第1章 ミテキ・エルミヤという男
「先日はまことに失礼した。改めて御詫びいたす、紋章人殿」
彼の目が冗談とも本気とも知れない光に満ちている。カレナードは防御線を張った。
「その件はお忘れ下さい。こちらも即座にお返ししたことですから」
「そう言わず。私はあなたの許しを得たい」
テッサがミテキを制した。
「エルミヤ、それ以上は控えなさい。相手はヴィザーツです、非礼は許しません」
カレナードが席を外すと、彼は少女領主にそっと耳打ちした。
「存じております。彼女が元は青年でオルシニバレのシェナンディ精密工業社員であったこと。そして今は女王の良い人であることも」
テッサの心に警報が鳴った。男女問題に関してこの男は信用できない。
「ガーランドとの外交に齟齬を生じさせてはなりません」
「女王のご機嫌を損ねてはならない。そうですね」
少女領主は厳かに言った。
「ミセンキッタの生命線はいまやガーランドとの共闘にかかっています」
カレナードは飛行艇の船尾室に行き、キリアンの言葉を反芻していた。
『玄街の攻撃はもっとひどくなる。アナザーアメリカは急激に戦火にさらされるだろう』
窓から西の彼方を探した。情報部は玄街本拠地が大山嶺にあるとほぼ断定した。ブルネスカ領国とミルタ連合領国の間の緩衝地帯からの報告がそれを裏付けたと、アンドラ部長が語ったらしい。あとは本拠地の特定だ。
「あのあたりはモン・デンべスがある」
彼女自身も偵察任務で幾度となく飛んだ。山嶺西側のサージ・ウォールから常に砂混じりの乱気流が吹き込む谷間。地上から奥地に入った調査隊はことごとく遭難しかけた。
「キリアンが遭難した時はひどかった。簡易医療パックと構築コードの訓練が効いて良かった」
構築型コードは兵站部とコード開発セクションが30年かけて作った新コードだ。シンプルで、大きな空間に対する効力が格段に広がった。運用は2年前からで今のところ事故はなく、訓練生も使いこなす義務が課された。
「標高3000メートル近くで使ったら、ウォールからの気流を防げるか?」
彼女は自分の考えに笑った。
「マリラさまは『そなたの癖がまた出た』と仰るだろう。難しいことを想像して一気にやれるつもりでいると」
ミテキが船尾の小部屋に入ってきた。
「いい眺めだ。考えごとですか、紋章人」
「邪魔をしないでいただきたい」
「5分もすればシートベルトサインが点きます。今のうちに空から我が領国を見ておきたい」
「ミセンキッタにも飛行機はあるでしょうに」
ミテキはカレナードの横に並び、共に西の空を見た。
「あちらに何があるのです」
「何も」
「嘘をつかないで、カレナード・レブラント。私が目に入るまで真剣な顔で西を睨んでいた。教えてくれませんか。それともヴィザーツお得意のはぐらかしをなさいますか」
「なぜ私に丁寧な物言いをなさる、エルミヤ殿」
「ミテキと呼んで欲しい、女王の良き人よ」
「お断りします、エルミヤ殿」
「先ほどテッサさまからテネ城市異動を拝命しました。またお会いしましょう」
ミテキが去ったあとに、ミセンキッタ男の気配が残った。カレナードはそれを踏みつけるようにしてシートベルトのある席に向かった。
飛行艇が着陸態勢を取る。旋回の遠心力がカレナードの体を通り抜けていく。彼女は一瞬だけ、彼となっていた。
ガーランドの最初の1年間、カレナード・レブラントは必死で男であろうとした。その感覚は航空部候補生として空を飛ぶ時に最も自然に発露した。男として生きた16年、彼の望みは地を蹴って空に舞うことだった。空に舞ったからこそ、マリラの腕に着地したのだった。
女の体になっても、カレナードの精神は飛翔を求めた。マリラと同じ未来に目を向ける一方で、マリラが手離した玄街との対話、そしてサージ・ウォールを越えることを望んでいた。それを無謀とは考えないない。
ふとピード・パスリを思い出した。カレナードが禁忌破りをした頃、彼は玄街コードのために身体の成長が止まっていた。が、7年間に見違えるほどの背丈になった。ひどい成長痛をフロリヤがよく撫でていたらしい。彼はのろけついでに言った。
「お前の玄街コードも10年経てば、俺みたく効力が消えるかもよ」
「ピード少尉の場合は玄街コードが劣化して影響力が消えたからです。私は不可逆なのです」
「なぜだよ、紋章人」
「私の体は玄街コードが残ってないのです。1回きりの効力で次第に消えるタイプのものでしたから」
「そりゃ、悪いことを言ったな、俺」
「そう思うなら、もっとフロリヤさんとアマドア嬢に会いに行って下さい。通い婚とはいえ、あんまりです」
「手紙は毎日書いてるさ。
「私が新参訓練生だった頃の厳しいあなたがそう言うなんて」
「俺が変わったんじゃない、7年前、お前が命懸けで3000メートルを飛んで俺を変えたんだ」
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