心配しないで。グウィネス・ロゥに持っていく報告は用意できるから。そうですよね、ジュノアさま」

領国の女主人は目だけで頷いた。

「さすがガーランド女王の腹心。では、昼餐を始めましょう」


 その夜、グウィネスは「2人の話は玄街とガーランドの思想的対立に終始し、打ち解ける気配はなかった」と、脅した女官から報告を受けた。

「それで、ジュノア殿は今後もあの女を召すおつもりか」

「いえ、何も。ほのめかすことさえございませんでした」


 女官が去ったあと、グウィネスは執政官のタジ・マレンゴを振り返った。

「ジュノアがあの虜囚に相当の関心があるのは間違いない。裏切り者の娘を自分の陣営に加えれば、領国民の支持が上がるとでもいうのか。

 宴の夜、わざわざマントを与えて塩湖に放り出したのはなぜだ。領国主は異を唱えなかったな?」


マレンゴは精悍な口元をへの字に曲げた。

「アガン殿は娘を副領国主に据えて、好き放題が過ぎますな。遅かれ早かれ老害をまき散らすでしょう。ミナス・サレを軍事基地として建設するはずが、玄街の難民収容都市にしてしまった」

「それを言うな。工廠や兵站部は人手が必要だ。難民だった者はすでに市民となり、次の世代も育った。問題は、それらがジュノアのようにアナザーアメリカでの迫害の経験がないことだ」


「ジュノア殿は情に流される女でありません。父親以上に冷徹な判断を下すことさえありますからな」

「だから気になるのだ。なぜマントを羽織らせた」

「万が一、塩湖の毒に当たれば人質を失うことになります。カレナード・レブラントは生かしておかねば」

「冷宮区に人質のガーランド・ヴィザーツがいるのにか?」

「彼女は特別だとジュノア殿も承知の上でしょう。あなたはまだレブラントに個人的な恨みがあるのですか」


 グウィネスが突然半眼になった。マレンゴは踏んだ地雷が爆発する前に去った。本宮の西半分を占める玄街軍事区を出ると、大きく息を継いだ。

「首領殿の淵は相変わらず深すぎる。シーラ医師も苦労していることだろう」


 実のところ、ジュノアとカレナードは机の下で密かに握手したあと、敵同士の仮面を付けて話し合った。主な議題は「数の問題」だった。

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