第1章 エレン・エルミヤのことば
カレナードが訊いた「あなたはどちらに賭けていたのですか?」
「実は蹴る方に。もう無効ですね。隊長の葬式が終わったら精算しないと」
「惜しいところだった、ジェード副隊長」
「では、あなたは断るつもりで」
「迷っていたのです。ミテキは子供を欲しがっていた」
マヤルカが急に体をカレナードにぴったり寄せた。
「マヤ、歩きにくいよ」
「カレナードったらマリラさまに内緒にしてたの? あきれちゃうわ」
「いや、マリラさまも御存知のことだ」
「あきれちゃう!」
ジェードはカレナードの腕を担ぎ直した。
「おふたりは随分気心が通じていますね」
「そうよ、カレナードと私はガーランドに乗った初めてのアナザーアメリカンですもの」
ジェードは青い目を何度かしばたいた。
「時代ですね。ヴィザーツ屋敷の技術班と私たちの連携はうまくいってます。隊長はあなたのことを彼らの前で話していました。とても嬉しそうに……」
マヤルカは青年の顔がほころぶのをじっと見た。
夕刻に行われたミテキの葬儀は簡素で、エルミヤ家から姉のエレンだけが来ていた。テッサはカレナードを伴い参列した。
後ろでマヤルカが目を光らせていた。ジェードが「またお会いしましたね」と挨拶に来た。
「後見人殿は少なくともエルミヤ隊長を好いていらしたと分かりました」
マヤルカは小さくうなずいた。
「カレナードがまた倒れないよう、私は付いているの。もしもの時は手伝って下さる?」
「お任せ下さい、マヤルカさん」
夜半に当直の誰かがピアノを弾いた。2階の小ホールのピアノは執務時間外は開放されていた。滑らかな夜想曲の調べがテネ城に流れた。その時、テッサは初めてカレナードの号泣を聴いた。領国主は後見人をそっとしておいた。
数日してミテキの母親とエレンがカレナードを訪ねた。母の口から思いも寄らない言葉が飛び出した。
「あなたは息子の忘れ形見を宿していませんか。ミテキの子を! あなたは、あなたは!」
エルミヤ夫人の古風に結い上げた白髪、ミテキと同じ黒い瞳、差し出した両手が震えている。夫に続き、息子まで失った老女の絶望が残った望みにすがっていた。
エレン・エルミヤが母を制した。
「母上、何てことを! 後見人さま、お許しください。母は正気を失っております」
それでもエルミヤ夫人はカレナードのスカートを掴んで離さなかった。老女の狂態はカレナードを混乱させていた。
『この人は私を息子が情愛を傾けた女と認めているのか。ただミテキの血を引いた孫を欲しているだけなのか。私が独立遊撃隊の装甲服を着ていても、同じことを言うだろうか。
私がテネ城で何を担っているか、御存知なのか。あるいは全てを知っていて、忘れ形見をと仰るのか』
彼女の男の部分が女の身の理不尽にひどく動揺し、ミテキの死を静かに悼む気持ちに代わり、小さな怒りが生まれた。だが、言葉が出なかった。拳を握りしめ、目を固く閉じることでなんとか取乱さずにいた。
エレンは母親の横にひざまずいた。
「母上、お止め下さい。レブラント嬢は領国主殿の特別後見人です。このような無礼は、ララークノ家とガーランド女王の双方に無礼でございます」
彼女は母の手を取り、掴んでいるスカートからそっと離した。
「驚かれたことでしょう、後見人さま。母は悲しみのあまり、分別を無くしております。どうかミテキの魂に免じてお許し下さい。弟が想った方なら、どうか寛いお心で母を許して下さい」
凜とした声だった。ミテキに似ていた。エレンの黒い髪、長い眉と引き締まった頬も、彼と同じだった。何より堂々とした態度がそっくりだ。この姉と弟はなんと似ているのだろう。
カレナードはもう一度ミテキに会えたような気がした。
エレン・エルミヤは諭していた。
「母上、ミセンキッタ領国家と治安を護る一族の恥となります。ミテキのためにも、しっかりと顔を上げていて下さいませ。レブラント嬢と共にミテキのために祈るのが先でございます」
そのことばはカレナードの怒りを消し、彼女も膝を折った。
「エルミヤ夫人、私のお腹に命があれば良かったのでしょう。でも、そうなりませんでした。共に祈って下さい。私はエルミヤの皆さまと一緒に祈りたい」
カレナードはマリラに私信を出した。
「最愛のマリラ。
私は亡きミテキ・エルミヤに奇妙な愛を抱きました。結婚で束縛しないと約束されても荷が重い一方、真摯に想われるのは心地よいものでした。もちろん結婚に応じることは不可能でした。たとえあなたが許してもです。私が結婚したいのはあなただからです。
今回のことで、私は言い寄られると弱い自分を発見しました。ガーランドにいれば、あなたの恋人である前提で誘われますが、地上は違いました。
マリラ、ミテキは私を欲し、私は一度だけ応えました。しかし、彼は爆死しました。今、とても複雑な気持ちです。でも、これを書き終えたら仕事に専念します。どうかご心配なさらぬよう願います」
読み終えたマリラは「情が厚すぎる」と唸った。
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