第2章 アガン家とシド・シーラ医師

グウィネスは冷ややかに言った。

「マリラの寝子よ、ミナス・サレの第一夜だ」


 カレナードはすかさずジュノアに呼びかけた。

「この度のご生誕をお祝い申し上げます。お子さまのお顔を拝見しても?」

 ジュノアは黙って、生後半年になる赤ん坊をカレナードに向けた。母の腕の中に生の輝きがあった。それはカレナードに微笑みをもたらした。赤ん坊は小さな声を上げた。

「まーま!」


 ジュノアは赤子を侍女に預け、羽織っていた赤い打掛けをカレナードに着せた。

「私の坊やはカレワランの子に会って、機嫌が良いようです」

ジュノアの指が肩に触れ、テッサ・ララークノと同じ紫色の眼が「耐えなさい」と告げていた。


 その晩、カレナードは塩湖の畔に並ぶ檻の1つで過ごした。

「ガーランドから吊されたことを思えば、遙かに楽だ」

 ジュノアの打掛けは暖かかった。軽い素材で風を通さず、体熱を逃がさない。その上、内ポケットに宴席の桃菓子と果実酒の小瓶が入っていた。


「マリラ、心配しないで下さい。ジュノア・アガンは賢い方です。私をあの場から逃がし、死なない程度の試練を与えた。クラカーナ殿と同等の権力をお持ちで、私に伝えたいことがあるようです」


 夜明けに中年の男が迎えに来た。カレナードは麻酔の副作用で熟睡していた。

「おいおい、肝が据わった奴だな。私はシド・シーラ、城付きの医師だ。あんたの身柄引受人を拝命した」

「どういうことです」

「本城の隣の芳翆ホウスイ城にある我が家の一室があんたの収監場所だ。とりあえず歩きながら話そうか。右の足首を出してくれ」


 カレナードがドレスの裾を上げると、医師は細い鎖を巻いた。

「ほい、次は左」

鎖が両足を繋ぐと、医師はコードを唱えた。

「ガーランドの解除コードで外せるかも知れん、試してみるか」

「いえ、効かないでしょうし、首を絞めたくない」

「賢明だ。カレワランの血を引くだけはある」

「母をご存じなので?」

「詳しい話は朝飯でしよう。今が一番風が穏やかなんだ。さあ、行くぞ」


 鎖は歩く邪魔をしなかったが、シドに回し蹴りを喰らわせるには短かった。後ろから医師は道を示した。

「城市の人間はお前の首を見て、お前が何者か分かる。逃げる気を起こして厄介かけないでくれ」

「逃げる気はありません。せっかくのミナス・サレですから、ここを良く知りたい。話合いたいのです」

「何を企んでいる、あんたは囚人だぞ」

「囚人を医師の家に預ける命令を出したのは、アガン家の父か娘でしょう」

「よく分かったな、娘の方だ」


 カレナードは振り返り、シドの顔を見た。

「どうした、早く行け」

「いえ、ガーランドにあなたに良く似た医師がいます」

「他人の空似だ。私はここで最初に生まれた子供の1人だ」

カレナードはかまわず続けた。

「彼の名はウマル・バハ、大山嶺東麓出身で、あなたと同じ色の肌、そして玄街コード研究者です」

「私の先祖は流れ者だ。それ以上は知らん」


 ミナス・サレ城に繋がる水道橋の下を抜け、2人は芳翠城のエレベーターに乗った。そこは医療区で、夜間勤務と日中勤務者の交代時刻を迎えて慌ただしかった。出産間近の妊婦たちが山側を望む長い回廊に出て、体操をしていた。


「シドさん、玄街の誕生呪を教えてくれませんか」

「企み事はよせ。ガーランド・ヴィザーツには使いこなせんよ」


 芳翆城5階のとあるベランダまで行き、シドは小さな扉を開けた。

「この先が収監場所だ。独りで行ってくれ」


 カレナードは扉をくぐった。少々荒れた回廊があった。片側は固い壁で、片側はベランダになっていた。そこは芳翠城で最も高い場所で、地上から50メートルあった。眺望は素晴らしいが、逃亡には向いてない。


 代わりにミナス・サレ城の全貌がよく見て取れた。

 大山嶺から引かれた水道橋は芳翠区手前で分岐し、領国主の奥の宮方面と塩湖に近い建築群に向かっていた。奥の宮をいただくミナス・サレ本城は白く輝き、カレナードは昨夜と違う趣きに見入った。階段状の城に緑が息吹き、本城、芳翠城や他の小城の間に小川と木立が縫うように走り、幾つか池もあった。


「まるでガーランドの庭園のようだ……」

 カレナードはベランダの手すりから身を乗り出すように、遙かな下の光景を眺めた。

「危ないぞ。このベランダは10年間手入れしてないんだ」

 シドがベランダの行き止まりで手を振っていた。

 彼は扉に鍵をかけず、そのまま奥の部屋に案内した。窓から外がよく見えた。部屋は微かに女の香りがした。小さめのベッドのカバーは小花模様、机と椅子の下に赤い絨毯、木の棚に繊細な彫刻があった。


 部屋はシーラ家の台所と繋がっていたが、木格子で仕切られていた。シドは格子戸の向こうに行き、鍵をかけた。


「ベランダはいつでも運動に行くといい。かわやは棚の横にある。毎日洗面器2杯の湯を用意するから、それで体と下着を洗え。上からの指示がある日には湯船を使ってもらう。あとで着替えを出す。ラーラ、朝餉にしよう」

 ラーラと呼ばれた少女が盆を運んできた。歳はテッサ・ララークノより下だ。肌と髪はシドと同じ色で、目は青く澄んでいた。

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