第1章 束の間の夫と妻

 ミテキの態度は変わらなかった。勤務の合間に顔を見せ、手紙を寄こし、散歩に誘い、友人と恋人の中間にいた。キリアン・レーは副都からテネ・新ヴィザーツ屋敷に配置されたのを大いに喜び、ミテキと同様のことをした。

「両手に花ですね、カレナード」テッサは冗談交じりに言った。

「お止め下さい、テッサ嬢。今はそれどころでは」

「このような時だからこそです。私に片方譲ってほしいくらいです」


「領国主こそ条件の良い殿方を選ぶ権利をお持ちでしょう?」

「そうですね。二心を抱かず、領国の未来を共に考え、外戚を抑え、見目麗しく、度量と胆力と分別があり、健康な御仁! ハードルは高いですよ」

 テッサはいたずらっぽく付け加えた。

「ヴィザーツの中にこれはという殿方はおりませぬか」

「そうなると、ミセンキッタ領国主はヴィザーツ法に縛られるやもしれません」


カレナードはハッとした。

「もしや想う方がいらっしゃるのですか」

「私の眼の前に」

カレナードは動けなかった。彼女はテッサの言葉を待った。

「あなたに残る男性の部分に。たぶん、あなたを頼りにした時から」

「そうでしたか……」

 テッサは冬の空を窓から見上げた。

「あなたは本当に不思議な人ですね、カレナード。男からも女からも慕われて。あなたへの想いはいつか手離すことになるでしょう。どこか遠くへ投げ出される運命です。それでいいと思っています。マリラ女王のあなたへのお気持ちが、今は少し分かる気がします」


 テッサ・ララークノはカレナードに近づき、手を取った。

「私は友人としてのあなたを手に入れたい。この災厄が終わって、あなたがガーランドに戻っても、友人でいて欲しい」

少女は一瞬にして大人の顔を見せた。カレナードは言った。

「髪型を変えませんか」

「ええ。頼みます」


 2月、ついに玄街の爆撃艇が飛来した。

 ヴィザーツ屋敷から迎撃の戦闘艇が発進し、テネ市民は北の廃坑避難所でピリピリと恐怖に耐えていた。玄街は新市街地区に数百個の時限式爆弾をばら撒いた。その日からテネは連日炙られるままになった。新市街は機能しなくなった。


 ミテキ・エルミヤは第一逓信保安警備隊長からテネ城市新市街区警備隊長に引き抜かれた。前任者は不運にも爆死したのだ。

 彼は辞令を受け取りに向かう途中、キリアン・レーと出くわした。

「キリアン殿、貴君はヴィザーツ屋敷の爆弾処理支援隊には加わらないのか」

「支援隊は凄腕の構築コード遣いばかりで、私の出る幕じゃないです」

「紋章人の守りは鉄壁だ。私も出る幕がない」

「それでいいじゃないですか。彼はマリラ女王と同じ道を行きます。あなたも私も置いてきぼりの目にあうでしょう」


「果たしてそうかな。彼女は無情な人ではない。訓練生の時の彼は無情な男でなかった。そうだろう、キリアン・レー」

「簡単に諦められないのは私も同じです。が、彼は根は優しい。そこにつけ込んで苦しめたくない」

「貴君も優しいのだな」

ミテキはキリアンに対し、兄貴風を吹かせた。ミテキの黒髪と黒い瞳が笑っていた。

「あなたが御無事で任務遂行されますよう、オンヴォーグを贈りたい。ミテキ・エルミヤ殿」

「私からも、御武運を。キリアン・レー」


 辞令交付を終えたミテキはカレナードの手に紙片を滑り込ませた。

『これが最後かもしれない。三の丸庭園のあずまやで待つ』

いつもと違う短い文だった。

 ミテキは待っていた。カレナードは近づくにつれて東屋の彼が遠ざかる錯覚を見た。彼が何を欲しているか知っていた。

「カレナード、一刻だけ私の妻になって欲しい。あなたの中の男に頼む。死を前にした男の願いだ、男同士なら分かるだろう」

そこまで言ってミテキは苦笑した。

「妙な頼み方だったな」

「男も女も同じです、ミテキ。私の心は決まっています。一刻を過ごすなら、いい場所を御存知ですよね」

「どうしたんです、いつもと違って抵抗しない」

「私は決めたら早いので」


 ミテキはそれまで見たことのない誠実さでカレナードの手を取った。

「行こう」

 2人は走った。それまでになかった心の繋がりが2人を突き動かした。ミテキは覚悟のために、カレナードは応えるために、最後になるかもしれない戯れの場所へと走った。行く先には光があった。その光の中には、数時間だけ夫と妻になった2人がいた。


 夕刻までにミテキは新市街の仕事場へ去った。

 カレナードは喜びと悲しみが交錯する夜を迎えた。不思議だった。彼女はマリラともキリアンとも誰とも異なる愛情を得てしまったと感じた。

 テッサはカレナードの微妙な変化を捕えた。紋章人はふとした折りに遠くに眼をやった。特に夕食を共にする時、窓の向こうの暗闇を見るともなしに見る顔は悲しい女のそれだった。

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