第2章 玄街の都 ミナス・サレ

 飛行艇は谷に入った。暴風は一定の距離を置いて飛行艇を包んだ。エンジンは快調だった。カレナードはハッとした。

「この空間、玄街の構築コードで作られている?!」

透明な巨大トンネルが峡谷を貫き、飛行艇はその中を疾駆していた。

「玄街はこれほどのものを作っていたとは……参りました」

女医は「当然よ」といわんばかりの顔で振り返った。


 トンネルを脱けた先はまだ陽の光が残っていた。大山嶺に広大な盆地と湖、そして城市があった。

 サージウォールが湖の向こうに現れた。嵐の壁はそこでも左に傾いて湧き起こっていたが、あの暴風と砂埃がほとんど届いて来ない。

 カレナードは見た。巨大で透明な天蓋が山襞にいくつも根を下ろし、大都市を守っているさまを。

 女医は誇らしく立ち上がった。

「ここは玄街の都市国家、ミナス・サレ。アナザーアメリカ法に属さない独立自治領国です。歴史は50年と浅うございますが、ガーランドの調停船がなくとも、独自の立法が秩序を成しておりましてよ」


 飛行艇は旋回した。夕陽が最後の光を街々に投げた。

 七つの天蓋がミナス・サレ市西方の塩湖周辺からそびえ立っていた。雄大なカーブを描き、天に届く勢いで大山嶺に沿って並んでいる。一番北の天蓋の下、ミナス・サレ城は極彩色の輝く尖塔で飾られ、段状の壁が無数のアーチに支えられて五層に重なっていた。

 カレナードはキラキラ輝く緑の帯が建築物のすべてに付いているのに気づいた。

「まるで地上にガーランドがいくつも並んでいるようだ……」

「そうでしょうとも。ガーランドと同じように、光る帯は我々の糧ですから。幸い大山嶺の豊かな湧き水に助けられ、天蓋に守られた山肌でも春小麦が熟れております」


 それらはすぐに夕闇に沈み、燈火が城に向かって灯された。飛行艇は誘導灯に導かれて城の真下で止まった。

 グウィネスはカレナードの首に細いワイヤーを付けた。銀色の小さな直方体がワイヤーについていた。

「カレワランの子よ、気をつけるがいい。お前がガーランドのコードを口にする度、その首飾りは1ミリ締まるのだ」

グウィネスは黒い手袋を脱ぎ、蝋のような指をカレナードの首に当てた。ねっとりと冷たかった。

「お前の首にワイヤーが食い込むまでコード50回ほどの余裕はある。が、せいぜい命は大事にな。

 さて、領国主のクラカーナ殿に引き合わせよう。気難しい方であられる。ガーランド女王の愛人と聞けば、お前、ただで済まんだろうよ」


 塩の香りが吹き寄せる滑走路に、グウィネスの黒衣が揺らめいて舞った。

 城は領国主の孫の誕生を祝う宴で煌々と光っていた。反りかえった金の飾りが屋根から空中に突出し、夜空に妖しく輝いた。


 カレナードは踊り子用のドレスを着せられ、髪を結われた。グウィネスは目を合わさずに言った。

「カレワランに生写しのその顔、玄街の民は何と言うかのぅ」


 広大な城市の奥の宮に登る道筋で、あるいはエレベーターの前で、好奇の目が向けられた。宴席の間に入るや、歌舞音曲の中で人々は「カレワランか」とつぶやいた。

 踊り子たちはサッと道をあけた。

 衛士に挟まれたカレナードは正面の壇上に1人の老人を認めた。クラカーナ・アガンは鷲のように鋭い目と大きな耳を持っていた。痩身で肩幅は広く、深いワインレッドの胴衣に淡い灰色のマントを羽織っていた。

隣に孫の母である娘がゆったり座している。彼女の腕に赤子が抱かれていた。


 ミナス・サレの主は立ち上がった。背はマリラと同じくらいあった。全くしわがれてない声が腹から出てきた。

「グウィネス殿、ミセンキッタの小娘は逃げたか」

「申し訳ありませぬ、クラカーナ殿の戦略から外れてしまいました。代わりにガーランド女王の特別後見人を手に入れましたぞ」


 カレナードはひざまずいた。

「マリラ・ヴォー独立遊撃隊所属、カレナード・レブラントでございます。父はユーゴ・レブラント、母は」

クラカーナが言葉を継いだ。

「カレワラン・マルゥであろう。20数年前、あの女は玄街首領の直属でありながら我々を裏切った。その息子は報いを受けたが、ガーランド女王の物言う花となっておる。しぶとい血筋だ」


 彼は壇を降り、しげしげとカレナードを見た。眼の奥で憎悪の感情と政治家としての理性がぶつかっていた。

「儂がこの地に玄街の都を造り、領国主を勤める理由が分かるか。カレワランの子よ」

「困難な事業を完遂したのは、ガーランド女王への恨みですか」

「アナザーアメリカに行き場のない者たちのために、ガーランドの調停により全てを失った者たちのために、理不尽な領国法よりミナス・サレ法典を受け入れた者たちのために、玄街は血の涙を流し、ここを築いた。

 たかだか50年の短さと侮るでないぞ、マリラの懐刀よ」

「侮るなど誰がいたしましょう。私はアガン殿と話がしたいのです」

「ふん。話の最中にその手脚が儂を殺さんとは限らぬ」


 領国主の娘が近づいた。

「父上、宴席が静まりかえっております。物騒なお話はやめて皆で祝いましょう」

「ジュノア、来るな」

 若い娘は落ち着いた声で提案した。

「この者はミナス・サレを体で知っていただくのが先かと。天蓋があるとはいえ、嵐の毒は完全に防ぎきれません。あなたの娘婿がこの子の誕生を見た矢先に命を落とした厳しさを、カレナード殿はまだ知らない」

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