第1章 ムリヤック山羊の手袋
2人は流れる雲の下を歩いた。
「馬場でひとっ走りしないか、紋章人。領国主のお守はなくてもいい」
「テッサさまはしっかりやってます。私がガーランドに戻っても支障ないくらいに」
「それは勘弁してくれ、せっかくこうして」
カレナードははねつけた。
「いずれはあなたは地上に残り、私は女王のそばに」
ミテキはそれ以上言わさず、友人の手を引いて大通りを進み、小間物店に入った。
「頼んでたものは出来てるかい」
店の主人は恭しく小箱を出した。手袋が入っていた。上等な皮の内側に絹と綿布が張られ、ぴたりとカレナードの手に馴染んだ。
「男物で、私より詰めたサイズにした。テネの冬はこれからが本番だ。受取ってくれ」
「受け取る理由がない」
「地上の友人から冬至祭の贈り物だ」
店の主人は穏やかに言った。
「ガーランドのお方、ミセンキッタ名産ムリヤック山羊皮です。必ずお役に立ちますよ」
馬場で基本の常歩をしながら、2人は話した。
「カレナード、アナザーアメリカンに玄街の情報は黙っているのか」
「御存知のはずだ。本拠地が分かれば発表する」
「何でそうケンカ腰になる」
「ときどき下心が見えてる」
ミテキは自分の馬で友人の行く先を塞いだ。馬は立ち止まった。
「手袋は男物だぞ。君を女扱いしたつもりはない」
「あなたに物を贈られるのは負担です。お返しを期待されているようで」
ミテキはカレナードの馬に軽く手を置いた。
「君の剣幕でこいつも少々落ち着かない。歩きながら話そう、私の正直な気持ちを」
馬場から続くテネ城外苑の草地に入った。時折りの陽射しに草が輝いた。
「紋章人殿、私はあなたとの間に子供が欲しい」
カレナードは今やミテキにとって自分は何なのか思い知り、黙って続きを聞いた。
「あなたは女王の大切な方だ。
カレナードは腹立たしかった。
「意地悪な言い方をすれば、私は子供を産む道具で、用が済んでも婚姻で繋いでおきたいと。エルミヤ家がヴィザーツの血が欲しいなら見当違いです。私は元々アナザーアメリカンです。それにあなたが子供を育てられると?」
ミテキは悠々と言った。
「予想通りの誤解をしてくれて嬉しい。
子供の養育は任せてくれ。私は8人の姉がいて、すぐ上の姉は私の代わりに家を継ぐ。エレン・エルミヤ。これまで手のかかる甥ッ子姪ッ子を何人育てたやら。未婚なのに肝っ玉母さん歴だけは長くてね。
もう一つ、私はヴィザーツの血ではなく、アナザーアメリカンから浮き船のヴィザーツになったあなたが欲しい。あなたを見た時、私は初めて自分の子を欲した。ただ、あなたの生き方を変えたくない。だから私はこの結婚は通い婚で行こうと考えた。どうか御一考を」
カレナードはまだ青い草地に目を落とした。
「あきれて怒る気が無くなった……」
「大事なことを忘れていた。私の父がそろそろ暖かな闇に戻るのです。少し前まで衝動に身を任せる人生だったが、安らぎを求める時が来た。あなたが必要だ、カレナード」
「素敵なミセンキッタの女性がそこらじゅうにいますよ。家族を守り夫に従順でしっかり者のテネの女性が」
「つまらない」
「はぁ?」
「あなただから、いいんだ」
2人は立ち止まっていた。馬たちは鼻を鳴らし、仕方なさそうに草の匂いを嗅いだ。
「わけが分からない、ミテキ」
「そんな途方に暮れた顔は初めて見たぞ、カレナード。なんなら今からエレン姉貴に会いに行こう」
「止めて下さい。いきなり求婚されてもホイホイと返事なんて!」
「冗談でないと分かってくれて嬉しい。あなたは責任感が強い人だ」
ミテキはひらりと馬に乗り、カレナードに手を差し伸べた。カレナードはその手を取った。その理由は彼女自身にも分からなかった。
冬至祭の飾り付けは例年通りだった。テッサの肝は据わっていた。
「領国府が怖気づいていてはいかん。テネ城市だけでなくミセンキッタ全土のためだ。マリラ女王もそれを望んでいるはずだ。カレナードはガーランドの冬至祭に戻るの?」
「冬至の前に一度。でも、当日はあなたの側に」
「マリラ女王にミテキの件を相談するのでしょう」
「はぁ」
「あなたが縁談を即座に断らなかったのは、少しなりとも興味がある証拠です。少々羨ましくもある」
「テッサさま、あなたは結婚に憧れているのですか」
「領国主の交配相手は常に条件付きです。現実は厳しいゆえ夢を見たい時もあります」
テッサは冬至祭用の衣装見本帳をめくり、薔薇色のチュールがふんだんに垂れたワンピースを指した。
「これはどう。花嫁にぴったりです」
「結婚はマリラとします」
「あなたは子供を産みたいの?」
「子をお腹に持つと戦列から離れることになります。後見役も難くなるかも。ミテキ殿には諦めていただきます」
「ふーん、おもしろくなりそうなのに」
「テッサ、私の事情をからかわないで下さい」
茶を準備中のニアがくすくす笑った。
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